それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

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1990年2月ねっとわあく死刑廃止第0号より「死刑廃止条約、国連で採択される」

2017-01-31 01:50:07 | このブログについて

1990年2月ねっとわあく死刑廃止第0号より抜粋

申し訳ないですが、私の時間の関係で、興味が出た部分のみ抜粋します。筆者の方のお名前はイニシャルにするか、もしくは、載せません。それと、私がここに載せたからと、内容を私が全部理解してるとか、全部私の頭の中に入ったわけではないので、ご容赦ください。それと、誤字脱字もご容赦ください。

興味がある部分のみ、ブログ管理人である私が太字にしました。

 


 

死刑廃止条約、国連で採択される

 

昨年12月15日、第44回国連総会本会議において「市民的および政治的権利に関する国際規約第二選択議定書」が採択されました。いわゆる死刑廃止条約です。 死刑廃止へと向かう世界的な潮流はもはや逆らいがたいものとなっています。

過去10年間、死刑を廃止する国は着実に増え続け、昨年は4月にカンボジアが11月にはニュージーランドが死刑の全面廃止に踏み切り、今年初めにはルーマニアが死刑の全面廃止を宣言しました。

アムネステイ、インターナショナルの調査によれば、1990年1月18日現在、死刑を全面的に廃止している国は38か国、戦時を除く通常犯罪について廃止している国は17か国、過去10年以上死刑が執行されていない事実上の廃止国が30か国、合わせて世界の国々の約47%にあたる85か国が死刑を廃止するに至っています。

このような死刑廃止へと向かう世界的な流れを背景として、国連では1980年の総会決議以来、下部機関である人権委員会などで死刑廃止条約に関する討論を重ねて来ましたが、ついに昨年9月から開催された第44回国連総会において採決にかけられることになりました。 

この死刑廃止条約は前文において「・・・死刑の廃止が、十人間の尊厳を高め人権の進歩的発展に寄与すると信じ、…市民的及び政治的権利に関する国際規約第六条が『死刑の廃止が望ましい』とする示唆に富む表現を用いて、その廃止に言及していることに留意し、死刑廃止のためのあらゆる方策は、生命権の享受を進展させるものと確信」するとその理念を述べ、ついで11の条項を設けています。

条約の第一条には「一、この選択議定書の締約国の管轄権内において何人も処刑されない。二、いずれの締約国も、その管轄権内において死刑廃止のためのあらゆる方策を講じる。」と述べられており、この条約の締約国は死刑廃止を義務付けられますごしか七第二条により批准に際しては

「戦時中に犯した重大な軍事的犯罪に関する有罪判決にもとづき戦争時の死刑適用を定めた規定」に関してのみ例外的に保留することができます。そして第八条により10か国が批准もしくは加盟してから3か月して効力が生ずることになっています。(条約の全文は「死刑停止会議」のニュースレター4号もしくは、「死刑廃止の会」の会報117号を参照) 

この条約は昨年12月15日国連総会にて採決され、その結果、既に死刑を廃止している西欧、中南米諸国に加え、ソ連、東欧諸国など59か国の賛成を得て採択され、後は効力が生ずるのに必要な10か国の批准を待つだけとなりました。

ちなみに採決に際し反対したのは26か国、棄権は48か国でした

(賛成、反対、棄権の国別の様子は「死刑廃止の会」の会報117号を参照) しかし日本政府は国連総会の始まる前から、この条約を総会で議論することに反対していました。

日本政府が9月13日付けで国連に提出したコメントによれば、政府が反対した理由は以下の二点です。

第一点は死刑廃止の問題はその国の国民感情や犯罪の情況、刑事政策などを考慮し慎重に検討されなければならず、加えて死刑廃止国が未だに少数であり廃止国においても死刑の復活を求める人々がいることを考えれば、死刑廃止の国際的な合意が得られていると結論するのは時期尚早であり、人権委員会において十分な議論を尽くさず国連総会で採決するのは適切でないこと。

第二点は「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第六条は明らかに死刑の存在を認めており、死刑廃止を目的とした選択議定書を追加することは規約第六条に矛盾するものであること、更に規約の作成の過程では、死刑の存廃はそれぞれの国の決定にまかされるべきであるという立場から、死刑廃止の条項を盛り込むという提案が退けられており、今回の死刑廃止条約の国連総会での議論はかつての議論の蒸し返しになるだけであること等です。

そして日本政府は、国内の死刑廃止団体の再三の要請にもかかわらず条約の採決に際し、アメリカ合衆国や中国、イスラム諸国等とともに反対票を投じました。 日本政府のこのような態度は、国際的な人権感覚の無さを如実に示すものです。

国連が人権に関する様々な国際的基準を創り上げて行く中で死刑の存廃に関する議論を繰り返し行ってきていること、死刑廃止を意図し死刑適用の制限を求める国連での決議が何度となく上げられてきていること、死刑廃止又は制限を定めた地域条約が欧州と米州において結ばれていること、死刑廃止国が着実に増え続けていることなどを考えれば、日本政府の 「国際的な合意が得られていない」「議論が十分に尽くされていない」という主張は根拠の薄いものであることがわかります。

また「市民的及び政治的権利に関する国際規約」第六条六項が、「この条のいかなる規定も、この規約の締約国により死刑の廃止を遅らせ又は妨げるために援用されてはならない。」と述べていること、規約人権委員会が1982年に採択した規約第六条に関する一般的意見が「・・・締約国は死刑の適用を制限し、特に『最も重大な犯罪』以外の犯罪に対する死刑を廃止する義務を負っている。 

・・・本条は、廃止が望ましいことを強く示唆する文言によって、一般的に廃止について言及する。」と述べていることなどを考えれば、日本政府の規約第六条に対する解釈は国際的に通用するものとは言えないでしょう。

それに加えて問題なのは、この条約に対する国内のマスメディアの関心が薄く、条約の存在そのものが日本の国内でほとんど知られていないということです。このままでは21世紀へ向けて人権感覚がますます鋭くなっている今日、日本だけが取り残されてしまうことも十分考えられます。 

1990年代を向かえた今年、私達はこの死刑廃止条約の存在を社会的に広めていくと同時に、日本政府に対し条約の批准を求める運動をかつてない規模で巻き起こす必要があるでしょう。

(抜粋以上)

 

 

 



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