今年七十歳になったと云う、
ある団塊の世代の方の経歴です。
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1950年鹿児島県生まれ。
大学卒業後、外資系企業に就職。
40代半ばで退職し、
貯金と退職金で生活しながら、文章修業をする。
50歳のとき、鹿児島に帰郷、
巨大企業Q電力の下請け検針サービス会社にメーター検針員として勤務。
勤続10年目にして突然のクビ宣告を受ける。
その後、介護職などを経て、現在は無職。
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この方の転機は、
作家を目指し40代半ばで離職したこと。
作家として成功するなら、
著名人によくある成功物語となるはずでしたが、
残念ながらそううまくは行かず、
50歳の時、電気メーターの検針員に。
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電気メーターの検針は簡単である。
電気メーターを探し、
その指示数をハンディに入力し、「お知らせ票」を印刷し、
お客さまの郵便受けに投函する。
1件40円。
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この単純な仕事を選んだのは、
当時がが就職氷河期だったと云う事もあろうが、
作家を目指す「志を持つ者」として精神の自由を選んだのだろう。
実際、
この仕事に就く時、
「あなたは一国一城の主です。
社長さんです。
稼ぎは社長さんのがんばり次第です。
がんばってください」と言われたそうだ。
つまり、
精神的には自由だが、何の保証もない生活。
そしてその仕事を十年続けた六十歳の時、
メーターが自動読み取りとなって契約打ち切りを宣告される。
それから十年、
その当時の経験を書いた「メーター検針員テゲテゲ日記」が出版され、
念願だった作家となる。
氏は書いておられる。
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私は慎ましい生活で十分である。
人生には少しのお金と、少しの生活道具があれば十分なように思う。
そして多少の仕事と、
自分が没頭できるものがあればよいと思う。
(「あとがき――メーター検針員、その後」より)
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この方、川島徹氏の生き方も、
愚直に懸命に生きた昭和人と云うモノのひとつの姿なのだろう。