五箇山からさらに荘川を遡り、岐阜県にはいると白川郷でした。合掌造りの集落としては最大と聞いています。大きな駐車場を備え、街道沿いには、食堂や、売店が軒を連ねています。お盆休みの最中、人いきれを避けて丘に登りました。
5階建て以上に相当します、上から屋根の様子をじっくり見られる機会は、少ないのです。屋敷林を伴っているものもあります。
車や、人の流れが止まりません。すぐ前に立ち寄った相倉の集落の静けさとは、又違う華やかさがありました。
普通の民家には立ち入れませんから、内部の観察は、資料館や指定された重文の家屋を有料で入場する事になります。かなり以前ですが、高山の民族村飛騨の里に移築された合掌造りの家屋で内部の造りなどをたっぷり見ています。
以前、都会へ売り渡され移築された合掌造り家屋の追跡と、故郷へ帰そう運動の報道を見ました。都会では、多くは飲食店として使用されていました。田舎をイメージして、炉端料理店など、多くのお客を集めていました。渋谷、新宿で、たびたび利用していた店が、該当しますが、今はすでにありません。運動を繰り広げていた人々も、いくつかは、故郷へ帰す事が出来ましたが、多くは、所在不明になってしまったと、報告していました。世界遺産に届く建物でも、保存維持するのは、大変な努力と労力財力が必要なのです。国は文化財に指定するだけでなく、維持管理に必要な施策をどこまでしているのか知りませんが、現状充分なのでしょうか・・・。
田んぼに佇む茅葺きの作業小屋で心を洗われた後、人混みの中に戻る気になりませんでしたので、そのまま古川、高山へと向かいました。2003年8月でした。