一度、熊本県出身者名簿が作られた。見ると同じ鏡村の宮本桂三君の名があったので、暇を作って早速、尋ねて行ってみた。宮本君は私たちより古いらしくアタップ葺きの高い宿舎にいた。
非常に喜んでパンをご馳走してくれた。ここは午後になるとパンの値段が半分くらい安くなるそうで、夕方はまだ安くなるとの事。それで夕方近くになってから、境界の金網越しに取引するのだそうだ。
宮本君は
「食糧には非常に困って、靴の皮を煮て食ってみたが硬くて食えなかった。豚の皮だから煮たら食えるだろうとの発想だったが、とにかく食えそうなものは何でも手当たり次第食ってみたよ」 約30分位話をして再会を約して帰った。
いつか幕舎で留守番をしていたら、海軍の作業服の人が私を訪ねてきた。
「吉田です。」と言うからよく見たら教法寺の上の吉田義信君だった。ここに糧秣受領のことで来たと言った。今、セレター軍港にいるとの事。10分間くらい立ち話をして帰って行った。
非常に喜んでパンをご馳走してくれた。ここは午後になるとパンの値段が半分くらい安くなるそうで、夕方はまだ安くなるとの事。それで夕方近くになってから、境界の金網越しに取引するのだそうだ。
宮本君は
「食糧には非常に困って、靴の皮を煮て食ってみたが硬くて食えなかった。豚の皮だから煮たら食えるだろうとの発想だったが、とにかく食えそうなものは何でも手当たり次第食ってみたよ」 約30分位話をして再会を約して帰った。
いつか幕舎で留守番をしていたら、海軍の作業服の人が私を訪ねてきた。
「吉田です。」と言うからよく見たら教法寺の上の吉田義信君だった。ここに糧秣受領のことで来たと言った。今、セレター軍港にいるとの事。10分間くらい立ち話をして帰って行った。