漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

ペリーの時代

2013年06月27日 | 

最近、韓国の新聞がなげいていました。
韓国の現役中高生のうち、
半分以上が

「朝鮮戦争勃発の年を知らない」と国の調査で分かったと云うことで。

な~に、日本の学生だって、
第二次大戦の始まりの年を聞いたら、似たような結果だろう、と思ったのですが、

あちらは、形式上とはいえ、
一応、「休戦中」でしかないのだから、こちらとは多少事情が異なるのかもしれない。

処で、意外に知らないと云えば、
幕末、ペリーが黒船をひきいて日本に来たことは誰もが知っているが、

彼の艦隊が、
太平洋を横断して来たのではない、と云うことはご存知だろうか。

関川夏央氏の著書、
“「坂の上の雲」と日本人”は、
「坂の上の雲」を読んだ事のない人にでもお勧めできる良書ですが、

その中で、氏がこんなことを書いています。

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1853年にペリーの小艦隊が日本に来たものの
1861年には南北戦争が起こります。
ペリーは、喜望峰、インド洋をまわってきたのですね。

私は小学校時代から太平洋を横断してきたのだろうと信じきっていました。
まだ太平洋はアメリカの海ではなかったのです。
 (中略)
突然1878年いまのアメリカ領サモアを接収します。

1887年にハワイの真珠湾に基地を租借し、
それからミッドウェーを手に入れる。

沿岸海軍から外洋海軍への脱皮の条件は、貯炭場と海底電線です。
帆船時代には長距離航海が逆に可能でしたが、、
機関を持つ船には燃料の補給なしにはできません。

有力な貯炭場、海軍基地、通信用海底電線の揚陸地としてハワイの価値ががぜん増し、
アメリカはこれを強引に併合したのです。

ハワイ、ミッドウェー、サモア、グアム、マニラ、
これらを地図上で眺めますと
太平洋における艦隊行動には絶対欠かせぬ補給点であることがおわかりになるでしょう。


  ~~~~~~~~~~~~~~~~~


関川さんは、
これによってアメリカは「太平洋を手に入れた」のだと書いています。

先日、米中首脳会談で、
中国の親分が、
「太平洋は米中両大国が共存できるに十分な広さがある」と言いましたが、

そこに日本の名も、他の太平洋諸国の名も出ませんでした。

その談話を読んで私は、
ちょっと、ペリーの時代の外交の、剣呑な空気を思い浮かべました。







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