
「 大根の大きさだけではしゃぐ吾子 」


息子が小さかったころ、大根が野菜であるとか、お味噌汁に入ってるとか、まだ大根がどんなものか、わからないようなころ。
2才前だろうか、買ってきた大根を持って、うれしそうに掲げてはしゃいでいた。
食べるものだと思って喜んでいるわけでもなさそう。
ただ、自分で持てる範囲でとっても大きいもの、そんな感覚だろうか。
無機質なものでもなく、肌にしんなり馴染む、動かない生き物、という感覚もあるかもしれない。
棒の延長線上にあるのかもしれない。
大きく分ければ生き物。
生き物としての自分の仲間。
大地に根ざして生まれた恵。
立派に育った命。
それを賛美しているように見えた。
この地上に生まれて間もない人間の子どもというのは、こうやって生きてる仲間を尊ぶのだと感心した。
人間という子どもが、大根という生き物に賛歌を贈っているような、生命力あふれた光景に感動した思い出だった。
写真は、大根の葉っぱをかじろうとしているねこたち。
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