
しばらくはナナちゃんのことを書くかもしれません。
追悼文ですから、悲しい気分を避けたい方はお読みくださらないようにお願いします。
本当は悲しい思いは書かない方がいいと思うのですが、ナナちゃんのことを思っていたいのです。
ナナちゃんが昨日亡くなって、通夜のように夜中まで夫婦ふたりで泣き、語りました。
ふたりともあまり寝ていません。床には就いたのですが、眠れませんでした。
昨日はふたりで一致した考えがありました。
元々穴うさぎのミニレッキス・ナナちゃんはお庭でホリホリするのが大好きでした。
見事な職人芸を見せてくれるのもナナちゃんの愛らしさでした。
3匹の中でも一番穴掘りが好きだったのです。
だから、ふたりとも、ナナちゃんが穴を掘っていた場所にナナちゃんを埋めようと考えていました。
失った悲しみももてあます翌日に、お墓のことを考えなければなりません。
未練、成仏、霊がどうこう。。。
そばに置いておく(埋める)のはあまりよくないという考え方が多く、かといって、ナナちゃんに何のゆかりもない私たちにもゆかりのない場所のお墓に入れるのもさみしそう。。。
考えは二転三転しました。
そもそも庭にペットを埋めてはいけないという決まり(?)もあるかもしれず。。。
ふたりは迷って、「やっぱりお庭に埋めよう」という気持ちでまた心が決まりました。
外は雨。。。
いざ、もし穴を掘れたとしても、このかわいい顔をして、まだ生きて眠っているだけのようなナナちゃんを濡れて冷たい土に入れられるだろうか。。。
結局できない。。。と思いました。
人間のお葬式はいろいろしなければならない手順がある程度決まっています。
親族も手伝ってくれるし、いっしょに悲しんでもくれる。
家族は悲しむ暇もなく事務的な作業に追われる。。。
だからいいのだと改めて思いました。
ペットといういとおしい家族を失い、自らの手で葬るなんて、あまりにも酷なことなのです。
だから、一度ナナちゃんをあきらめなければいけないのだと思いました。
こんなに毛もきれいなナナちゃんがここにいては、思いがずっと残るのです。
でも、どこかに納めてさよならするのも悲しくてつらいのです。
だから、一度他人の手を借りて火葬しなければならないと、ふたりは納得しました。
そして、もう形のなくなってしまった、抽象的というか、象徴的というか、そんなお骨を庭に埋めてあげようと決めました。
ナナちゃんには手紙も書いて箱に入れ、雨にいっそう美しいあじさいの花、ナナちゃんの好きだった野菜や干草、おやつ、通院で使った私の手作り袋も入れました。
ナナちゃんと出会ったペットショップも通って火葬場へ行きました。
ミニレッキスという品種を触ったのはナナちゃんが初めてでした。
ビロードのようにやわらかくて、吸い込まれそうなつやつやした感触。素足にひんやりと気持ちのよい芝生のような息吹き。
悠然としていて、とても美しくてやさしい雰囲気のナナちゃんといううさぎ、その手触り。。。
触った瞬間に、もうこの子を迎えようと決めました。
亡くなってからも本当に美しく、やわらかい感触は初めての出会いのときと同じでした。
お骨になったナナちゃんを迎えて、帰りは平井堅の「瞳をとじて」を聞きながら、ふたりで思いっきり泣いて帰ってきました。
・・・肩のぬくもり 消し去ろうと願うたびに 心が体が君を覚えている Your Love forever 瞳をとじて 君を描くよ それしかできない たとえ季節が僕を残して 過ぎ去ろうとしても
・・・なくしたものを 越える強さを 君がくれたから 君がくれたから・・・正確ではないかもしれないけど、そんな歌詞。。。
うさぎはやっぱり抱っこしてナンボ、です。
もうナナちゃんをひざに抱えることはできないのです。
でも、あの肌触りは覚えてる、そう夫が言ったとき、ほんとうだと感じました。
一生忘れないと思います。
最期の写真は撮りませんでした。
でも、最後に贈った手紙の内容だけ載せておこうと思います。
「ゆりの花のように美しく
そよ風のようにやさしく
にんじんのようにおちゃめで
人の心もよくわかるナナちゃん。
私たちのところへ来てくれてありがとう。
ナナちゃんのいる日々は本当に楽しくて幸せでした。
さいごまでよくがんばったね。
えらい子だったね。いい子だったね。
みんなともよく遊んでくれて、
チビッコもとてもよろこんでたよ。
ありがとう。
つらかっただろうけど、石ももうないから、
お月様でピョンピョンはねて、
ナナちゃんコロンもして見せてね。
お月様を見るときはナナちゃんをさがすからね。
かわいい手で振って見せてね。
ナナちゃんから教えてもらったやさしさを見習って
生きて行くからね。
ナナちゃんはずっと私たちの子ども、宝物だよ。
お月様でいっぱい食べて元気でいるんだよ。
さようなら。 ママより」
お骨の壷をもらってきたら、少しあきらめられるような気がしました。この方法でよかったと思います。
壷を何度かなでました。何もないよりよかったです。
「千の風になって」のCDも買いました。
これも土葬をやめようと思った理由のひとつです。
治療方針のぶれも感じないではないし、私たちの対処の仕方にも反省があって、気持ちが滅入りそうになるときがあります。
でも、これから、最期までやさしかったナナちゃんの生き方を鏡にして対話しながら、ナナちゃんの命のメッセージを受け止めて心の整理を少しづつしていこうと思います。
ナナちゃんと過ごした楽しい日々を思い描いて、今日は寝ることにします。
ナナちゃんは、たくさんの幸せを残してくれましたね。
会ったことのない私でさえ、ナナちゃんの優しさ、愛らしさに胸がほんわかして、幸せな気持ちになりました。
ナナちゃんは、素敵な飼い主さんに恵まれたね。
生きている間、ナナちゃんは本当に幸せだったと思います。
ナナちゃんの姿が見えないのは哀しいけれど、魂は絶対にあるから、ナナちゃんはいつも3うさの母さん家族を見守ってくれていると思います。
そう、千の風になって。
ナナちゃんのぬくもり、感触…きっと3うさの母さんはずっと忘れないでしょうね。そして、それこそが最高の供養なんだと思います。
人間のお葬式なら故人を偲んで集まってくれる人たちがいますが、ペットはそういうこともないのだけど、ブログを通してナナちゃんを愛してくださって、うれしいです。
励まされるお言葉をありがとうございました。