ベッケンバウアー自伝を読んでる。
サッカー界の皇帝、フランツ・ベッケンバウアー
ペレやジーコなどの神との最大の違いは、
神は、絶対の1つの価値。すなわちサッカーをとにかく愛してる。イメージ。
対してカイザーは、ビジネスも好きだし、女性も好きだし、グルメも好きだし、オペラ鑑賞も好きだし、カラヤンとカイザーしか持ってない特注車にのったり、マルチな才能を持った人物なんでしょう。
だ・か・ら。サッカーもビジネスも二流の人からはいやがられるね。
なにしろ
「ビジネスマン、ベッケンバウアーとサッカー選手、ベッケンバウアーのセルフマネージメントが難しい」
とかいいだすから。まあ、カイザーぐらいになると、マネージャーつけるよりは、自分で交渉したほうが安いし早いのかもね。まあ、でもサッカーもビジネスも二流の人は
「サッカーに専念してればいいじゃん。十二分にうまいんだから」
と、嫉妬したくなるわな(笑)。
ベッケンバウアーの代表監督時代のエピソード
その後スペインで起こったことは、ドイツで観戦しているファン達に緊迫した試合を見せ、素晴らしい体験をしてもらうために、選手は全力を尽くしているのだ、という印象を与えるものではなかった。本来はそれを、少なくともそれを試みることを、選手は求められているのである。パウル・ブライトナーはいつも、自分は国のためにプレーしているのでも、ただ自分のためだけにプレーしているのでもなく、ただ自分のためだけにプレーしているのだと口にしてきた。それもたしかに、認めるべき一つの考え方かもしれない。ただしそれは、やはり少しおかしいのだ。というのも、それなら、仕事としてではなく、趣味として追求すればいいわけだし、誰も見ていないところで、お金をもらわずにやればいいことになるからである。しかしながら、自分のためだけにプレーする選手が、いいプレーをすることはあり得るし、そうなれば彼の利害と観客の利害とは一致することになるわけである。結局のところ、いい結果がどんな動機から生じるかということは、取るに足らない問題だということになる。
という・・・どっちなんだよという書き方をしている。まあ、結局選手達のいきすぎた博打パーティをマスコミに上げられ、チームの状態が悪くなった事例をあげて、結果を出せばいいんだという考え方はうまくいかないことが多いという見解のようだが。まあ、世界は広いので例外はありますが、例外を当てにしてるようじゃ、ビジネスじゃなくて博打といわれてもしょうがない。
という、現実的な常識的な見解をだしている。
でも、上の文章をみてると、サッカー選手というよりは、ビジネスマンの思考回路になっているだろう。カイザーは奥深いよ。
カイザーは社交の場に出てたことを、
「サッカー選手というのは、泥臭いイメージでないと労働者階級のファンがついてこない」
といって、オペラとかパーティとかに出席することをたしなめられていたが、カイザー戦ってたね。むしろ社交界にでていくことで、上流階級の観客も増えることになり、スポンサーとかが増える可能性もあるとか、これまたビジネスライクな考え方をして反抗。
選手時代も監督に、エースなんだからミットフィルダーの司令塔をやってくれといわれて、最初は飲んでたが、最後は自分の力を一番発揮できるのはリベロだと、ディフェンスにいついてしまった。
まあ、でもそんな上流階級と下流階級のファンと幅広く交流した結果。
ワールドカップ2006年の大会組織委員長のときは、
「地元のチケットセンターだけに流れる、格安チケットの席を用意した。これで、金持ちでなくても地元の人間であれば、ワールドカップを観戦する道が残っている。」
まあ、どんなに警備しても、ダフ屋がでたり、インターネットの掲示板などのチケットの高額裏取引が行われることは目に見えてる。が、カイザーは全体を見透かす能力があることは間違いない。まあ、カイザーならネットやTVなどの媒体を活用することも、店舗に足を運んでくる熱心なユーザに対するサービスを考えることもできるわけだ。
サッカー界で一番仕事量が多いのは、やはり、皇帝フランツ・ベッケンバウアーだと思うよ。