猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

ちばてつや 「紫電改のタカ」

2013年02月18日 19時13分43秒 | マンガ家名 た行


             ↑ ちばてつや全集(集英社)内の4冊



私の子供の頃、リアルで連載を読んでいたマンガです。
昭和38年7月から40年1月までの「週間少年マガジン」(講談社)にて連載されていました。
私には女の姉妹も男の兄弟も居ましたので、そのころ刊行され始めた少年・少女向けの週刊誌はどちらも買ってもらっていました。
だからどっちも読んでいたんです。
少年サンデー  少年マガジン  少年キング
少女フレンド  マーガレット  など読んでました。

その少女向け・少年向けどちらにも連載をされていたのが ちばてつや氏 でした。
少年マガジン(講談社) 
    昭和36年1号~37年50号   ちかいの魔球
    昭和38年1号~21号      ハチのす大将
    昭和38年27号~40年3/4号   紫電改のタカ
    昭和40年~42年       ハリスの旋風
    昭和43年~45年       あしたのジョー
    昭和48年8月〜55年5月    おれは鉄兵
  
少女フレンド(講談社) 
    昭和38年1月〜38年11月     ユキの太陽
    昭和39年3月〜40年6月      島っ子
    昭和40年8月〜41年7月     アリンコの歌
    昭和41年8月〜42年8月     みそっかす
    昭和42年9月〜42年11月     ジャンボ・リコ  
    昭和43年2月〜43年12月     テレビ天使
    昭和44年6月 (読みきりかな?) 風のように


マーガレット(集英社)
    昭和39年1月 〜39年3月    パパのお嫁さん

1980年までの連載です。

          ちょろおじさんの遊び場

と、その他平凡社「別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界Ⅱ」など を参考にさせて頂きました。

上に上げたのは週間の連載ばかり、月刊誌や単発も有りますから今思えば凄い仕事量ですよね。
でもそのころの人気漫画家さん達は、皆さん週間連載の掛け持ちなんか平気でやってました。
石ノ森章太郎先生とか、赤塚不二夫先生なんかも少年向け・少女向け両方描いていたなぁ。


           


このマンガの主人公 滝 城太郎 は他のちばマンガの主人公より真面目すぎて、作者もあとがきで
「クソ真面目で自分で描いていても暗いなと思えちゃう」
なんて言ってます。
当時の少女向けの方の ちばマンガ のヒロインみたいだな、なんてちょっと思いました。
ちばマンガの女の子はとても真面目ないい子で、男の子はちょっといい加減さが入っていて面白い子が多いんです。(当社感覚比(笑))
真面目で直情過ぎて後の ちばマンガ の鉄平ちゃんやジョーとも違うんです。
そういう性格にしないと、作者の言いたかったことが伝わらなかったのかも知れない。

戦記物と言うんでしょうか、主人公は太平洋戦争末期の名戦闘機、「紫電改」に乗る少年飛行兵です。
当時は今の比ではなく、結構太平洋戦争の戦記物のマンガや小松崎茂氏の細密なイラストや絵物語やらが毎週少年週刊誌に載っていました。
アニメになったのも有ったんです。
今は仮想空間の中で戦っているマンガやゲームが多いですけど、当時はお話はフィクションではあっても、舞台は太平洋戦争だったんですよ。
第二次世界大戦が終わって10~20年くらい、まだ人々の記憶は有りますよね。
戦争終わってすぐには題材に出来なくても、そろそろ作品に出来た頃だったのかも知れません。

主人公に敵対する人物と言うのはマンガには必ず出てきますが、滝の敵は戦争しているアメリカの兵隊でなくて、身内であるはずの同僚日本兵や憲兵や部下だったりします。
次から次から何で身内ばっかり敵に廻るんでしょう。
反対に敵であるアメリカの少年飛行兵と、友情と言うんではないけれど同情を寄せたりしてます。
そこに、作者の 戦争は嫌だ~っ と言う気持ちが現れているように思います。

実は連載当時も、面白くて楽しくて読んでて爽快 !
と言うマンガじゃなかったんですよね。
だんだん連載が進むと戦争末期の話ゆえ、特攻とか玉砕の島とか、我々には結果は解っているわけですから、滝とその仲間達の運命も薄々わかるんですよ。
その前連載の野球マンガ 「ちかいの魔球」 などの方が気楽に読めてたんです。

暗い話になって来たので人気が落ちたのか、作者もそれを気にして途中にいろいろ面白くしようと頑張った、みたいなことをあとがきで述懐してました。 
そしてそれを少し後悔してらした。
現実には無理だろうみたいな武器を出したり、マンガだからの荒唐無稽な展開や、厳しい訓練に明け暮れるスポ根ものみたいな描写だとか。
何度落とされても生還してくる登場人物、みたいなお約束もありました。
作者は、
「地味になったかも知れませんが、もっとじっくり腰をすえて描きたかった」
と言ってます。

ラストは、もう忘れていたのですけど、読み直したらおぼろげに思い出しました。
解ってはいたけれど、こうだったっけ。
あっけないといえばあっけない。
最後のコマはいろんな意味で印象的です。

それでも、何度もコミックスとして出されているようだし、私もこれが復刻されたと聞けば手に入れたくなったし。
やっぱりもう一度読んでみたい名作なんです。

うちの父親は 以前にもブログで言いましたが、大日本帝国陸軍の戦闘機 「隼」 に乗ってました。
父親は大学を半年早く卒業させられて軍隊に入ったいわゆる 

           学徒出陣 - Wikipedia 

組で、最初なものですから、結構大切にされて飛行訓練も長めに出来て飛行技術も上がり、終戦まで生き残った人も多いそうです。
その後輩達は訓練もままならないうちに 特攻 に行かされて犠牲者が多い、かわいそうだったと父は言ってます。
そんな父親までが戦争が終わる寸前に特攻隊に指名され、出撃する少し前に終戦を迎えたそうです。
私が言えることではないかも知れないけれど、日本は負けることがわかっていたのにどうして早く降伏できなかったんでしょう。
父親から、一度だけ軍の上層部を許せないと聞きました。
あまりそんな事言わない父親だったので、ちょっとびっくりしましたが、自分達を虫けらのように死地に行かせようという人間を許すことは出来ない、当たり前ですよね。
父親を、だんなと一緒に靖国神社の花見に何度か連れて行きましたが、どんな思いで花を見ていたんだろうか…。



              紫電改 - Wikipedia


              一式戦闘機 (隼) - Wikipedia



      当時のマンガが読みたくなって まん○らけ に行きそうになってるトミー。

コメント (8)
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