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北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

すがすがしいとはこのこと 奥日光湯の湖:栃木県日光市

2016-07-20 14:26:21 | 水のある風景

7月連休・その1

 澄み切った湖、抜けるような青空、この日今年最高の気温の地上とは別天地のひんやりとした空気が気持ちいい、湯の湖湖畔!

 久しぶりの連休、土曜日の夕方仕事を終え(三連休にはならず二連休なので)とりあえず越後湯沢へ移動し翌日に備えた。報告は後になるが翌日は“頸城”地方を徘徊し1泊、最終日は水上から谷川・奥利根方面の山道を経て金精峠越えに奥日光に入った。最後の立ち寄り処が最初になったが、他意はない。お天気がよく画像がきれいだからに過ぎない。

 前回奥日光に来たのは2・3年前と思っていたが、我がblogで検索するとすでに5年たっていた。しかも同じ「海の日」だった。その時は中禅寺湖から入り戦場ヶ原より奥は車は徐行しなければならないほどの大雨で、湯の湖畔では車から出ることもできなかった。

 ビジターセンター前の駐車場、かろうじて一台の空きに車を止めた。

 林を抜けると湖畔が見えている。

 夏休み前の一時、家族連れやグループもいるが、喧噪もなく湖畔を楽しめた。

 日光白根山を探したが特定できず、金精峠方面の山並みを撮っておいた。

 最近はデジカメの写真のみとなっているが、構図も露出もフレーミングもいい加減に撮るに任せ、遠近もズームに頼り何気なく枚数多く撮ってしまって反ってこれといった秀作はなかなか得られていない。露出やアングルの調整に手間取り、blogへのアップが面倒になりついつい日が経ってしまう。トリミングやホワイトバランスの修正などを省いても、画像の選択やサイズ変更などで躓いている。

 今までも土地や神社仏閣などの由来など説明文は省いてきたが、写真の整理も簡略化して更新を急ぐ方向に舵取りをしてみることとした。


船が混み合って 観音崎:神奈川県横須賀市

2016-05-31 15:09:06 | 水のある風景

2016GW-8

 鮮やかな青色の船が海に浮かんでいる。もちろん客船ではなく貨物船、形からタンカーでもコンテナ船でもないことだけは判る。東京湾口横須賀港沖浦賀水道辺りになる。船の向こうの山は房総半島館山辺りであろうか、最短 6.5km程しかない。

 この船の船籍が気になったので調べてみた。船腹の「JFE」と青色の円形マークから会社はすぐに判った。「JFEホールディングス」の一員であろう。おそらくJFE物流に属する船で当然JFEスチール関連の鉄鋼製品・鉄鋼材料が主となっていると想像出来る。

 ここで一つ学習をした。「JFEホールディングス」は名前通り持ち株会社で「JFEスチール」は 日本鋼管株式會社 (NKK)と川崎製鉄株式会社(川鉄)が併合したものである、と。医療の世界にどっぷり浸かっていると、これほど大きな合併、社会の動きすら判っていなかった。川鉄の工場は実家の近くにあって関連している友人は多くいる。川鉄を定年退職した古くからの友人もいて、年に何回かは会っているので尋ねてみよう。

 観音崎公園の一番端の自然博物館前の駐車場に車を止めた。

 博物館前は小公園になっていて渚の岩礁が見える。

 GWは3連休のみで金土曜日は仕事をしていた。飛び石になった8日日曜日、海を見ようかと三浦半島へ、10年前に先端城ヶ島迄行ったので、今回は観音崎にした。「観音崎公園」はいくつかの園地に分かれていて広場にもそれぞれ名が付けられている。博物館のある辺りは「展望園地」とあった。名前も知らない珍しい花を見た。

 「展望園地」は観音崎公園の外れにある。海水浴場のある一番賑わいのある「観音崎園地」へはトンネルを抜けて行く。

 トンネルの上辺りに灯台はある。

 トンネルを抜けた所海岸沿いの草地になにやら建っている。「遭難碑」と読み取れたが?

 後で調べてみると「なだしお事件」とあった。『1988年(昭和63年)7月23日に海上自衛隊潜水艦と遊漁船が衝突し、遊漁船が沈没した海難事故。海難審判での事件名は潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事件。』

 海上を見ると行き交う船の多さに驚かされる。これでは少しでも気を抜けば事故は起こるであろう。

 少し行くと観音崎園地に行き着いた。岩礁のある渚では、大勢の人が磯遊びをしていた。

 振り返ると丘の上に灯台が見えていた。

 木立の間の階段を上がると灯台に行き着く。門より中へ入るのには協力金がいるので(丘の上の灯台、高さはないので眺望は展望広場へ行けば同じになる)中には入らず脇の道を下りた。


満願寺とは別だった 等々力不動尊:世田谷区

2016-05-18 14:01:51 | 水のある風景

2016GW-6

 等々力渓谷から滝の道を一気に上ると、等々力不動尊の本堂脇に出た。等々力不動尊は満願寺の別称かと思ったが、満願寺を元とする別院(霊場)であった。

 この原稿を書いている時偶然「yukimiさんのblog」に同じ頃の二子玉川から上野毛方面への坂道の記事があり「国分寺崖線」という概念を知った。等々力渓谷もその範疇に入るという。

 地質学に関してはかなり“疎い”のだが、かねてより景色としての「河岸段丘」は眺めるのに値するものとして各地を訪れてきた。近くは、「谷保天満宮」が河岸段丘の崖線上にあるという。河岸段丘と崖線の区分が今ひとつ理解しがたいが「大河が台地を削り取ってできたのが段丘であって、台地と低地を区分するのが崖線」と勝手に解釈した。ちなみに谷保のそれは「立川崖線」とあった。

 谷底から崖を登り本堂横から入ってしまったので取り敢えず、表通りまで出て正面山門から入ることとした。

 本堂を正面から見た。常香炉が本堂を隠している。

 左手崖上に舞台がある。下を覗くと緩やかに下っていた。遠くに地蔵堂も見えている。渓谷沿いに整備された日本庭園もあるというが、谷底は満喫したので広々とした斜面を降りることにした。

 平地まで下りるとそこはすでに住宅地になっていた。渓谷も普通の都市河川となる。

 多摩川堤に出ると水門があった。矢沢川も多摩川へ流れ込んでいた。

 川向こうには高いビルの姿がある。武蔵小杉辺りのマンション郡であろうか。

 川原へ下り二子方面を見ると再開発された旧二子玉川園(現二子玉川ライズ)に建った高層ビルが見えていた。橋は第三京浜の新玉川大橋であろう。

 まだ昼には時間があるが昼食も考えなければならない。上流の二子方面へ行くか、下流の長く親しんだ多摩川園(多摩川台公園)方向へ向かうか、河川敷は歩行路は眺めが良くないし、堰堤上は車の往来が激しく歩行には適さない。しばらく考えてしまった。


やっと・・・が! 山中湖:山梨県山中湖村

2015-11-27 13:59:22 | 水のある風景

 山中湖からの富士山です。かなり雲は取れてきましたが、頂上はまだ見えません。

 忍野八海方面へはバスや車がかなりの量流れていました。多分周辺は狭い道路ですから渋滞中でしょう。忍野八海の紅葉の写真はかって撮っているので、今回はスルーして山中湖を前景に富士山が裾まで姿をあらわにする定番スポット「長池親水公園」に来ました。テニスコートが沢山ある富士の対岸の平野地区です。午後になると日が沈むまで逆光になるので撮影場所としてはこの時間帯は適しませんが、日暮時にはダイヤモンド富士が現れる場所なのです。(ちなみにこの日15日はこの公園の中か近くでダイヤモンド富士が見られる時期でした)

 午後2時を少し回っていて、ダイヤモンド富士を待つには時間がありすぎます。従って駐車場は車もさほど多くはありません。

 道の駅なるさわや紅葉台からの富士山は殆ど雲に覆われていました。河口湖では山肌が見え始めていました。山中湖では雲は南になびいていて、山頂がやや姿を現し始めたので少し待つことにしました。

 逆光のため山裾の様子は捉えられないのです。露出を調整してみたのですが、“腑抜け”た画像になってしまい掲載出来ません。待つこと20分、2時30分頃やっと山頂が姿を現しました。

 太陽に光る湖面、ハレーションも富士を際立たせる演出になりました。

 山頂付近の冠雪をアップで捉えました。人の姿までは???ですが、冠雪の中ジグザグに付けられた登山道は見つけました。

 使用中のこのカメラ、デジタル一眼ではありません。形は一眼レフですがあくまで普及版のコンパクトデジカメ、ホワイトバランスや周辺ボケを気にしなくて楽しむだけなら十分なのです。

 ダイヤモンド富士の時間まではまだかなり間がありました。撮影のため防寒して来ている訳ではありません。もう1軒道の駅によって帰ることにしました。山中湖の北岸から続く道志みち・道の駅「どうし」に寄ります。


青空は広がっていましたが雲が・・・! 河口湖:山梨県富士河口湖町

2015-11-25 16:58:28 | 水のある風景

 河口湖からの富士山です。空からはほぼ雲が消え青空が広がっていますが、富士山周辺だけは雲が取れません。雲は意地悪なのです。

 西湖は日の当たっている対岸を眺めるため南岸の湖畔道路を走って来ました。(ガイドでは富士山は見えないとあったので)西湖を離れ程なく河口湖に至ります。湖越しの富士山を眺めるため北岸を走ります。地図上では「湖北ビューライン」となっていますが、周知の名称なのでしょうか?河口湖に入りすぐ富士山が対岸の山越に現れました。午後1時を過ぎ日の光は横から当たっているので、光の具合はまずまずなのですが、雲はまだ取れません。方向を地図上で調べていて間違いに気付きました。「河口湖町」には富士の二文字が付き「富士河口湖町」でした。

 対岸三つ峠方向を撮ったつもりでしたが、湖面に島影があるので桑崎までも行っていないようです。

 かなり走って河口湖大橋への分岐を越え、更に湖岸を進み路肩の広い場所があったので車を止めました。河口湖大橋と富士山のツーショットは無理でした。

 相変わらず富士山は雲の中でした。対岸にはホテルやレストラン、美術館・土産物店など居並ぶ富士五湖一番の繁華街が見えています。

 方向を変えると「天上山」へのロープウエーはあの辺りでしょうか?

 撮影を諦め更に湖岸を進みます。ホテル街では広場にテントを張りイベントの最中、人波が溢れ駐車場への入庫待ちなど予想通りやや渋滞。それでも午後2時近くなっていて対向車は少なく車隙を縫って渋滞回避出来ました。そして高速は使わず山中湖へ向かいました。


湖畔は静かです 西湖:山梨県河口湖町

2015-11-24 11:21:21 | 水のある風景

 紅葉と湖、もう少し近づいて紅葉の姿を湖面に映してと思ったのですが、湖畔には紅葉はありませんでしたので道路を隔てた紅葉台キャンプ場の紅葉です。

 あっという間に一週間経ってしまいました。日曜日の15日、富士五湖巡りに出かけた時は紅葉は盛りでした。今頃はそろそろ枯れ葉が多くなっているでしょう。今朝のニュースショウでは、関東・東京の紅葉は一週間以上遅れてるようですから、来週辺りから便りが聞かれるようになる?

 紅葉台展望台を下り山を回り込むと西湖です。観光施設も少なく湖畔の道路の通行量もほどほどで落ち着いて湖を楽しめます。キャンプ場内は人影もなく・・・1台泊っていたキャンピングカーから親子が出てきましたが・・・もったいないような紅葉でした。

 湖畔まで出てみましたが、対岸の紅葉は見事でしたが、こちら側には松だけ!少し先にはありそうでしたが、湖の縊れがあり先は見通せません。

 目の前を観光用の周遊レトロボンネットバスが通り過ぎていきました。曲がりくねったコーナーからいきなり現れたのでシャッターを押せませんでしたので、湖の端を捉えてみました。山陰でコントラストがなくはっきりしない画像になりましたが・・・。

 山陰で富士山は見えません。西湖畔を回遊して・・ほどほどに紅葉はありましたが、運転中は写真は!・・・隣り合わせの河口湖へ向かいます。五湖中ではもっとも賑やかですから、湖畔道路は渋滞もあり?なし?


横浜港にはベイブリッジ&マリンタワー 続・港の見える丘公園:神奈川県横浜市

2015-11-02 14:26:50 | 水のある風景

 展望台から正面にはベイブリッジが望めます。

 写真はかなりズームアップしていますので実際はこれほどの視界となります。

 もっとも、人間の目は良く出来ていて、実際はこの程度に感覚を調整して見ているようです。

 レンズの焦点距離に換算すると上から800mm、24mm、60mmとなっています。かって今程ズームレンズが普及するまでは35mmカメラの標準レンズは55mmが普通で、ポートレートなどはアップしても歪みの出ない70mmや80mmで撮影すると聞いていました。

 みなとみらいのランドマークタワーは見えませんが、かっての王者マリンタワーは直近に聳えていました。

 展望台から一段下がって「沈床ガーデン」が広がっています。

 正面煉瓦造りは「大佛次郎記念館」でした。

 大佛次郎記念館脇に記念館と近代文学館を結ぶ霧笛橋が架かっています。

 「近代文学館」木立に囲まれ静かです。

 文学館側から見た霧笛橋、下にあるのも近代文学館?上と下との繋がりは??

 外人墓地方向へと戻ります。手前にはローズガーデンとイギリス館がありますが先に一度方向を確認するために噴水広場へ向かいました。


港しか見えません 港の見える丘公園:神奈川県横浜市

2015-10-28 18:15:51 | 水のある風景

 港が見えています。横浜港大桟橋のようです。残念ながら巨大な客船は停泊していません。一隻も・・・!

 連休後の日曜日、テニスクラブは試合イベントで使用不可、妻はお茶の稽古の振り替えで拘束されていてkoba3ひとりがフリーに、家にいても部屋に引き籠もらないと生徒さんと鉢合わせの恐れがあり“そはならじ”と外へ出ました。さて行く先は??近くて未知の場所、意外や「横浜」でした。中華街、赤煉瓦倉庫、みなとみらい地区、山下公園以外は殆ど未知の世界です。独身時代に三ヶ月程横浜駅前に勤務していましたが、下宿先との往復のみで駅前広場と地下街しか知りません。「元町」は60年近く前上京後2年程経って知人が嫁入りしていたカメラやさんがあり、カメラ購入に値引きを期待して訪問して以来・・・だと記憶しています。

 時間はたっぷり(家から直通電車40分程ですから)少し大回りとして元町中華街駅から反対方向へ、すぐに着きました、「港の見える公園」入り口です。表から撮らずに中から撮っている!戻るのが面倒!!

 入ってすぐは「バルタール広場」です。あちこちに説明・案内が掲示されていました。曰く『この一帯は開港当時外国人居留地で、丘の上にイギリス軍、下にフランス軍が駐屯していた場所です。』と。

 港は全く見えません。建物に囲まれて・・・。階段がありました。かなり急で直登に近いようですが、木立でよく見えませんでした。

 下から急階段を撮りたかったのですが、上り下りの人がひっきりなしで避けて写せませんでしたので登り切ってから丁度人並みが途絶えたので雰囲気を捉えてみました。

 ここはフランス山というのでしょうか、庭園広場が広がっています。

 その先に「旧フランス領事館遺構」がありました。屋根もなく部屋の壁が僅かに残してありました。

 傍らには「愛の母子像」があります。(幾度か書きましたが、このblogでは書かないと分かりにくいことだけ簡単な解説を加えますが、興味がある方はwebで調べて下さい。koba3中途半端な受け売りで間違う恐れがありますので)

 橋がありました。「フランス橋」かと思ったのですが違ったようです。フランス山からイギリス山への架け橋のようです。

 橋を渡るとアーチ状の外壁が、やっと展望台に辿り着いたようです。

 冒頭の写真はかなりズームアップしています。実際はこれだけ海から離れています。みなとみらいのランドマークも山下公園も見えません。「港だけ見える公園」なのでした。

 この後イギリス山の中を徘徊しますので・・・続く


灯台です 犬吠埼:千葉県銚子市

2015-10-22 18:07:59 | 水のある風景

 青空に白亜の灯台、眺めているだけで心が洗われます。

 9月四連休(世間では五連休、シルバーウイークと呼ばれます)間に葬儀が入り遠出が出来なくなりました。それでも22日火曜日ぽっかり空白の1日、朝から快晴!渋滞は最終日前日ですから帰路にかなりになるが近場で早めに帰れば避けられるはずと勝手に決めて、取り敢えずは“海”を見に行くことにしてアクアライン経由で木更津へと首都高に入りました。芝東京タワーの近くの掲示板「アクアライン8km渋滞」と表示あり、8kmなら海ほたるでの渋滞とみえる。通過するのはかなりの困難が予想されると湾岸道・京葉道方面からと方向転換し宮野木JCTまでは順調でした。ところが京葉道へは入れない、その先10km程の渋滞とありまたしても方向変更、そのまま東関東道を犬吠埼を目指すことにしました。とにかく“海”が見られれば良かったのです。

 潮来経由で遠回りしましたが予想通り順調に犬吠埼到着、灯台前の広場?通路?に車を留め先ずは海を眺めます。そして傍らの食堂でひとまず昼食を済ませました。

 かなりの人がいて食堂もすぐに満席になり出てくる頃にはかなりの待ちとなっていました。“先んずれば人を制す”それほどのことでもありませんが!?!外に出ると目の前に灯台が聳え、てっぺんには大勢人が詰まっていました。

 久し振りの海、被写体が一杯、解説抜きで画像アップ!!!何しろ40数年ぶりのはず、何も覚えていなかったのです。

 君ヶ浜方面にもちらほら人影が、下りては行きません。眺めるだけで十分なのです。

 帰路常磐道と繋がった圏央道経由で帰るつもりが、JCTを間違え再び湾岸道経由で渋滞もなく早めの帰宅,ヤレヤレ・・・でした。


柔らかなイルミネーションが・・・ 浜名湖SA:静岡県浜松市

2015-10-14 17:12:04 | 水のある風景

2015夏旅・その17 エピローグ

 日が落ち始めてプロムナードに秘やかなイルミネーションが灯された。

 東名高速道浜名湖SAのレストランから眺めている。日中は青空が見えていたが夕暮れはうっすらと雲がかかり始めていた。往路新東名道のSAにはフードコートはあってもレストランは設けられていなかった。今の時代フードコートの何でもありのワイワイした雰囲気が好まれるのであろうか、ここでもレストランの横にいつの頃からかフードコートが存在し、そちらは満員の盛況!!おかげでレストランはひっそり落ち着いて食事が出来る。もっともフードコートの賑わいに比べ高速道SAのレストランは何処も閑散といて、ここ数年立ち寄ったレストランの規模は縮小している。(浜名湖は構造上からか団体バスも多いせいか開設の時と同じ規模に思われるが)今に廃止となりかねない。楽しみが半減してしまうのだが・・・。

 馴染んできたレストランで食事をと、あえて「新」は避けて「東名道」を走ってきた。かっては望んでもなかなか確保できなかった窓際の席に難なく座っている。イルミネーションを独り占め。

 暮れゆく浜名湖を眺めながら至福の時を過ごし、夏旅は終わる。

 と、情報板には「大井松田御殿場間事故渋滞20km」の表示。本来ならこの時間渋滞は解消していたはず、事故は予測できない。御殿場ICまで来た頃には渋滞16kmとやや減ってはいたが・・・そして夏休みは終わった。