漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

「メーター検針員テゲテゲ日記」

2020年09月06日 | 

今年七十歳になったと云う、
ある団塊の世代の方の経歴です。

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1950年鹿児島県生まれ。
大学卒業後、外資系企業に就職。

40代半ばで退職し、
貯金と退職金で生活しながら、文章修業をする。

50歳のとき、鹿児島に帰郷、
巨大企業Q電力の下請け検針サービス会社にメーター検針員として勤務。

勤続10年目にして突然のクビ宣告を受ける。

その後、介護職などを経て、現在は無職。

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この方の転機は、
作家を目指し40代半ばで離職したこと。

作家として成功するなら、
著名人によくある成功物語となるはずでしたが、

残念ながらそううまくは行かず、
50歳の時、電気メーターの検針員に。

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 電気メーターの検針は簡単である。

 電気メーターを探し、
その指示数をハンディに入力し、「お知らせ票」を印刷し、

お客さまの郵便受けに投函する。

1件40円。

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この単純な仕事を選んだのは、
当時がが就職氷河期だったと云う事もあろうが、

作家を目指す「志を持つ者」として精神の自由を選んだのだろう。

実際、
この仕事に就く時、

「あなたは一国一城の主です。

 社長さんです。

 稼ぎは社長さんのがんばり次第です。

 がんばってください」と言われたそうだ。

つまり、
精神的には自由だが、何の保証もない生活。

そしてその仕事を十年続けた六十歳の時、

メーターが自動読み取りとなって契約打ち切りを宣告される。

それから十年、
その当時の経験を書いた「メーター検針員テゲテゲ日記」が出版され、

念願だった作家となる。

氏は書いておられる。

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 私は慎ましい生活で十分である。
人生には少しのお金と、少しの生活道具があれば十分なように思う。

そして多少の仕事と、
自分が没頭できるものがあればよいと思う。

(「あとがき――メーター検針員、その後」より)

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この方、川島徹氏の生き方も、

愚直に懸命に生きた昭和人と云うモノのひとつの姿なのだろう。

 

 


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