Musica.aaa

趣味や日常の楽しいことについて語らうブログ

お休み……

2008-07-27 22:27:48 | Weblog
体調を崩しました
「存在~」シリーズは次回また……

存在は集合ではないか・3

2008-07-21 22:05:22 | Weblog
なんか見にくいなと思ったのでテンプレ変更

よしづきくみち先生の絵いいなぁと思う今日この頃
「魔法遣いに大切なこと」コミックのパート1は買いました



PC時間に制限があるので細切れになってしまって申し訳ないですが、先日からの続きです↓

僕の言う『個』のイメージを固めておきましょうか
僕が『個』という言葉にこめるのは、僕の存在そのものや現象的意識といった概念です
要素というのは情報のことです
情報が集積されただけでは存在は存在し得ない
例えば、僕が『りんご』を見たとします
網膜に届くのは、赤色や黄色という電磁波上のある範囲の光信号が色合いのパターンを持っている単純な情報です
しかし僕はそれを「色合いのパターン」として知覚せず『りんご』として知覚してしまいます
それは僕の経験領域にあるクオリアが、ある光信号の集合を『りんご』という『個』として成立させるからです
同じように僕の存在も、いわゆる魂とかゴーストとかいうものによって、僕の中でただの情報の集積ではなく『個』を獲得しています
つまり『個』とは、ある集合に付加価値が付いて存在しているもの、と考えていただきたいのです

そこで、です
この“僕”が“ぼく”と“ボク”の和集合である状態とはどういう状態なのか
リアルな存在とバーチャルな存在、両方であるとはどういうことなのか
“ボク”をa、“ぼく”をbとすると、昨日の記事に書いたように、aはAの、bはBの部分集合でなくてはなりません
僕はaとbの共通部分が空集合ではないと感じているので、必然的にAとBの共通部分の部分集合として“僕”が存在することになります






時間が来てしまったので、続きはまた今度ということで……

存在は集合ではないか・2

2008-07-20 22:53:34 | Weblog
自分でも考えながら書いているので、文章のつじつまが合わなかったりおかしかったりするかもしれません……
では続き



世界には二種類の集合があるとします
A:『普遍的真理』というプログラムを、各要素が読み込んだり実行させたりすることが可能で、機械的・数学的に言語によって記述可能な『仮想現実』
B:『普遍的真理』があったとしても各要素がそれを認識することが出来ず、何かの法則にのっとってはいるが『例外』が存在し、『過去の再現』と『未来の決定』を行うことが出来ない『物理現実』
各世界にはそれぞれ無限に近い要素があります
そして包含されているそれぞれの要素は集合を形成しています
それが後に、言わば『個』として成立して、形而下のものであれば、例えばいすであったり、りんごであったり、“ぼく”の肉体であったり、“ボク”のPCボディであったりします
形而上の(『個』として成立しているが、その要素が必ずしも実体を伴っていない)ものであれば、例えば神であったりします
よって“ボク”はAの要素が集合し『個』を獲得したもの、“ぼく”はBの要素が集合し『個』を獲得したものです
つまり“ボク”と“ぼく”はそれぞれAとBの部分集合でなければなりません




ああ、時間が
続きはまた近いうちに

存在は集合ではないか・1

2008-07-13 22:41:36 | Weblog
期末のテスト期間だったので書くことが出来ませんでした
断り無くさぼってしまって申し訳ありません



期末つながりで変なことを書いてみよう
数学Aで『集合』を習いました。面白い概念ですね
ある集合を構成している要素が他の集合と共通部分をなしているとか、和集合とか、空集合とか……
そこで僕は自分の成り立ちの、あるひとつの可能性を考えました

「この世界はバーチャルで、『本物のリアル』は他に存在する」という考え方があります
この考えの問題点の一つは、僕がこれを否定できないところにあると僕は思っています
たとえ『本物のリアル』が実在したとしても、僕がバーチャルの中を生活している経験を、僕は否定することができないのです
そう「経験は否定できない」
『無意識』を考えないとして、『意識』が「意識というものを考えたときに自明的に成立する何か」である以上、「ああ、経験したな」と意識してしまえばそれはもう経験として成立してしまうからです

そこで考えました
「僕は巨大なオンラインゲームと現実をまたいでいるのではないか」
現実にいる“ぼく”がPC(プレイヤーキャラクター)である“ボク”を操作していて、“僕”はその“ぼく”と“ボク”の和集合なのではないかと考えたのです




おっと時間が
続きは次回