むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

備中松山城(岡山県)

2018年01月15日 |  百名城
備中松山城びっちゅうまつやまじょう
別名小松山城・高梁城
構造山城
築城者秋庭重信、小堀遠州、水谷勝宗
築城年代1240年(延応2年)、1605年(慶長10年)頃、1681年(天和元年)
指定史跡国指定史跡 国重要文化財
場所高梁市内山下 地図
スタンプ設置場所備中松山城券売所(12/29~1/3休館)
城郭検定出題あり


備中松山城は臥牛山の小松山に築かれた山城で、現存12天守のうち
唯一の山城に天守が残る日本三大山城のひとつでもあるお城です。


ふいご峠

車で登って来られるのはここまでです。
この先は徒歩での登城になります。
この駐車場は14台しか駐車できないのでタクシーやシャトルバスが運行しています。


駐車場

早朝に来て夜が明けるのを待ちました。
それでも先客が居たりしました。



では、ここから徒歩で天守を目指します。いざ!



ひたすら山道を進みます。
普段山城を歩き慣れているせいか道は比較的歩きやすいです。


中太鼓の丸

石垣が見えて来ると一気にテンション上がります
当時は太鼓を鳴らして情報や命令を伝達する役割をするために詰めていました。


中太鼓櫓跡

情報伝達だけでなく、登城路を見下すように櫓台を築き
櫓の手前には土塀を巡らせ最前線の守りを固めていました。



更に道は上へ上へと続いています。



自然の岩に石垣を積んで組み合わせてあります。


大手門跡

大手門は巨大な櫓門が構えられ、二の平櫓から横矢を掛ける仕組みになっていました。


大手櫓跡

左側の石垣には二の平櫓に続くように大手櫓門が築かれていました。


土塀

城郭において重要文化財に指定されている土塀は少なく、とても珍しいです。
現存する土塀を復原する形で現存と復元の境界には、よく見ると段差が設けてあります。
(手前が現存を修復したものでその先に続く長い土塀は復元です)


三の丸

雛段状の石垣も上から鉄砲や弓矢で狙うと云う守り堅固な造りが戦いの城として
考えられています。


御膳棚跡

ここは食事を作る場所です。
現在はトイレがあります。
しかし、私が注目したのはトイレの奥にある石垣。
石垣に石垣の補強でもしたかのような積み方がとても気になりました。


古い石垣

城内で一番古い石垣で、毛利氏が造らせた唯一の自然の石を積み上げた野面積みの石垣です。
石の大きさも不揃いに見えるものの、視覚効果を狙った配石であると考えられています。


二の丸

ついに天守が見えました!
二の丸は広いです。


雪隠跡

見逃してしまいそうな場所に「雪隠跡」がありました。
危うくかくれんぼしたくなりましたが、そう、これはトイレ跡ではないですか!
このような所にあるとは…。


本丸受付

こちらで入場料を支払い、百名城のスタンプを押しました。
新年3番目の来城者記念に資料や雲海サブレなどの入った備中松山城好きにはたまらない
プレゼントをいただきました。
新年からとってもハッピーです


南御門

五の平櫓と六の平櫓の間にをつなぐように設置された表門。
ここをくぐるといよいよ本丸です!
白漆喰に浮き出る漆黒の懸魚に注目です。


天守

玄関に見えない入口は、かつて八の平櫓から渡櫓を経由して天守に続く構造でした。
したがって、現在は廊下の途中から天守に入るので入口が狭く玄関ぽくないのです。


廊下

現在の天守への入口はここからですが、天守台の石垣と下見張りが見られる構造から
後から廊下が付設されたものと考えられます。


一階

一階はパネルなどの展示物と見所である囲炉裏や装束の間があります。
映像としては「紙芝居」がテレビで流れるというものもあります。


囲炉裏

籠城時に城主食事や暖房用に用いられたとされています。
天守の中に囲炉裏が造られているのはとても珍しい。


装束の間

床より一段高い部屋で、籠城時には城主の御座所とされました。
引き戸で戸を閉めることが出来るので小部屋として区切られ床下には石が敷き詰められていて
下からの攻撃が出来ない仕掛けもされていました。
いざとなったら自害の場にすることも考えられていたようです。


階段

現存のわりには登りやすい階段です。



天井は天井板が張られていません。
そのため屋根裏の骨組みがよく見えます。


御社壇

舞良戸で仕切られた部屋の中に一段高い場所に唐戸で区切られた
神棚があります。
三振りの宝剣が納められ沢山の神々を祀っています。
オールスターが勢揃いと言った感じで、ちょっと欲張り過ぎじゃない?って感じです^^;


折れ曲がり出窓

縦格子から二の丸を見下しています。



二の丸には喫煙できるあずまやが設置されています。



装束の間が載っている部分の天守台石垣が手前の石垣より高く積まれていることが
わかります。


二重櫓

備中松山城には14棟の櫓がありますが、二階建の櫓は二重櫓のみです。
残念ながら普段は中の様子は見られませんが、年に数回程度、特別公開をしているそうなので
その時を狙って訪れるのが良さそうですね。
ちなみに、現在は発掘されたものなどが保管されているそうです。
建物が払い下げになった後は山小屋として利用されていました。 


東御門

本丸の勝手口にあたる門です。


搦手門跡

小ぶりな城門があったとされますが、これだけしっかりとした石垣で造られていると
いかに偉大な城であったかが想像できます。
搦め手なのに十分立派な造りの門だったと思います。


後曲輪

二重櫓を介して行き来していた曲輪で、搦め手側にも水の手も確保された機能的な曲輪も
存在していました。

九の平櫓跡

ここからの西側の眺めも相当なもので、目が回りそうな高さを感じます。


十の平櫓跡

ここまでが小松山の曲輪としての縄張りになります。
多くの観光客はここで引き返すこととなります。
山城好きの方はこの先にもまだまだお楽しみがありますので引き続き
登城をお楽しみくださいませ。。。


大松山城跡へ

この先は更に奥にある大松山城跡へ続く道です。
籠城に備えた大池や天神社跡、天神の丸の大堀切などまだまだ見所は続きます。
大池は、かつては「血の池」とも呼ばれており、刀を洗った池という言い伝えも残っています。


帰り道

帰りには駐車場の係員さんが居て、すれ違いが出来ない道なので
この駐車場で折り返しする車の誘導をしていたのでそれに従い下って行きました。


めちゃめちゃ良い城でした。大満足です\(^o^)/
明治6年の建物の払い下げで搬出困難で取り壊しを免れたことがラッキーでしたね。
これだけの山を登って天守があるというのは二度美味しいって感じで贅沢な気分になります。
石垣だけでも見事なのにこれだけ見所があるとなると正直時間が足りません。
家から近かったら何度でも登城してしまうことでしょう。


平成30年1月4日登城





城めぐり手帖「現存天守編」 ~自分だけのトラベルノート
萩原 さちこ
技術評論社


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