バッチに挑戦 風の不思議を突っ走れ!
ジャンボリーももう終わってしまうね…
まだ、まだ見学していない場所がたくさんあるよぉ
もう終わっちゃうなんて寂しいですぅ
北海道から沖縄まで友達がたくさんできたよ。この後メールのやり取りが楽しみ
第14回日本ジャンボリーも8日無事終了しました。
わが隊から参加スカウトも、6泊7日の夏のキャンプ生活や6時間のバスの移動の疲れも全く感じさせない興奮した表情で帰ってきました。
愛知15隊、16隊のサイトの門構えです。これだけ立派な門はほかにはなかったような…
名古屋に到着。日焼けで真っ黒になってますね。出発のときの表情と見比べてください。ジャンボリーの興奮冷めやらぬという感じです。
派遣隊解散式…いつまでも名残惜しそうにしていました。
ジャンボリーのはじまり
スカウト運動の創始者ベーデンーパウエル卿(B-P)は、1917年スカウティング発足10周年を記念し祝典を行いたいと希望していた。しかし、第1次世界大戦(1914年~1918年)の影響で、祝典の開催は1920年までもちこされることとなった。
ジャンボリーという名称は、B-P一流の高度な言語センスが発揮されている。ジャンボリー(Jamboree)は、もともとは、アメリカ英語の俗語で「宴会、お祭り騒ぎ」といった意味である。
世界中のスカウトを集めるという大会趣旨は、世界大戦の混乱が収まりきらぬ中で時期尚早との反対する声もあったが、結果としてスカウト運動が国際連帯による世界団体として広く認知される節目となる出来事なった。
第1回世界ジャンボリーの様子。このときは室内行事であった。
第1回国際ジャンボリーは、1920年7月31日から8月7日の8日間、ロンドンのオリンピアで開催された。参加者は、21の独立国と12のイギリス属領から約8000人を集めて開催された。日本からもこのとき既に3名が参加している。
第1回は、キャンプ大会というよりは、博覧会といった趣であった。8日間に渡り、ゲーム、スポーツ、スカウト技能の実演、歌、芝居などが繰り広げられた。
なお、このジャンボリーでB-Pは世界の総長に就任した。
B‐Pは、成功裏に終わった第1回ジャンボリーを次のように振り返っている。
『ジャンボリーは、周到に計画したけれども、これほどまでに国際的な兄弟愛を、強力に高度に展開できようとは予期していなかった。
また。催し物によりスカウトの精神の素晴らしさが、かくも多様に表現できて、見物人をこれほどまでに圧倒できようとは思ってもいなかった。
かかる光景を目のあたりに見たショックから立ち直り、印象を額面どおりにまとめるには、時間と反省が必要である。
しかし、われわれの参加者のうち一人として、現代の不安と疑惑の時代に、各国の大人や青少年が、世界平和のための一つの共通理想を胸に抱いて、相互理解と平和な兄弟愛に結ばれた兄弟として集いあったことは、期待と希望に満ちた将来を約束するものと感じずにはおれない。』
≪参考文献≫
E.E.レイノルズ著 スカウト運動 ボーイスカウト日本連盟
田中治彦著 ボーイスカウト 中公新書
≪関連バッチ≫ A6 世界友情
1 外国旗を15か国以上、外国スカウト章を5か国以上見分ける。
2 アジアの国、地域にあるスカウト連盟について調べ、地図上で示し説明する。
3 外国の青少年と文通(電子メールを含む)をする。またはジャンボリーや海外派遣等で外国のスカウトと交流を行う。
4 姉妹都市または自分が興味を持っている国・都市の地理、生活、文化などについて調べ、班または隊集会で話す。
5 外国のスカウトの「おきて」を調べる。できれば海外からのスカウト・指導者に直接教えてもらう。
6 スカウトの「世界友情の日」について調べ、「世界友情」をテーマにした活動を考え、実施する。