Musica.aaa

趣味や日常の楽しいことについて語らうブログ

あれ?

2008-08-17 22:17:00 | Weblog
昨日を日曜だと勘違いして(だとしてもひどいもんだが)ちょろっと書いた記事のおかげでしょう、ヒット数があがっていました
みなさん宿題で苦悶していらっしゃるのか、それともオリンピックで興奮していらっしゃるのか
とにかくどこかの単語がヒットしたのでしょう
まぁ読んでいただいて興味が湧かれたら続けて読んでみてください


この間の続きみたいになるかもしれません
ふと考えました
線や色の集積は、形を持ってある一定の情報量に達すると絵に見えます
記号や文字の集積は、文法に沿ってある一定の情報量に達すると文章として読めます
しかしながら線や色の集積が文章として読めることはあまりありません
逆に記号や文字の集積は、顔文字やにちゃんねるに見られる記号群など、絵に見えることがあります
その境目とは一体なんなのでしょう
おそらく送り手側の意図を酌めば、大体それが絵なのか文章なのかは分かるでしょう
しかしそれだけではない何かがそこにあると僕は考えます
実際のところ、祖母に顔文字を見せたところ、それが『顔』だと分からず『記号の羅列』に見えていたことがありました
つまり情報の集合を現象的意識にするには、経験領域に何らかの形で、入力された情報に付加価値を与える何かが存在しているのではないでしょうか

行き詰まり

2008-08-10 22:52:44 | Weblog
「存在~」シリーズ、自分でも何言ってるか分からなくなってきたので終わりにします
勝手に打ち切って申し訳ありません

物理現実と仮想現実が並行していて、物理現実で僕が死亡
『走馬灯』が僕の中で再生される
『走馬灯』の中で経験済みの一生を再経験
仮想現実の『走馬灯』の中でまた死亡
また『走馬灯』を再生……と、それを延々繰り返しているのではないか
つまり物理現実の僕は今まさに死んでいる途中で、意識の中で仮想現実の『走馬灯』の人生を繰り返しているのではないか

頭の中でこんな感じになっています
ぐだぐだ
もうやめますね
読んでくださった方々ごめんなさい

存在は集合ではないか・4

2008-08-05 22:47:26 | Weblog
更新遅れてしまってごめんなさい

前回の内容を訂正します
前回の最後の方で「僕はaとbの共通部分が空集合ではないと感じているので、必然的にAとBの共通部分の部分集合として“僕”が存在することになります」という記述がありました
しかしaとbの共通部分が空集合ではないからといって、必ずAとBの共通部分の部分集合になるとは限りません
それに僕の考えも前者では説明がつかないということに気付きました
申し訳ないです

僕が想像している“僕”の集合は、
a⊂Aかつb⊂B、かつa∩b=Φで無い、A∩B=Φで無い、という状態です
条件から、必ず(a∩b)⊂(A∩B)、(a∪b)⊂(A∪B)となります
基本的に上の図のような状態で成り立っていると考えています
つまりaとb、AとBに関して、それぞれがどちらかを完全に包含している、もしくはイコールであるという状態、そして(a∪b)⊂(A∩B)であるという状態は、特殊な状態だと思うのです