
夫が帰宅して、ナナちゃんをしばらく休ませてあげながら、いっちゃんも寝て、ふたりで喜び合ってごはんを食べました。
しばらくして、いっちゃんも起きて、3人でうさちゃんたちにごはんをあげに行きました。
ナナちゃんは期待したおしっこはしておらず、耳も立てて相変わらずじっとしていました。
今日はうさちゃん遊びの日なので、こうちゃん、ぷっくと夫が遊ばせて、初めはナナちゃんは疲れてるから出さずになでるぐらいでいいと言った私ですが、そういえば体の状態は依然として悪く、腎不全など腎臓が動いているかわからないからともらってきた薬を飲ませなければと思い出し、「ナナちゃんもやっぱり出してあげて。」と言いに行きました。
夫はスポイトでミルクをうまく飲ませられないからいっしょに手伝ってほしいと言うので、よし、いっしょに飲ませよう、とふたりで座りました。
おしっこが出たとしても、腎臓が働かなければ治らないから、少しでもよくしたいと薬を飲ませたかったのです。
ミルクに老廃物を出す薬と腎臓の薬を入れて、スポイトで無理やりナナちゃんの口に入れました。
飲もうとしていないナナちゃんに2回ぐらいで薬は口に入れ終わり、ほっとしました。
「ナナちゃん、これは元気になる魔法のミルクだよ。もう治るんだから、あとはこれを飲めばよくなるから。」
そう言いながらあげていたら、ナナちゃんはちょっといやがって動きました。
「キューッ」と普段出さない声を出して、夫が「ナナちゃん、キューなんていつも言わないこと言って、どうしたの。」と言っていると、急に苦しそうにして、耳が真っ白になりました。
「え???」
「ナナちゃん、ナナちゃん、しっかりして~!」
ナナちゃんはふたりの腕の中で月へ旅立ちました。
まさかこんな結末になるとは。。。
(こんなつらい描写を書いてごめんなさい。)
病気の死はつらいです。
状態把握の微妙なズレがいくつか重なってしまったような悔しさもあります。
「あのときああしていればよかったんじゃないか」
そんな思いはいくつかの時点でいくつもあります。
でも、ナナちゃんは本当にかわいい安らかなやさしい顔で亡くなりました。ただ寝ているだけのようにも見えます。
夫が、後悔するのはよそう、と言いました。
ナナちゃんはそれを望んでないと思うと。
疲れ切ったナナちゃんにこんな薬をあげなければよかったんだ。。。
でも、もしかしたら、いつもは私か夫のどちらかしか遊ばないこのごろなのに、ふたりがいる膝にいて、ナナちゃんはうれしさの中で逝くときを選んだのかもしれません。
だから、苦しみのない表情で眠っているんだと思います。
そう思いたいです。
石を出している途中、採血の結果がわかった先生は、今の状態では麻酔だけでも危ないと言っていました。
私は喜び勇んで帰ったけれど、先生は覚悟していたのかもしれません。
ナナちゃんはこの数日、私たちが部屋に入って行ってなでると、歯を鳴らして喜びました。
そして、食べたくもない野菜を食べて見せてくれました。
昨日の夜は一向に口に入って行かないのにただ噛んでいました。私たちを喜ばせたかったのです。
ナナちゃんにとってつらいおしっこ介助のときも、触れること、抱っこすることがただうれしくて、手をなめてくれました。
今日だって、石を出すのに人手不足で抱えた私の手をなめました。こんなにつらい処置をしているのに。
ナナちゃんは、そばにいてほしかったのだと思います。
そして、あと何回触れ合えるだろうかと思って、その一瞬をつらさの中でも喜びで表したかったのだと思います。
最期も、やさしいナナちゃんはやさしい表情で亡くなりました。
私たちが苦しまないように、いろいろしてくれてありがとうという気持ちを一番伝えたかったのだと思います。
目は開いていました。
最期にかわいがってくれたふたりを目に焼きつけたかったんだと思います。
かわいい目でした。
だから、後悔はしないようにしたいと思います。
ナナちゃんとの楽しい思い出だけ思い出しながら送りたいと思います。
私たちの第一子のようなナナちゃん。
うさぎを大好きになったのはナナちゃんのおかげ。
ナナちゃんとの日々は楽しくて、しあわせでした。
ずっと私たちの子だよ。
お月様でゆっくり安らかに眠ってね。
ときどき遊びにきて、お庭でピョンピョンして見せてね。
ほんとうに、ほんとうにありがとう、ナナちゃん。
愛するナナちゃんへ
しばらくして、いっちゃんも起きて、3人でうさちゃんたちにごはんをあげに行きました。
ナナちゃんは期待したおしっこはしておらず、耳も立てて相変わらずじっとしていました。
今日はうさちゃん遊びの日なので、こうちゃん、ぷっくと夫が遊ばせて、初めはナナちゃんは疲れてるから出さずになでるぐらいでいいと言った私ですが、そういえば体の状態は依然として悪く、腎不全など腎臓が動いているかわからないからともらってきた薬を飲ませなければと思い出し、「ナナちゃんもやっぱり出してあげて。」と言いに行きました。
夫はスポイトでミルクをうまく飲ませられないからいっしょに手伝ってほしいと言うので、よし、いっしょに飲ませよう、とふたりで座りました。
おしっこが出たとしても、腎臓が働かなければ治らないから、少しでもよくしたいと薬を飲ませたかったのです。
ミルクに老廃物を出す薬と腎臓の薬を入れて、スポイトで無理やりナナちゃんの口に入れました。
飲もうとしていないナナちゃんに2回ぐらいで薬は口に入れ終わり、ほっとしました。
「ナナちゃん、これは元気になる魔法のミルクだよ。もう治るんだから、あとはこれを飲めばよくなるから。」
そう言いながらあげていたら、ナナちゃんはちょっといやがって動きました。
「キューッ」と普段出さない声を出して、夫が「ナナちゃん、キューなんていつも言わないこと言って、どうしたの。」と言っていると、急に苦しそうにして、耳が真っ白になりました。
「え???」
「ナナちゃん、ナナちゃん、しっかりして~!」
ナナちゃんはふたりの腕の中で月へ旅立ちました。
まさかこんな結末になるとは。。。
(こんなつらい描写を書いてごめんなさい。)
病気の死はつらいです。
状態把握の微妙なズレがいくつか重なってしまったような悔しさもあります。
「あのときああしていればよかったんじゃないか」
そんな思いはいくつかの時点でいくつもあります。
でも、ナナちゃんは本当にかわいい安らかなやさしい顔で亡くなりました。ただ寝ているだけのようにも見えます。
夫が、後悔するのはよそう、と言いました。
ナナちゃんはそれを望んでないと思うと。
疲れ切ったナナちゃんにこんな薬をあげなければよかったんだ。。。
でも、もしかしたら、いつもは私か夫のどちらかしか遊ばないこのごろなのに、ふたりがいる膝にいて、ナナちゃんはうれしさの中で逝くときを選んだのかもしれません。
だから、苦しみのない表情で眠っているんだと思います。
そう思いたいです。
石を出している途中、採血の結果がわかった先生は、今の状態では麻酔だけでも危ないと言っていました。
私は喜び勇んで帰ったけれど、先生は覚悟していたのかもしれません。
ナナちゃんはこの数日、私たちが部屋に入って行ってなでると、歯を鳴らして喜びました。
そして、食べたくもない野菜を食べて見せてくれました。
昨日の夜は一向に口に入って行かないのにただ噛んでいました。私たちを喜ばせたかったのです。
ナナちゃんにとってつらいおしっこ介助のときも、触れること、抱っこすることがただうれしくて、手をなめてくれました。
今日だって、石を出すのに人手不足で抱えた私の手をなめました。こんなにつらい処置をしているのに。
ナナちゃんは、そばにいてほしかったのだと思います。
そして、あと何回触れ合えるだろうかと思って、その一瞬をつらさの中でも喜びで表したかったのだと思います。
最期も、やさしいナナちゃんはやさしい表情で亡くなりました。
私たちが苦しまないように、いろいろしてくれてありがとうという気持ちを一番伝えたかったのだと思います。
目は開いていました。
最期にかわいがってくれたふたりを目に焼きつけたかったんだと思います。
かわいい目でした。
だから、後悔はしないようにしたいと思います。
ナナちゃんとの楽しい思い出だけ思い出しながら送りたいと思います。
私たちの第一子のようなナナちゃん。
うさぎを大好きになったのはナナちゃんのおかげ。
ナナちゃんとの日々は楽しくて、しあわせでした。
ずっと私たちの子だよ。
お月様でゆっくり安らかに眠ってね。
ときどき遊びにきて、お庭でピョンピョンして見せてね。
ほんとうに、ほんとうにありがとう、ナナちゃん。
愛するナナちゃんへ
ナナちゃんのおかげで幸ちゃんも家族にしてもらえました。
ありがとう。
これからはお月様から見守ってあげてね。
でも、もう何をどう考えてもナナちゃんは帰ってこないのですものね。
こうちゃんもぷっくも私たちを心配してくれているので、あの子たちに心配かけられないなあと思います。
泣いてばかりはいられませんね。