まだゆっくり考えていないので深いことは書けませんが書いてみます
例えばドーナツ
店でドーナツを買った時、僕はドーナツとその穴を区別せず「ドーナツ」と呼びます
ドーナツは欠落しているのではなく、最初から穴があいているものだと考えるわけです
現に「ドーナツ型」と言えば穴のあいたあの形のことを指します
つまりドーナツの穴はドーナツ『の』穴ですから、穴はある物体「ドーナツ」を構成している一要素と言えます
口当たり、味、香り、生地の触った感じ、見た目(色や形)といった、「ドーナツ」を構成するさまざまな要素の中に、穴があると考えるのです
逆を言えばそれらの要素を同時に感覚することによって、僕は今まさにドーナツを手にし、食しているというイメージを立ち上げることができます
しかし半分までかじってしまったとしたら、奇妙な弧を描く生地が僕の手に残ります
穴は、僕が生地をかじったことによって無くなって(その輪郭を失って)しまったのです
では穴という要素を失った生地はもう「ドーナツ」と呼べないのでしょうか
呼べます
間違いなくそれは「ドーナツ」で、僕はまだ「ドーナツ」を食べ続けることができます
穴という要素を失ったところで、「ドーナツ」は「ドーナツ」でなくなることはないのです
例えばりんご
Apple社のロゴマークは、僕には「りんご」に見えます
アップルという響きにまったく影響を受けていないとは言えませんが、やっぱり「りんご」に見えます
さて、「りんご」の要素と言えば、「ドーナツ」と同様に、口当たり、味、香り、触った感じ、見た目などがあげられると思います
ドーナツの話では書き忘れましたが、個々人が「ドーナツ」や「りんご」に抱く、例えばトラウマや親近感なども、要素としてあげられるでしょう
Apple社のロゴには口当たりなどの要素はなく、ほとんど見た目の要素しかありません
そしてその容姿も、実際にスーパーの果物売り場に積んであるあのりんごとは明らかに違います
iPodの裏面にあるものは赤りんご色でも青りんご色でもありません
形もデザインされ、独特の丸みをしています
それでもあれは「りんご」に見えてしまいます
そうです、ものは単純に要素に還元されない
要素なくしてイメージは立ち上がりませんが、十分条件ではあっても必要条件ではない要素というものも確かに存在するのです
では「僕」は、思考することによって自明な「僕」というものは、どこまで要素を無くしても、あるいはデザインしても、「僕」でいられるのでしょうか
続きは次回(けっこう気まぐれ)
ゼラチン買いました
放電映像先生の「ストロー」は
ロボットからのお気に入り
早く単行本出ないかなぁ