その2です。当時、年に数回、旅行も行ってました。毎年夏は学生時代の友人と旅行しました。
JR東海・新幹線 京都にて
100系新幹線も国鉄時代に登場し2階建て車もつないでいました。JR西日本の100系は2階建て車、4両つないでいました。当時、「のぞみ」の種別がなく「ひかり」「こだま」だけでした。2階建て車は食堂車とグリーン車がつないでいました。食堂車は2階部分で、景色を見ながら食事をするのが最高でしたね。後に1階部分がカフェテリア車(車内はコンビニのような感じで食べ物・飲み物が販売している)も登場し、旅も楽しかったです。
JR東日本 オレンジ色の201系
撮影した駅はどこかわかりませんが、中央線の快速や特別快速で走っていました。東日本の201系は全廃車しましたが、西日本の201系は今も走っています。しかし大阪環状線は323系が導入しつつ、ついに103系が来月で環状線から引退、201系もいよいよ撤退が始まろうとしていますね。
JR貨物 吹田機関区
貨物も民営化になりました。一般公開もされるようになり、色々な形式の電気機関車も見れます。現在は新型に入れ替えつつあります。
JR東海・「するがシャトル」 草薙にて
静岡地区で活躍していた電車です。飯田線で走っていた119系を島田~静岡~興津間の増便の為、導入されました。国鉄時代は1時間あたりの運行本数は少なかったようで、電車編成も長く長距離運行が多かったです。大都市型並みの運転と運行距離の縮小、短編成による運行が地方都市にも導入されるようになったのもJR化になってからですね。新型車が静岡地区にも導入され国鉄型の車両は撤退・廃車されましたが、「するがシャトル」と言う名前の電車は今はありませんが、この区間は今も1時間あたりの運行本数は平均6本と多いです。
JR東日本・相模線気動車 橋本にて
東京近郊区間でも当時、電化されていない所もありました。相模線です。キハ35系が見れたのが感動しました。大阪近郊区間は、ほとんど電化されていたのでキハ35系が走行している線があまりなかったですね。1991年(平成3年)に相模線全線電化されキハ35は引退します。
2部にわけて紹介しましたが、この年、JR化になった事もあり、他の年度に比べると写真の枚数が多いですね。
JR東海・新幹線 京都にて
100系新幹線も国鉄時代に登場し2階建て車もつないでいました。JR西日本の100系は2階建て車、4両つないでいました。当時、「のぞみ」の種別がなく「ひかり」「こだま」だけでした。2階建て車は食堂車とグリーン車がつないでいました。食堂車は2階部分で、景色を見ながら食事をするのが最高でしたね。後に1階部分がカフェテリア車(車内はコンビニのような感じで食べ物・飲み物が販売している)も登場し、旅も楽しかったです。
JR東日本 オレンジ色の201系
撮影した駅はどこかわかりませんが、中央線の快速や特別快速で走っていました。東日本の201系は全廃車しましたが、西日本の201系は今も走っています。しかし大阪環状線は323系が導入しつつ、ついに103系が来月で環状線から引退、201系もいよいよ撤退が始まろうとしていますね。
JR貨物 吹田機関区
貨物も民営化になりました。一般公開もされるようになり、色々な形式の電気機関車も見れます。現在は新型に入れ替えつつあります。
JR東海・「するがシャトル」 草薙にて
静岡地区で活躍していた電車です。飯田線で走っていた119系を島田~静岡~興津間の増便の為、導入されました。国鉄時代は1時間あたりの運行本数は少なかったようで、電車編成も長く長距離運行が多かったです。大都市型並みの運転と運行距離の縮小、短編成による運行が地方都市にも導入されるようになったのもJR化になってからですね。新型車が静岡地区にも導入され国鉄型の車両は撤退・廃車されましたが、「するがシャトル」と言う名前の電車は今はありませんが、この区間は今も1時間あたりの運行本数は平均6本と多いです。
JR東日本・相模線気動車 橋本にて
東京近郊区間でも当時、電化されていない所もありました。相模線です。キハ35系が見れたのが感動しました。大阪近郊区間は、ほとんど電化されていたのでキハ35系が走行している線があまりなかったですね。1991年(平成3年)に相模線全線電化されキハ35は引退します。
2部にわけて紹介しましたが、この年、JR化になった事もあり、他の年度に比べると写真の枚数が多いですね。