北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

間に合うの?? 飯山駅&斑尾高原:長野県飯山市

2014-10-03 17:34:03 | 旅の途中で思うこと

 全く“絵”にならない雑然とした風景!なんとか旅のレポートにしたくて撮ってはみたものの、見てのごとく整理出来ない。完工間近の北陸新幹線飯山駅、あと6ヶ月後の来年3月には新幹線の列車が走ることになっている。上越新幹線と同じ雪国特有の構造で駅全体がドームで覆われ風情もない。飯山駅には何度も来ているが「旧国鉄のローカル線の駅舎」そのもの、木造の建物と記憶しているが新駅舎に地方駅特有の趣が出るのかはこの状態では分からない。

 9月の連休、一家で妙高アパリゾートに集合することにしたが、子供たちは土曜を含めて三連休だが親のkob3は土曜は仕事日とあって、今年初めて土曜の臨時休業とした。更に連休初日の渋滞は避けたいしせっかく取った休業日は有効利用したいので、いつもの作戦前日金曜日の夜首都圏脱出し途中泊し十日町・飯山経由で妙高に向かった。豊田飯山ICから高速を使えば早くて楽だが、せっかくの旅寄り道しながら楽しみたいと斑尾高原経由にした。昼食まで時間があったので北陸新幹線の飯山駅を見に寄り道した。

 在来線の飯山駅は300m程離れているが新幹線方向へ移動するのであろう、ホームの屋根らしき工事の様が見えていた。

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 斑尾高原で昼食としたかったが、避暑とスキーのシーズンの狭間でネット検索ではヒュッテやレストランは休業中が多かった。その中で休日のみ営業の「石窯ピザのお店・レストランルドルフ」を見つけた。


 飯山からの道はかなりの急勾配で曲がりくねっていたが、道幅は余裕がありゆっくり登ればそれほどの苦労でもなかった。レストランの住所は飯山市となっていたので斑尾高原の入り口になる。何気なく撮った周りのロッジは斑尾高原スキー場に続くサンパティクスキー場のようだ。


 そして林の彼方に僅かに顔を出しているのは「ホテルタングラム」なのかは定かではない。何しろ立ち寄ったレストランは長野県飯山市、すぐ上から始まる斑尾高原スキー場の大半は新潟県信濃町、スキー場の中にあるホテルタングラムは新潟県妙高市となるので、1枚の写真の中に3市町が映り込んでいるようだ!

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 石窯ピザは期待通り絶品の部類で堪能して、ナビを信じて旧パインバレーへ向かったが、野尻湖経由でなく対向車が来たら“オッカナイ”程の細い山道をホテルへ向けて地図上で直線的に進んでいた。おかげで予定よりかなり短時間でホテルに到着、妻の希望で日暮までテニスを楽しんだ。


晴れのち雪 神楽スキー場&神立高原スキー場:新潟県湯沢町

2014-01-08 14:28:30 | 旅の途中で思うこと

 抜けるような青空の神楽スキー場ゴンドラ山頂駅前の広場です。かって西武・国土開発総帥堤さんの鶴の一声で全ての小屋が禁煙になり、寒空で喫煙を余儀なくされた愛好家たちのためだけではないのですが、山本小屋に隣接して出来たログハウス風の休憩所です。正面には谷川連峰の一部が雪を頂き輝いています。

 元旦は子供夫婦三組と孫4名、総勢12名で正月を祝い、後片付けもそこそこに2日昼前に東京を発ち夕方越後湯沢に着きました。関東は晴天!関越トンネルに近づくと青空ながら谷川連峰から流れてくる雪が車を襲います。トンネルを抜けるとかなり激しい雪が降っていました。暮れ正月は雪の予報でしたから期待はしていませんでしたが、閉じ込められて良いように妻はたっぷり本を持参していました。

 期待に反して??3日は朝から快晴、天気が良ければ迷わず「神楽」へ上がります・・・混雑を覚悟で!17号線を三国峠に向かう車はまばらでした。駐車場に着くとやはり正月、かなりの車の数でしたが予想ほどではありません。ケーブルも待ちもほとんど無くスムースに乗車、拍子抜け!!!

 休憩所の先には山本小屋が見えていますが、はっきりしません。数十年(今シーズンで60年)慣れ親しんだスキーであっても、シーズンはじめの初回では手順に狂いが出てしまいカメラを忘れてしまいました。携帯のカメラでかろうじて撮っていますが、固定焦点で画素数も少なくなぜか発色も悪いのです。この先急斜面を下ると第一高速リフト乗り場につきます。

 リフトも五分と待たずにほぼフル回転で滑ります。メインゲレンデも人影はまばら??



 三俣ステーションからはケーブルで“みつまた”へ上がり、少し滑り降りてゴンドラに乗り“かぐら”に至ります。かってはリフトを何本か乗り継いでいたと聞いていますが、当時は大変だったのでしょう。苗場には独身時代から来ていましたが、湯沢に通い始めてからも子供が幼かったので中里ルーデンス(当初は昭和ルーデンスの名称)をメインに湯沢高原や石打・ガーラなどが中心でしたので、神楽はかなり後になりすでにゴンドラはありました。ゴンドラは3km以上有るのでかなりの時間乗っています。車内から山麓駅方面や田代湖方面を撮ってみましたが、液晶画面は明るい中では全く見えないので、感覚のみで方向を決めています。



 開けて4日、目を覚ますと空はどんよりそして“雪”それも大粒でかなりの量、表に確認に出るとみぞれ交じり!!スキーには最悪!神楽まで上がればおそらく粉雪に変わるでしょうけれど、視界は数mでしょう。



 正面遙か彼方に「神立高原スキー場」の最上部が僅かながら見えるはず!!もちろん数十メートル先は霧の中、霧中なのです。



 その神立も今シーズンはついにオープン出来なかったと聞きました。先のシーズン後半には従業員の給料未払いや湯沢町への地代の支払いも滞り、湯沢町も今までの経営者との契約を渋っていた・・・広報より・・・。ここ数年は毎年シーズンイン間近にやっと経営主体が決まる有様、“ブルータスお前もか!いえ!!神立よお前もか・・”この先スキーの出来る場所はいずこに!!!もっとも前夜の風呂場での情報では「石打丸山」が異常に混んでいた!!!

 ということで午前中に帰京、全く渋滞も無く帰宅後いつもの中華食堂で昼食、正月はほぼ終わり・・・5日は午前中はテニスの初打ち、午後は会の休日当番・・・ああ無情!!


サービスも味も満足! パレスホテル東京:千代田区

2013-02-13 09:25:15 | 旅の途中で思うこと

 モノクロ写真ですが皇居前和田倉噴水公園の噴水です。今上天皇が皇太子の時のご成婚を記念して昭和36年に作られたばかりの時の撮影です。この画像2008年2月に掲載したものの再掲ですが、バックにあるのは建て替え前のパレスホテルです。10日・日曜日に行った時の同じ視点での画像はこんな風になっていました。

 娘の結婚披露宴で味わったパレスホテルの「ローストビーフ」、(すでに10年も経っているのを娘のブログで気がつきましたが)今まで数多くの結婚披露宴や宴会で食していたそれとは別物の美味、“西洋人”(古い表現!)がなぜローストビーフを珍重するのか解せませんでしたが、納得の味でした。もう一度と思っている内にホテルの建て替えで一時閉鎖、最近再開したのですがやはり贅沢!!それでも我が夫婦のOO記念日(スキー行きで少し遅れましたが)勇をふるって食べに行ってきました。もちろんメインダイニングではありません、和田濠に面した1階のカジュアルレストランのランチです。但しランチサービスにはなくサービス料付きの正規料金でした。画面の右の端当たりがレストランの位置になります。



 地下鉄で行ったので、大手町駅から地下道で直接入ってしまい迷路に迷い込んだようでマゴマゴしていました。食事が終わって噴水公園に向かいながら撮影と思いましたが、近くから煽っても部分的にしか撮れていません。



 少し離れても同じ事。



 食事が終わってから料理の写真は撮っていないことに気がつきました。もっとも、見る人には味も香りも知ることは出来ないのと特に特徴のあるものでもなし、いつもの通り写真なしです。もっとも最後に食べたデザートの「マロンシャッセ」は“絵”になるのですが、ボリュームがありそうなので二人で分けて食べると告げると、半分にして別の皿に取り分けて配膳してくれました。“絵”にはならなかったのですが、気配りはさすが“パレスホテル!!!”


誰もいない公園 清水川公園&駅からハイキング:栃木県那須烏山市

2012-11-28 17:44:56 | 旅の途中で思うこと

 雨は上がりましたが薄い雲がかかり日は射してきません。那須烏山市清水川公園です。雨上がりの芝生はみずみずしくきれいなのですが、寂寞とした感が漂っていました。

 塩原温泉を早々に出発し、国道4号線をしばらく走り地方道に入りました。11月12日10時過ぎにはJR烏山線烏山駅前に到着していました。なぜ烏山?・・・最近旅行の帰路の混雑に疲れを感じるようになり、車が集中し渋滞の起こりやすい時間帯を避け早めに東京に向かうことが多くなりました。それでもせっかく出かけたので直帰は味気なく、途中立ち寄り場所を見つけるようにしています。目的地としては魅力がやや薄い、かといって何かに興味を感じながら何かの次いでが無ければ、又二度は立ち寄ることはない?であろう所、今回はJR東日本の「駅からハイキング」に記載のあった那須烏山市に立ち寄ったのです。・・・その他にもこの方面のポイントがあったのですが・・・。

 烏山駅待合室では駅員さんが何やらパネルの掲示の準備に余念がありません。町歩きのイベントの準備でしょう。それではと町歩きのパンフレットを探しましたが見あたりません。東京で手に入れていた町からハイキングの最初の立ち寄り場所「山あげ会館」の駐車場に移動して、パンフレットとはコースを逆に辿って清水川公園に来ました。入り口からつづく枯山水風の川、夏には清流で子供が遊ぶ?のではと思われますが水は流れていません。



 芝生は刈り込まれたばかりで濡れていなければ寝ころびたいくらい、周りには紅葉も見られました。



 かなり広い芝の公園で、途中国道の橋の下をくぐり抜けて更に続いています。先はかなり下り傾斜が強くなり広場の先は断ち切れ地面から川の流れが現れました。(写真を撮り忘れています)



 名前の「清水川」地図上で確認すると公園の下を暗渠で流れているようです。夏には前述の石の川に水を回すのでしょうか?ガードレールの先辺りが地下から出てきた水の流れですが、少しくだった所で公園を見上げています。斜度が分かります。



 姿を現した川に沿って更に下ると、遠くに那珂川の流れがありました。清水川は間もなく那珂川に流れ込みます。



 清水川の入口まで戻り公園の周回道路を三万石通りと名付けられている(らしい)道に上がりました。来た方向へ戻ると「烏山和紙会館」がありました。とりあえず中を見学、妻は端切れを数点購入したようです。公園内では人っ子一人いなかったのですがここで初めて数組の客と出会いました。和紙会館よりその先にあったお寺の佇まいに惹かれました。真宗鹿埼山慈願寺でした。やっと薄日も射し始め・・・。



 境内は程良い広さで、清潔に保たれていました。鐘楼は真新しい感じでした。



 この寺はガイドパンフレットには記載されていませんでしたが、墓地口は竹垣で隠され境内の雰囲気を和らげていました。



 コースを多少はしょって土蔵作りの「萬サロン」を訪れました。陶器の展示販売をしていました。管理は隣の雑貨店がしていたのには????でしたが・・・(妻が掘り出し物の買い物をしていましたが・・・内緒!)



 その間に表通りを眺めていると其処此処に蔵作りの建物が見かけられ、もっと纏まって保存されていたら観光名所として打ち出せる物と・・・。



 その前にはこの地の蔵元「島崎酒造」の堂々とした蔵がありました。先を急ぐので見学は省略!!



 有名観光地はその土地独特の観光ポイントが多数有り、驚嘆させたり感動させたり観光客を飽きさせません。一度だけでは見尽くせないこともしばしばで、再来・再々来することも多いのです。そして宿泊施設も整っていて多くの観光客を集めています。それ故に都会と同じ喧噪と混雑が起こり、手慣れたお客の扱いにやや“慇懃無礼”な思いも持つことも多いのです。

 最近では過疎化の進む地方の町で何とか観光で人集めをとの動きがあります。確かにその地にしかない貴重な資源があるのですが、わざわざ赴く程であってもそれだけでは客は動いてくれません。いくつかが繋がり、合わせての魅力を見つける必要があるのでしょう。件の烏山線、一時間に一本が運行されているのみです。それも11時と14時はありません。町おこしの難しさを感じます。


かって憧れていたホテル 続・志賀高原:長野県山ノ内町

2012-08-27 12:03:25 | 旅の途中で思うこと

2012夏休み・その5「志賀高原歴史記念館・旧志賀高原ホテル」



 案内板の背後石垣の上にとんがり屋根が見えていた。「志賀高原歴史記念館」である。



 この建物はかって「志賀高原ホテル」として栄えていた建物の中心部分(本館)であって、左右に宿泊棟があった。志賀高原随一の格式あるホテルで1999年閉鎖後取り壊されている。残された本館部分も取り壊しの予定があったが、歴史ある建物としてかろうじて残され記念館として内部を公開している。玄関を入って正面に暖炉があり、取り外された銘板が添えられていた。

 

 志賀高原はかってスキー行の中心としていたので訪れたのは数知れず、始めてきたのもここ丸池だった。最初は貧乏学生の頃今はなくなったがゲレンデ内にあった「高野ヒュッテ」で安上がりに過ごした。大学卒業後は安月給とはいえ給料も入るようになり、「丸池観光ホテル(マルカン)」や「ホテルニュー志賀」、発哺温泉の「天狗の湯」「薬師の湯」なども利用していた。仲間とバスを仕立ててのスキー行では発哺温泉「東館山荘」や「岩菅ホテル」など、「熊ノ湯」や「硯川」なども思い出にある。

 それでも「志賀高原ホテル」は高嶺の花でもあり子連れにはやや不向きとの思いこみ、そしてスキー場へのアクセスはスキーを担いで車道を少し上る事もあって機会を失して泊まったことはなかった。取り壊されると知っていたなら、一度だけでも・・・もっともこの10年以上スキーシーズンには志賀高原は関係なくなっていたから、情報も捕っていなかった!残念!!

 窓には至る所にステンドグラスが、床に据えられたスチーム暖房器も当時の“モダン”を感じさせる。



 ロビーから見上げると2階に回廊があった。



 回廊から見下ろすロビーには暖炉に薪がくべられ、往時を彷彿とさせていた。管理人の気配りが窺われる。



 2階ラウンジでしょうかビリヤード台が置かれ、壁には日本画の壁画が保存されていた。



 窓からは白樺の白と緑が美しく赤い屋根とマッチしている様が見えていた。客室からも同じ風景が終日眺められるなら、季節を問わず安らぎの宿として留まる価値がある。



 余談だが、客室は公開されていない・・・左右にあった客室棟は取り壊されているから当然だが、本館にもいくつか客室はあったようでそれは今でも3階に保存されている。主なものは実際には使用されてはいないが皇室(天皇陛下の様だったが)を想定して設えられた和室であった・・・と、玄関を入った時妻の問いかけに気をよくして説明に2階まで付き添ってくれていた管理人さんが解説してくれた。

 余談の余談だが、説明後通常業務の風通しをするためと言いながら管理人さんは扉を開け、置いてあった結界のロープを脇に除け見てないふりをしている間に、入り口から少しだけ室内を眺めることが出来た!
 
 前述の志賀高原各地のホテルもすでに閉鎖してしまったこの「志賀高原ホテル」・「マルカン」や一時閉鎖していた「天狗の湯」、ロッジ程度だった小屋が今は立派なホテルとして威容を見せていたり、焼け額など新しいゲレンデやホテルの開設そして休業などスキーブームの全盛から現在の衰退した状態に至るまで、栄枯盛衰の様をさらしている。湿原やトレッキングコースも充実している「志賀高原」だが、閑散とした感は否めない。人混みでごった返している「上高地」や「軽井沢」などとの格差は何故出来るのであろうか?!?


秘境の名の通り!静かだった 秋山郷:新潟県津南町

2012-08-16 12:45:14 | 旅の途中で思うこと

2012夏休み・その1「前倉橋」



 渓谷に架かる赤い橋は“絵”になる。といっても何処にでもある鉄の橋、「前倉橋」は「秋山郷」の新潟県側にあった。

 今年の夏は暑い!少しでも涼しい所で夏休みを過ごしたいので北海道か北東北と思ったが、首都圏脱出の移動日を入れても3日半では遠出は出来ない。それでは少しでも高い所なら多少はましと「信州」に決めた。ところが「信州」は妻共々好きな所ナンバーワン!年1度以上はどこかに訪れている。アルプスの山の上以外は探訪済みのところが多い!それでも所々“抜け”が有るので最近使う奥の手としてその点を繋いでみた。

 夏休み13日月曜日、越後湯沢から十二峠を越え十日町へ、信濃川沿いを少し行くと津南町、山方向に逸れて国道405号を中津川沿いに遡って行く。逆巻き温泉辺りから長野県の栄村最奥の切明温泉迄12の集落を(資料によっては13とあったが)「秋山郷」と総括している。昔から“秘境”として喧伝されているが道路も整備され観光地としての道が開けてきている。といっても、国道であっても405号線前回より整備されたとはいえ、車のすれ違いの厳しい箇所も多く残っている。(20年程前に一度訪れているが、ドライブだけで下車した記憶がない)

 今回は少し事前に調べておいたが、現地に行っても肝心の誘導標示が無く、目的地・物が突如現れ戸惑ってしまった。目安にした生活道路の吊り橋「見倉橋」も確認出来ず通り過ぎ、橋のたもとに土産物店のあった「前倉橋」で車を降りることが出来た。渓谷の淵に立つと谷は意外に深く、有名観光地なら「OOの淵」など命名され、観光客立ち寄り名所となるであろう。

 写真を撮ったりおみやげ(観光地と違って?ユニークなものが多かった)を漁ったり、かなり時間をかけたがその間30分程、立ち寄ったお客は4組程であった。さらに奥のスポットを訪ねたが状況は似ていた。

 宿や駐車場確保が困難だったり、混雑で順番待ちで並んだりの有名観光地と、秘境を売りにしてもお客は通り過ぎるだけの土地、その差は何なのか、観光地の今を少し考察してみることにした。といっても所詮その場の感傷に過ぎないので、何ら根拠はない。


無彩色の世界だけですが NASPAスキーガーデン:新潟県湯沢町

2012-03-02 17:16:05 | 旅の途中で思うこと

 2月27日月曜日、主にスキー行きの為の年に数回しか取らない臨時休暇の日、残念ながら前日に引き続き雪が降り続いていました。日が射さなければ滑る意志のない妻は出かけないというので、近くて安全、何処で倒れても遭難する心配の全くないNASPAスキーガーデンへ独り行きました。平日とあってシャトルバスも本数が少なく30分に1本くらい、出かける決定が遅れたので大あわて、それでもどうにか予定の時刻のバスに乗りました。NASPAの写真はかなり掲載しているので、今回は降りしきる雪と木の枝に着いた樹氷を表現してみました。



 蔵王のモンスター樹氷原と違って、そこには日本画的なたおやかな姿が有りました。案の定スキーヤーの姿は極端に少なく、ゲレンデにチラホラと散っているだけ!!無彩色の世界に彩りを添えるのは、案内板とスキーヤーのウエアーだけでした。

 



 一人ゲレンデ下に消えて行くと次に上がってくるまで間があり、リフト山頂周辺からは人影が消えてしまいます。雪の中での撮影は“絵”になりにくいのですが、加工すると青空こそ無いものの晴天の雪景色になってしまい、味気ないのでくすんでぼやけた画像を“アート”として掲載!!!



 銀世界の中では音も吸収され無音の世界となります。雪の殆ど降らない土地で生まれ育った身で初めてスキーに行った中学の頃、夜汽車(蒸気機関車の時代なので言葉そのまま)から夜明け間近の信越本線「田口駅」(現妙高高原駅)に降りたって、周りの無彩色の世界に幻惑されたことをこんな時には先ず思い出します。


来年もよろしくお願いします :渋谷区

2011-12-31 21:44:51 | 旅の途中で思うこと

今年は色々ありましたが、やきもきしていた息子も良き伴侶を得て、

明日元旦には孫4人、総勢12人全員集合します。
旅のブログですが、「正月は冥途の旅の一里塚」
人生はこれも旅の内・・・許されて・・・。
買ったばかりのipad写真の挿入がうまくいきません。
初めて画像がないアッブとなりました。
明日元旦に追加してお許しを・・・

ややこしいので先ずは観て・・・ 続・紫雲山地蔵寺:埼玉県小鹿野町

2011-11-21 14:52:52 | 旅の途中で思うこと

 駐車場に着き車を留め寺に向かいました。記憶では寺につきものの山門も仁王門もなかったはず?(全景を写した画像にもそれらしいものは写っていませんでした。)道路から入ると水子地蔵尊がお出迎えです。



 本堂も威容を誇る??とは言い難く質素な佇まいです。



 遠くから眺めると水子地蔵に囲まれた侘び住まいの風情なのです。手前に別棟で講堂があり接待や行事に使用しているようです。



 地蔵尊像の脇に由来書きがありましたが、ホームページや配布されていた印刷物によると『近年の異常な犯罪、社会問題の多くが胎児中絶、人命軽視に関係があることを思い、埼玉県秩父の山中に、水子供養のための「紫雲山地蔵寺」を橋本徹馬初代住職が建立しました。(昭和46年9月18日落慶式)』



 水子供養とあって地蔵の数も14000を越えると聞いていますが、それだけ多くが水子としてこの世に生を受けることなく冥土へ旅立っているのでしょう。ちなみに水子の定義を調べてみましたが、早産流産死産によって生を受けずになくなった胎児、かっては幼い乳児も範疇に入っていたとの記載もありましたが(由来は「水子」が乳児に付ける戒名であること)現在は胎児を指すと有りました。

 堕胎(胎児中絶)がもっとも心に傷を負いやすいのですが、病的生理的な流産などもその当事者本人のみならず家族をも精神的不安定な状態に陥れる・・・丁度供養日であったので現住職の橋本泰雄師の講話・説法を聞くことが出来、水子を供養することにより残された者の心の病、心の病に起因する全身の病をも治すことが出来るとする寺の本旨を知ることが出来ました。如何に悩みを持つ人が多いか寺を取り巻く水子地蔵に圧倒されました。

 



 本堂はやや高台にありましたが道路の反対側にはさらに広大な斜面に水子地蔵が整然とまさにびっしりと祀られていました。



六地蔵に案内されて奥に入ると、(六地蔵は六道輪廻に基づき「地獄・餓鬼・畜生・人間・天上・修羅」が当てられていると有りましたがさっぱり理解出来ません)



全体を一望出来るポイントが見つかりませんでしたので、あとは説明抜きで全体の光景を想像してみて下さい。

 

 



 水子の由来や水子供養をwebサイトで調べる内に、不穏な書き込みもいくつかありました。「霊感商法の亜流、不安感を煽り供養と称して石屋と結託して地蔵を売りつける」というものが代表的でした。水子を供養するのは親としては当然、境内の片隅で地蔵尊を取り囲んだり、慈母観音の下に寄り添ったり、小規模の水子地蔵の集団は各地の寺院で見かけます。紫雲山地蔵寺が始めたこの水子供養に特化する試みは、各地の寺院に広がったと聞いています。供養により救われる人が多数いる事実があるのですから、これが営業活動なのかは別なのです。神も仏も現段階では関係を持とうと思わないkoba3でも、時と事情によっては神仏にすがるようになり、寄進喜捨奉納も問わなくなるやもしれません。

 この寺には宗派が書かれていないのです。水子の霊を安らがせ、その為に病む残された者の心をいやし病を除く、既成の宗教のしがらみに縛られたくない創建の意図と思われるのですが・・・定かではない・・・。これだけの地蔵に囲まれては悪心が起きることはないでしょう。



茶花はご馳走 続・神代植物公園:調布市

2011-09-26 14:05:05 | 旅の途中で思うこと

 山野草園を抜けるとそこには「植物売店」が有ります。日曜日の目的はこの売店だったのです。



 妻は細々ながら茶道の教場を開いています。ピアノ・英会話・ヨガなど“モダン”な新しい分野は次々新顔が現れ盛んになっているようですが、特にお茶・お花・日本舞踊など伝統芸能は当世若い人の“お稽古”離れ、入門者が減り収入を得るなど夢のこと、道に落ちる“道落=道楽”と考えて楽しむしかないことはそばで見ていても分かります。(最近おつきあいのあった華道専門の花屋さん、お茶道具屋さんも数軒閉店したり縮小したり)それでも少ないお弟子さんでもお茶を楽しむ段階までは達っしてほしいと、原則隔年お茶の世界と無関係な一般のお客さん共々楽しめる稽古茶会なるものを催しています。

 もちろん利益どころか持ち出しになるので、経費を切りつめなければなりません。“茶花”も茶会でのご馳走の一つ、普段地方旅行の折、道の駅などで安価に鉢植えを買い求めたりしているのですが、何しろ生き物思い通りに花を咲かせてくれません。都心の花屋さんにも常にある訳でなく、注文取り寄せとなり高価なものとなります。以前神代植物公園を紹介したのは6月梅雨時でしたがその時も茶会前、この店はさすが植物公園内ですから品揃えも良く、それでもその時は期待した花が丁度無く、今回は季節が良かったのか最適のものがあったようでした。

 店は正門近く入ってすぐのツツジ園の脇にあります。正面は前回に画像があるので、左方向に廻った女性像の辺りです。



 ツツジ園には花はもちろんありませんが、茶に近い紅色の葉や深い緑の葉がきれいに刈り込まれ、それなりの魅力があります。



 ツツジ園の小さな丘を降りると蓮池です。梅雨時には“水を得た”如く・・・当たり前!・・・蓮の花が咲いていましたが、蓮池の蓮には花がありませんでした。



 その先に松に囲まれたもう一つの池があり、よく眺めるといくつか花が認められました。9月とはいえ灼熱に近い太陽の元では、似合わない???

 

 来た時とは違う道を辿って戻ります。藤棚の先に噴水が・・・バラ園です。



 真ん中の噴水を取り囲むように沢山のバラが植えられています。花の季節には歩けない程の人波で埋まりますが、この季節よく探せば一輪くらいはある程度ですから、静けさが楽しめました。