9/6 正午
買ってきた惣菜、温かいスープ(朝の残り)、温かいご飯)で昼食
長男は昼食後にまた出社。何時に帰宅できるか不明のこと妻子を頼むと・・・
ここで長男が、「実家の隣に住んでいてよかった心強い安心して仕事にいける」と
その言葉に嫁子も頷いて「いつもありがたいと思っていたけど、ほんとに心強い」と言っていました。
長男を送りだした後すぐ、次男が帰宅し施設の水は汲み上げ式ポンプのため水がないと言うので
軽く食事をして我が家の非難用飲料水をインスタントラーメン、レトルトカレーなどを持って再度、仕事に行きました。
自宅に残った爺、婆、嫁子、孫たん
嫁子が本当に断水になった困るのでお天気もいいので)気温26℃)手洗い洗濯をすると言うので
それじゃ私もすることに
爺はその間、子守係
嫁子、この時結婚以来はじめての洗濯をすることに(笑)
嫁子、やればできる子です!!!
お天気がよく太陽が燦々と輝いており風も多少あったので
手絞りのベチョベチョの洗濯物は夕方にはすっかり乾きました
孫たんは、普段と違う空気を察したのか
なかなか昼寝をしなくてグズグズ
私が立って抱っこしてユラユラしていたら寝だしたのですが
布団に置くと起きぎゃん泣きをするしまつ
朝から、ガスでご飯を炊き、食器も手洗い(いつもは食洗機)
手洗いの洗濯で婆はお疲れ気味
暗くなる前に夕飯も済ませたいと思っていたので
その準備もあるのに
婆の抱っこじゃないと泣くし
なぜかママも断固も拒否するので
仕方なく爺が車に乗せてドライブに行ってもらいました
車に乗るのが好きな孫たんは機嫌も良くなり
少し公園で爺を遊んだようです
いつもの睡眠時間が短いけど
その分、夜は早く寝るので返って良い結果になったようです。
午後5時半に明るいうちに夕飯を食べることに
(炊き立てのご飯でお握り(鮭)、スーパーで買った白菜の漬物、昼の残りの惣菜(メンチカツなど)、朝の残りのスープ)
午後6時に長男帰宅、
帰宅途中、自宅前で焼肉をしている家庭が多かったと言っていました。
真っ暗な部屋で食べるより、外でBBQした方がいいですもんね!
皆それぞれ、停電をそれなりに楽しんでいるというのか前向きに対処している姿が逞しいと思いました。
夕飯をすませお風呂は、息子夫婦宅(オール電化)温水給湯タンクにたっぷりお湯が残っていたので
孫たんをお風呂に入れて、後は寝るだけにして
息子家族と電力がどの程度復旧しているのか夜の市内を探索することになりお出かけ(ドライブ)することに
夜、テレビはないしすることがないので時間はたっぷりあるので
車でスマホの充電もかねテレビを見ることもでき他の地域の被害状況も知りたいということでの行動です。
長男の車はランクルなので大きし、信号が点滅していなくても夜ならライトで車の存在がわかるので大丈夫だということで
出かけました。
ここで確かに東側の地域は、電気がバッチリ点いていました。
飲食店が営業しておりスーパー、コンビニ、ガソリンスタンド、電気が煌々とついていてどこも駐車場には車がビッシリ!
でも、道路を隔てて向かいは真っ暗(停電)
送電線の関係?明暗がくっきり!
今まで経験したことがない出来事で興奮状態だったのでしょうね
軽い地震被害(停電)だったので気持ちに余裕もあったのか
そして家族がいるという心強さからか
今思うとほんとうに危機感は全く失せていました。
震源地の厚真町( あつまちょう )は、同じ北海道なのに
どこのあるのか地名さえ知りませんでした。
北海道は広い、広すぎ!
調べたら我が町から厚真町まで約150㎞離れています。
被災地とその付近の市町村の被害がどれほどの物か翌朝に電気が復旧するまで知りませんでした。
ラジオでの耳からの情報だけでは把握しきれていないと痛感
翌朝、TVで映像を目にして初めてその悲惨な状況に現実とし受け止めることができました。
目から入る情報に慣れすぎ、耳からの情報に疎いんだと再認識した次第です。
それでも喉元過ぎればなんとやらで、今日はもう日常に戻るとやはりどこか余所事になっています。
いつまでも恵まれた生活が続くと信じて疑わない自分がいます。
明日、突然普通の生活が奪われるなんて誰も思っていなくて
実際に災難が起こってから実感できるのでしょうね
当たり前の生活がいつ突然奪われるか今一度、考え直す必要性と
その時に備えてることの大切さを再度見直したい
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げ .... また大切なご家族を亡くされた皆様、 心からお悔やみを申し上げます。
また、台風で関西方面での被害に遭われた方々にもお見舞いの申し上げます。
そして被災地の方々の不便な生活が一日も早く復旧できることを祈るばかりです。