世の中には「不憫(ふびん)な女性」と云うのが居ますね、
別に本人が不幸だと言ったわけでもないし、
貧しくも無い、それどころか、世間よりは、ずっと良い暮しをしている。
それでも「しあわせそうに見えない」女性。
ちょっと前の宮沢りえさんや、レスリングの浜口京子さん。
人並みすぐれた美貌や才能に恵まれているのに、
なぜか、不憫に見えてしまう。
もちろんご本人は不幸だなんて思ってないでしょうけれど。
この「不憫」と云う字もふしぎといえばふしぎ、
「憫(あわ)れ」を「否定」しているのだから、
「幸せ」でも良さそうなものを「かわいそう」な意味になるのですからね。
尤も、ものの本によると、
「ふびん」の元々の字は、「不便」なのだそうで、
「不憫」は当て字なのだそうですけどね。
それに、「可愛い」と云う字も当て字だそうで、
可愛いのもともとの言い方は「顔はゆし」で、
「顔をまともに見られないほど気の毒だ」と云う意味だった。
それが、室町時代のころ、
「気の毒→大事にしてあげたい」と云う処から、
今のような使われ方に変化したのだそうです。
してみると、
私が勝手に思ってる「不憫」とは、
実は、
単純に「可哀想でいとおしい」と云うことなのかもしれません。