ミュウタントのブログ

日本国憲法第9条は地球人類の宝、それを改悪するための日本国憲法第96条の改正に反対!

子供を虐待するのはもうやめてほしい

2010-04-21 02:01:59 | 幼児、児童虐待
 幼児虐待、児童虐待について、いち早く知りうる立場にある人々、幼稚園や保育園の教諭、保母さん、学校における教師、医者、看護士、保健婦、いち早く虐待の事実を掴む可能性が高い職種についている人たちに、児童虐待防止法は、福祉事務所、行政、警察などに通報することを義務付けています。
 家族間のことに警察はなかなか踏み込めませんでした、(民事不介入)しかしことは「殺人」に発展してしまうことなので、警察にもこの点においては積極的に動いてほしいものです。
 確かにコメントにあったように通報義務を負っている人たちの怠慢を攻め立てても、この問題は解決しないということはその通りなのですが、助けられた命があったということを「通報義務があった人たち」「知り得たのに、何にも行動を起こさなかった」「両親が子供に合わせない、大丈夫だといっていたから」というような言い訳しかいえない結果にならないように、たとえそれがいらぬお節介であっても、引きこもりの子供を抱えた家族、子育て真っ最中の家族、みんなで見守っていかれたらと思うのです。監視をしろといっているのでは、決してありません。子どもの命はかけがいのないもの、「命どう宝」ということをもう一度真剣に考えてほしかったのです。
 親になることは教科書には、載っていません。連れ合いが妊娠し、予定月が来ればこともが生まれてきます。そこから子供と向き合う生活が、始まります。
 子供にわが子として生まれてきてくれてありがとうと言える親でありたいと思うのです。赤ん坊はそのかわいいということで、一生分の親孝行を親にしているとも言われています。子供が生まれたから親になるわけですが、その子にふさわしい親になれるかどうかは、子供とともに親として成長していけるかどうかだと思っています。親になることなんて、教科書のどこにも書いてありません。子育てのHow to本はたくさん出ていますが、型にはまった一般的なことしか書いてありません。
 うちの子供は成長が遅い、言葉をなかなかしゃべるようにならない、おしっこを教えない、夜泣きをするなどなどどれをとっても不安なこと、親にとってはいらいらする事柄なのですが、ゆっくりあせらずに子供と向き合って行ってほしいものです。言葉をしゃべるようになった、歩くようになった、そのときの感動を味わったら、手を上げたくなったら、子供がなぜそんな態度になっているのか、何を下から怒っているのか、ちょっと冷静になる時間があったらと思います。
 子供は親のペットではありませんし、ましてやおもちゃでもありません。生きている人間だということ、自分が責任を持って成人するまで育て上げるという自覚が親になったものに求められているのだと思います。
 子連れの女性と一緒になって、泣き喚く子供についいらいらして手を上げる、男に嫌われたくないから女もそれに加担し、エスカレートして「子殺し」に発展してしまう。こんなことはもう耳にしたくもありませんし、起こってほしくはありません。子育てを放棄することももってのほかです。でもやむをえない事情があるならば、子供を手放す=里子に出すという方法を考えてほしいものです。無理に育ててこの子さえいなかったらと「殺意」を抱くようになったら、親も子供も不幸ですから。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2010-04-21 10:23:54
同感です。

子供を授かるのは有り難いことであり、また神様の意思も働いていると感じます。

命に畏敬の念を抱かず、子供は自分のおもちゃであるという程度にしか考えていない親があるのは恐ろしいことです。


欧米では当然行われている宗教教育が日本にはないのも一因だと思います。

データでも尊属殺人の割合が日本では急激に高まっており、宗教教育をしていない国も同様です。

対して宗教教育をしている国はその割合が宗教教育をしていない国の半分以下です。


敬う、尊ぶ、大事にする、畏敬の念を持つ、という気持ちこそ大事だと思います。


心の荒廃は唯物主義の影響もあると思います。
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