漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

ピストル自殺したサムライ

2011年09月18日 | 

徳川幕府に殉じて「ピストル自殺したサムライ」、

川路聖謨(かわじとしあきら)の伝記を読んでいて、

幕末、日米の通商条約に関して、
天皇の勅許(ちょっきょ)、つまり「天皇のOK」が得られず苦悩する処でふと思った。

いま、もし、
今上天皇陛下が「内閣の認証を拒否」したらどうなるのだろうかと。

現在の法制のもとでは、

新閣僚たちは皇居へ行って、
天皇陛下に認証してもらうことで、めでたく大臣となるわけだが、

その時、天皇陛下が、
「こんなヤツ、大臣として認めるのヤーダよ」と言って、
皇居の一室に立てこもり、出て来なければどうなるのかな、と、そう思った分けです。

まぁ、それでも、
憲法を改正せねば大臣になれないと云うほどのことは無さそうだが、
でもマァ、そんなことになれば「大もめにもめる」ことだけは間違いなかろう。

川路聖謨が苦心した幕末のこの一件は、

時の大老・井伊直弼(いいなおすけ)が、

孝明天皇の「勅許拒否」、
つまり天皇のOKなし、にもかかわらず、

条約の締結を強行し、

そのことへの反発から彼の暗殺、
西国雄藩の反乱など、幕末維新の動乱へと突入していく分けですが、

しかし、時の孝明天皇は、
政治的思惑があっての「勅許拒否」ではなく、

単に「外国人嫌い」であったための拒否であったと云う。

つまり、「蛇や毛虫が嫌いな人」と同じく、
病的なほどに「異国人を嫌った」ことからの拒否であったらしいのだ。

当時、幕府の要人たちは、
かなり世界情勢に通じていたが、

天皇および公家社会の人々は、外国事情に疎(うと)く、

異国人が上陸することは、
「日本の国土が穢(けが)れる」と云う感覚だったのだそうだから、

明治維新は、
孝明天皇の外国人に対する意識、

「あんなヤツら大嫌いだから認めないよ」から始まったと思うと、ちょっとオモシロイ。

なにせ、もしこの時、

天皇の勅許が簡単に下りて、
スムーズに条約締結となっていれば、

幕府はもっと長生きしたろうし、
考えようによっては「明治維新が来なかった」のかもしれないのだから。


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【川路聖謨】かわじとしあきら(1801-1868)

江戸末期の幕臣。豊後の人。
本姓、内藤。勘定奉行兼海防掛として外交に携わる。

1853年長崎来航のロシア使節と交渉。
また、日米修好通商条約勅許獲得に活躍した。

江戸開城の翌日にピストル自殺。

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※ 川路聖謨がピストル自殺したのは、
  中風などの障害により、切腹が出来なかったからである。





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