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北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

猿が怖かった! 志賀高原:長野県山ノ内町

2012-08-24 14:19:58 | 山歩き

2012夏休み・その4「信州大学志賀自然教育園」



 これは「信州大学志賀自然教育園・自然観察路」の案内図である。表の道路から見えるところにあったわけではない。

 奥志賀方面からの道路、ジャイアントコースの下をトンネルで抜けると蓮池で志賀草津道路にT字交差する。この交差点前回来た時その又前に来た時と構造が変わっており、思わず反対方向に行ってしまった経緯がある。丸池方面は立体になっており右折せずに流入する。熊ノ湯草津方面は平面交差で、志賀草津方向が優先で此方は一旦停止しなければならない。左に折れて少し行くとカーブの途中右側に広場があり、そこが「信州大学志賀自然教育園」の駐車場になる。カーブの先いきなり現れ!反対側でもあり今回も通過する所であった。(前回・・・十数年か数十年前??は駐車場はもっと狭くもっと分かりにくくカーナビのない時代、一度通過して戻っている。)小さな看板一つ・・・走行中は読めない程・・・とバス停の標識が目印くらい。

 駐車場からかなりの車が行き交う道路を必至に渡って、入り口を示す小さな案内板に導かれて林に入った所に案内図はあった。かなり久しぶり(2回目に過ぎないが)なので、記憶はほとんど無い。林の中を前もってwebサイトからプリントアウトしておいた案内図に従って「下の広場」へ向かった。



 本館資料館などがあるが、散策が目的とりあえず長池へ向かった。林の中かなり騒がしい。長池湿原の笹原の中に猿がいた。

 

 見渡すと木道上に居座り近づいても無心に笹を食していた。林の中にもかなりの数がいるようだった。この辺りにはかなりの観光客もいたが、人間が猿を避けて行動していた。やっと湿原の先「長池」に着いた。静寂な山の湖、それはそれで良いのだが湿原は笹原に変わり果て今はなにもない、紅葉の季節に来るべきであった。



 長池を離れ回遊出来るトレイルコースを展望台まで行くことにした。「上の広場」迄は上り一方高度のある志賀高原といえどもかなり暑い!灌木の林の中花も無く変哲のない雑木の中を行く。上の広場は草原であり、その先に風穴があった。涼しい風が吹き抜けるとあったが???岩の陰にヒカリゴケ有りの解説、覗いてみたがかすかに見える緑がそれ?接写してみたがピンぼけだった!でもかすかに光っている???



 さらに登った所に湿原の木道が現れたが、ここも笹原と化していた。巻機山や小田代ヶ原、各地で出会った湿原が湿原として存続出来なくなっているように思える。地球温暖化の影響?“湿原→笹原→灌木の林→森”の変化は自然の摂理と前に何かで読んだ記憶があるので、地球の老化現象と考えるべきか?(この記述は巻機山・戦場ヶ原の項で記載した記憶もあるが・・・)それにしても速度が速すぎる!!



 さらに登った所に「クロベの巨木」はあった。クロベ=ネズコとあったが我が家の表札とお気に入りの手つき盆は“ネズコ”である。それにしても巨大で、足場の悪い尾根ではカメラを退けず一枚の画像には収まらなかった。

 



 展望台までたどり着いたが妻の口癖「展望台で展望が良かった試しがない」ここでは外れた。蓮池方面、さらに高原を下った上林・渋・湯田中温泉の街並みまで見渡すことが出来た。



 確かに展望は良かったそれもそのはず!崖に出っ張った岩の上に長い板を置いただけ、手摺りも柵もなにもない!体が泳げばそのまま飛行体制に入れる!!高所嫌いの我が身1分と立っていられない!故にシャッターはこの2枚しか押していない!!


町立と市立の文字が? 続・都立野山北・六道山公園:武蔵村山市

2012-06-11 15:34:59 | 山歩き

 かなり広い都立公園ですが、立て札やガイドには「武蔵村山市立野山北公園」や「瑞穂町立六道山公園」の表記がありました。ガイドにもweb上でもはっきりとしたことは分かりませんでしたが、六道山の展望台辺りが町立の公園で、カタクリの湯や隣接する運動場・プールなどの施設が市立の公園と推測すれば納得です。谷戸の周りや里山民家の周りも含め全体は雑木林に覆われています。



 青梅街道から民家の間を通って公園敷地に入ると雑木林は始まります。平坦地のたんぼや谷戸から散策路は縦横に巡らされていますが、公園内を移動するには坂を上がることになります。



 尾根には公園境界をほぼ東西方向に道が続いていますが、狭山湖方向には柵が巡らされていて直接は下ることが出来ないようでした。樹木や動物の生態保護保存のためでしょうか。水道局管理と聞きましたから、水源林としての保存??



 公園のほぼ中央辺りなのでしょうかインフォメーションセンターのある管理事務所を目指して行くと刈り込まれた植栽のある平坦地に出ました。ガイド図によると「六地蔵」と記されていましたが、この石碑しかありません。よく見ると写っている面に双地蔵が彫られているのが認められたのですが、この石碑に六体あった・・・??どうやら文字の彫られている面以外三面にそれぞれ二体、合計で六地蔵が彫られているようでしたが見落としたようです!



 六地蔵の広場の端から先は窪地になっていて作業用の建物など数棟が並んでいましたが、インフォメーションセンターの建物がありました。中では係の人が執務中で、休憩スペースやパンフレットの展示などがありました。売店や食堂は無さそうなことは感じていたのですがうかつにも手ぶらでやって来たので、建物脇の自販機でやっと水分にありつきました。



 管理事務所から続く車道に沿って降りて行くと最初の谷戸に着きましたが、中高年の集団にぶち当たりました。同じ方向に進むはず、先を急ぎました。



自然が自然な形で残されて 都立野山北・六道山公園:武蔵村山市

2012-06-08 14:58:39 | 山歩き

 GWのレポートを長々と綴っている内に6月に入り、天気図には梅雨前線が現れ台風もいくつか発生している様子です。身内に不幸もあり葬儀などであたふたしている内に5月はあっという間に過ぎてしまいました。それでもやっと落ち着いた5月20日晴天の日曜日、里山歩きに「都立野山北・六道山公園」に行きました。



 もう何年か前に存在に気付き、関越・中央方面に出かけた折機会が有れば立ち寄ろうと思い案内図をwebサイトから落としプリントして車に積んであったのですが、娘のブログにGWに行った旨記載されていて「残念先を越された!」・・・!

 園内地図を見ると駐車場はいくつかあり、何処を目的地に定めるか迷いましたがとりあえず管理事務所の電話番号をカーナビに入力して、案内通りに車を走らせてやって来た所、ガイド以上に広い駐車場があり間違いかと疑りました。丁度車から降りた家族連れに地図を見せて聞いた所、「カタクリの湯」の駐車場であることが分かりました。温泉とその付帯施設のプールなどが改修閉鎖中で、駐車場が広く使えたようです。管理事務所・温泉施設とも武蔵村山市の管理ですから同じ電話番号が???案内してくれたようでした。入り口から上り坂にかけては「あそびの森」でした。



 森の中のアスレティック、子供たちが目を輝かせて走り回っていました。



 『都立野山北・六道山公園は、首都圏に残された「緑の島」、都立狭山自然公園の一角にあります。』と。武蔵村山市の市立公園も一部を占めているようで、体育館やグランドも隣接してあります。公園は冒険の森・あそびの森・里山・谷戸・里山民家などいくつかのゾーンに別れており、子供にとって一日中走り回って楽しむことが出来るでしょう。もちろん大人でも!!

 天然の材木をふんだんに使った遊具の先には谷越えの「ターザンロープ」と呼ぶのでしょうか此方の坂上から谷の向こうの支柱までの鋼鉄製のワイヤー上を滑車の付いた輪っかをつかんで滑走して行く、歓声が上がっていました。谷を避けて坂上の里山歩きに向かったのでしたが、公園を巡って帰路についた時、ロープの先にも遊具の広場があったことが分かりました。



 妻が娘のブログにあったので懸命に探していた長~~い滑り台がそこにはありました。



 好奇心旺盛な妻!もちろん幼子の間に交じって滑り降りてきたのは言うまでもありません。


森林浴と青い空 長門牧場:長野県長和町

2011-10-18 12:39:44 | 山歩き

 青空の下牛が寝そべっていました。草原の彼方にはレストハウスの建物が見えます。



 連休2日目9日、朝1時間だけコートに空きがあったのでテニスをしてハイキングに出かける予定でしたが、ベルデ武石近くの「巣栗渓谷」は土砂崩れのため通行不能とのことで、(昨年の巣栗渓谷の画像はここここ) 予定を早めて長門牧場にやってきました。ベルデも朝はかなり冷え込んでいましたが長門牧場は高度がやや上なのでかなり冷え込んでいて、冬装束の客も見受けられました。!!少しオーバーですが!!青空が見えているのですが見渡すと牧場の上だけ雲の固まりがあり日を遮っていました。それでも正午を過ぎると雲は去り抜けるような青空が広がり、気温も上がってきました。森林浴に出発します。



 森に入り灌木の間を縫っていきます。爽やかな風が吹き、日が降り注いでいました。



 散策コースは他にも草原コースがあり、見晴らしの良いそちらのコースへ客のほとんどが行ってしまうようで森の中は我々以外人の気配はありませんでした。多少のアップダウンを繰り返し最後の上りの先は青空が抜けていました。



 草原に出るとレストハウスと牧草のピラミッドが聳えているのが彼方に見えています。蓼科山が壁紙絵の役割を果たしています。



 昨年もこの地で蓼科山を撮っていますが、牧草のピラミッドとのコラボは思いつかなかったので新鮮な画像が得られました。そこここに置かれた牧草の包もハロゥイン仕様になっていました。


小さな秋見つけた・・・ 烏帽子岳:長野県東御市

2009-10-07 11:50:44 | 山歩き

 写真整理に手間取り、2週間前の画像になってしまいました。今頃は紅葉もそろそろ見頃を迎えていると思いますが・・・。

 烏帽子岳鞍部への登り、多少うねりながらもほぼ直登気味に高度を上げて行きました。谷の向こうは湯の丸山です。



 浅間山方向、雲に霞んで浅間山は見えませんが、湯の丸スキー場の彼方に東・西篭ノ登山がシルエットで浮かんでいました。



 全山赤黄とはいきませんが、そこあそこと色付いた木もありました。写真は便利です、切り取るといかにも秋真っ只中の雰囲気が出せます。昨年の浅草岳(ここここ)、一昨年の巻機山に比べ登山口からの距離も短く高度差も少ないので、一登りといった所でしょうか。鞍部まで登ると、下から見えていたピークが目の前です。



 ピ-クの先端に立つと、尾根道の脇がまだらに染まった烏帽子岳の頂上が目の前に迫っていました。



 頂上は岩山でしたが、やや広い空間がありました。期待してきた小諸や佐久の田園風景や町並み、八ヶ岳や蓼科の山並みは霞んで殆ど見えませんでした。

 

 今登ってきた尾根道を振り返ると、そこには“秋”がありました。



 今一枚の画像があります。地面をはう様に赤、黄、茶、緑が散りばめられています。偶然撮影できたのですが、登りでは見なかった風景なのです。



 それに気づいたのは、下山道が消えた後でした。消えた!!!のです。鞍部で直角に谷へ下りるのに気づかず、そのまま尾根道を進んで次のピークまで行ってしまい、道が途絶えてしまった!いえいえ、迷ったのではありません。道脇には谷側にロープが張られ誘導してあったのですから!ピークの上から鞍部の道標を見ていると、頂上からの下山者がその位置で姿を消すのが認められ、下山道を確認事なきを得ましたが、30分程のロスタイムとなりました。多くの登山者が、意図的に又は誤って踏み込んでいるらしく、水道ではなくはっきりと踏み跡になっていました。結界を置いた方が良さそうです。連休3日目の9月22日、午前中の上り下りで視界もあり、ヤレヤレでした。

 同じ時同じコースですが、多少アングルの異なった大きい画像を、副blog「気の向くままにVer2http://nokunn.exblog.jp/)」に掲載しました。(そちらは画像クリックすると写真更に大きくなります。)


紅葉を探してみました 地蔵峠:長野県東御市

2009-10-06 11:31:23 | 山歩き

 翌9月22日、目を覚ますと雨は既に止んでいましたが、曇り空は相変わらずでした。いよいよ信州北回廊を離れ、メインイベント浅間外輪山のはずれの山行きです。紅葉には早いのですが、高い所ならばまんざらではないと希望を繋いできたのです。TVの天気予報でもこれ以上は降らないとありましたので、早めに出発でした。地蔵峠の駐車場には早くも車がかなりいましたが、連休とはいえ紅葉には早いのでそこそこの量?ガラガラ??



 ソフトクリームのモニュメントが林立していて、下山後の楽しみとしました。鹿沢から新鹿沢・地蔵峠(湯の丸高原)にかけてのから松林の雰囲気が好きです。特に国民休暇村辺りの黄金色の紅葉は何度見ても素晴らしく、少し早くて期待薄でしたが通ってみようと、群馬県鹿沢温泉側から上がりました。峠は長野県東御市と群馬県嬬恋村の県境、地蔵峠なので地蔵さん??地蔵峠の由来は知りません。



 から松は先がやや黄ばんだ程度で、盛りは後2週間程先でしょうか?



 それでも探して探して秋を切り取ってみました。

 



 ススキに埋もれた道標に導かれて出発です。キャンプ場までは車の通れる程の緩やかな登りの砂利道です。そして車止めの先からは、白樺とから松の林の中を行きます。



 林の先には臼窪湿原が見え隠れしていましたが、あいにくの曇天なので草紅葉の筈が枯れ野原に見えてしまいます。



 湯の丸山と烏帽子岳との間の谷間を小1時間程で、登りの分岐に着きました。右に行けば湯の丸山、左の登りは烏帽子岳です。見上げるとピ-クが見えますが、あれは頂上ではありません。ピークの手前の鞍部に直登し、ピークまで登るとやっと頂上が見えます?・・・筈です、晴れていれば!



 白秋や藤村の作品から、浅間=から松と思いこんでいます。落葉松であるとの記載もありましたが、落葉松はから松の事のようですからこれで良いと信じましょう・・・         つづく・・・


豊かな水の湿原 続・西吾妻山:山形県米沢市・福島県北塩原村

2009-07-31 09:18:58 | 山歩き

 大凹から見上げると梵天岩の辺りに大勢の人影が見えました。登りはそれほど急ではないので、余裕で辺りを見渡すとそこかしこ足下に池塘が在りました。



 いつも不思議に思うのは、頂上直下の川も水脈もなさそうな所に、枯れること無い湿地があることです。「高層湿原」という言葉がありますが、特に“高地”にあるという意味でなく、構造から来る分類であることを知りました。webサイトのあちこちで詳しくは解説されていますが、「地質上からの分類で湿原の内、低層湿原:地下水脈や川に由来するもの、高層湿原:水脈とは繋がらず主に雨水に依るが、成り立ちの泥炭層などで湿潤が保護されているもの」と、単純に理解していますが、多少飛躍した解釈かもしれません。

 梵天岩では大勢の登山者が一息入れていました。そこそこに眺望もあり、大きな岩は腰掛けての休息には適しているようです。岩陰にはシャクナゲであろうか咲いていましたが、鞍部の湿原でなく岩山の一隅に咲いているのはどうしてなのだろうか、一瞬首をかしげてしまいました。

 

 梵天岩からやっと西吾妻山の頂上が眺められましたが、一旦下ってのぼり返す様でした。



 その窪地にも、湿原は広がっていました。吾妻連峰の最高峰ですからかなりの高い所、頂上直下にも池塘は生き延びていました。三年前に登った「巻機山」では、すでに草原と化していましたが・・・。



 西吾妻山頂上からの下りは道を変えて、西吾妻小屋・天狗岩の方向へ向かいましたが、梵天岩・天狗岩は同じ高台にあり頂上の尾根続きですが、直接の道はなく一旦下って登り返す様コースが付けられていました。登りと反対側の窪地にも湿原はありました。まだ青空は残っていましたが、下から湧き上がってくる霧(実態は雲なのですが)に包まれた池塘を上から望むと“絵”になります。



 下りのリフトで下界を撮影しようと張り切っていたのですが、雲が湧いてきて視界を遮ってしまいました。上空は青空なのにです!!



 リフト、ロープウエーと乗り継ぎ、白布高湯温泉「白布森の館」の共同浴場で汗を流しました。公営施設ですから料金は安いのです。男湯はスキスキでしたが、妻の入った女湯は混雑していて入った気がしなかったと不平を言われてしまいました。

 来た時と反対方向に西吾妻スカイバレ-白布峠を越え、裏磐梯高原から猪苗代湖畔まで降り、名物の蕎麦を早い晩飯として食し、東北道はその時間でも渋滞はかなりあると交通情報にあったので、遠回りでしたが常磐道経由で帰路に就きました。作戦成功!常磐道は十数分の渋滞のみで無事帰宅し、7月19・20日の連休は終了しました。さて、次は盆休み!!!


棒杭1本の山頂です 西吾妻山:山形県米沢市・福島県北塩原村

2009-07-29 11:42:28 | 山歩き

 ついに西吾妻山の山頂に立ちました。悲願数十年!!!とは大げさですが、5・6度目の挑戦となります。しかし、画像は棒杭1本だけです。



 頂上は背の高い木に囲まれ、円形の広場とは言い難い僅かな地面が覗いているだけ、眺望も岩山もありません。従って頂上での映像はこれ一枚だけです。途中のカモシカ展望台辺りからの展望の方が良かったのです。



 前日は雨だったのでグランデコからの西大顛経由の登山はあきらめましたが、翌7月20日は青空も覗き、この機を逃すことはないが夜までには帰宅しなければならず、時間短縮のため天元台コースを選びました。白布高湯に車を止め、ロープウエーで天元台高原へ登りましたがそこは広々とした台地、雪のないスキー場は多少寒々した感じでした。

 



 この先3本のリフトを乗り継いで高度を稼ぎましたが、果敢に徒歩で挑んでいる登山者も居た様でした。米沢方面も、雲の切れ目から望むことが出来ました。

 



 リフトを降りカモシカ展望台に登り着いた後、大凹へやや下りました。そこは水場もあり冷たい泉も湧いていて、木道の脇の池塘には高山植物の花も咲き??咲いてはいましたが意外に少なく、狭い木道、登山者が続いていて写真撮影もままならずでした。



 西吾妻登山は学生時代クラス旅行の帰り、仲間と福島市側の磐梯吾妻スカイライン浄土平から一切経山を経て吾妻連峰を縦走する計画を立てましたが、やはり天気が安定せず断念して行き先を那須茶臼岳に変更したのが最初の挫折でした。そして9年程前、米沢に宿を取っていて初日やはり猛烈な雨で登山を断念し最上川を周遊、翌日雲が多いので福島側裏磐梯からの登頂を目指し、西吾妻スカイバレー白布峠から西大顛まで登りました。西大顛頂上は全くのガスの中、数グループ居た登山者の顔も近づかなければ分からない程、西吾妻山方向は更に濃い霧に閉ざされ、そのままUターンしてしまいました。

 今回も初日は雨、二日目にやっと登頂を果たしたのでしたが、百名山の一つとはいえ頂上は前述の如し何もないのです。いくつかある岩山のピークと、豊かな水をたたえる池塘が名山としての魅力に繋がっているのでしょうか。

もう少しつづく・・・・・・・


雨上がりの森林浴は命の洗濯! ケヤキの森・磐梯熱海温泉:福島県郡山市

2009-07-24 15:59:45 | 山歩き

 日曜日、郡山浄土松公園を後に裏磐梯に向かう途中に「磐梯熱海温泉」はありました。深くも大きくもありませんが、ささやかな渓谷に沿って、ホテルや旅館が建ち並んでいました。かっては団体の貸し切りバスが何台も連ねてやって来たでしょう、巨大なホテルも現役で稼働していました。「ホテル華の湯」の一部です。半分ほどしか写角に入らなかったのです。



 道路反対側のプールが賑やかで、子供連れが大勢ホテルとの間を水着で行き来していました。プール脇の大きな駐車場の横に、旅館「離れの宿 よもぎ埜」がありました。

 

 本館は喜多方の蔵のイメージで造られていますが、宿泊は奥の木立の中に散在する木造の離れとなっていると聞いています。いわゆる高級料亭旅館の分類に入りますから、おいそれとは泊まれません。それでも妻はかって“お茶仲間”と連れだって宿泊したことがありました。全てが一生一度の夢心地の状況だったと懐かしがっていました。本館脇の柴折り戸の先、露地と茶庭とお茶室がかいま見られました。さすがにずけずけとは入りがたかったので入り口から・・・。

 



 磐梯熱海温泉には料理旅館が多くあり、今でもお客を集めていると聞いています。それでも流行の“足湯”も中心街の道路脇に設えられてありました。

 

 ここに立ち寄ったのは、「ケヤキの森」の散策でした。



 森の入り口の小さな橋を渡った先、神社脇には紫陽花が盛りと咲いていました。東京ではすでに枯れてしまっていますが、季節は多少のずれがあるので、二度も三度も花が楽しめる!これも旅の醍醐味でしょう。



 歩きやすい散策路は多少のアップダウンを繰り返し、周遊する様に作られていました。青空の見えている昼近く、ケヤキの巨木が森を埋め尽くし、昨晩からの雨に濡れて、最高の森林浴でした。



 猪苗代湖を経て裏磐梯高原桧原湖に着いた時は、かなり雨脚は強くなっていました。次回のこともあるので、登山基地として予定していたグランデコ・スキー場のケーブル乗り場迄行ってみましたが、それでも駐車場にはかなりの車が止まっていました。雨の中登っていった人もいるのでしょうか。その日は登山をあきらめていたので、十数年前から無料になっている西吾妻スカイバレ-白布峠越えで、宿泊地の米沢へ向かいましたが、雨と霧で前が見えず、徐行運転を余儀なくされました。山に登ったとしても、何も見えない!!!

 せっかくの高速道千円乗り放題、この日は一度も利用していませんでした!?!


池は涸れていました 羽衣の池:山梨県北杜市

2008-10-31 18:29:32 | 山歩き

 山は紅葉の盛りの只中、明日土曜日は仕事、日曜日はイベントの手伝いと今年の秋は山行きはあきらめムードです。首都圏からの紅葉狩りといえば、日光、伊豆箱根が思い浮かびますが、人出の多さも一番です。もちろんかってはめげずに行きましたし、団体での旅行も数有りました。最近では、高速道路の発達もあり、行かれる範囲も広く多くなり、日帰りさえ可能になったところも増えました。

 岡山後楽園に続き探してみると、紅葉の写真の中には八ヶ岳も多くあります。近年それだけ身近になったということでしょうか。ブログ内で何回かに分けて紹介していますが、川俣川東沢の滝なども行っていますが、かなり前なので行方不明になっています。(いずれ現れるでしょう)

 平成17年(2005)10月30日ですから、丁度3年前になります。すでに紹介した天女山から出発して、八ヶ岳の山麓を巻くように赤岳を左手に見ながら、美しの森まで行きました。紅葉の盛りでしたが人出は思いの外少なく、トレッキング中は数組のハイカーにしか会いませんでした。美しの森周辺は赤く染まり、遠くには唐松でしょうか黄金に輝いていました。



 天女山の駐車場に車を置いてきたので引き返さなければなりませんでしたが、帰路のコースは少し山寄りに取りました。美しの森の奥、少し上ったところにある羽衣の池を目指しました。天女と羽衣、ストーリーが出来そうです。
 柵に囲まれた“池”は、もはや“草むら”と化していました。高地にある池、湿地の運命なのでしょうか、池→湿地→草原→灌木の森の変遷は、数十年、数百年、数千年の差はあっても、自然の摂理で変化して行くものと、何かの書物で読んだ記憶があります。日光戦場ヶ原が、その代表例であると・・・。



 羽衣の池からは、一気に谷へ下りました。川俣川渓谷です。



 赤や黄色に彩られ、岩を洗う水の音を聞きながらしばらく併走しましたが、すぐに谷を後に丘を登り牧場のある草原に戻りました。川俣川はこの先東沢大橋の下をくぐる頃には、深い渓谷東沢となり、吐竜の滝などのある絶好のハイキングコースとして、甲斐大泉まで続きます。
 翌年10月、仲間と行った時、東沢大橋からの八ヶ岳主峰の赤岳の雄姿です。