むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

丸亀城(香川県)

2019年06月04日 |  百名城
丸亀城まるがめじょう
別名亀山城
構造平山城
築城者生駒親正、山崎家治、京極高和
築城年代1597年(慶長2年)、1643年(寛永20年)
指定史跡国指定史跡 国重要文化財 
場所丸亀市一番丁 地図
スタンプ設置場所丸亀城天守(天守閉館期間中は丸亀市立資料館)
御城印丸亀城天守の入口
城郭検定出題あり

亀山に砦を築いたのがはじまりで、高松城の支城として築いたのが丸亀城です。
一国一城令で一度廃城になりましたが、その後山崎家治が再建し、京極氏が完成させました。
この時瀬戸内海を見張る要所であった丸亀城が幕府にとって重要と考えられ、
丸亀城再築と資金援助、参勤交代の免除という幕府からの特別待遇を受けていました。
現存する天守としては最小で、天守こそは小さいですが本丸を取り巻く石垣は偉大で圧巻です。



内堀

訪れたこの日は子供の日が近いため、内堀にこいのぼりが泳いでいます。


常盤橋

GWとあって朝からすでに賑わっています。


大手二ノ門

大手門はかつて搦め手側にありました。
京極氏の入城直後この地に移し、大手一の門と大手二の門、狭間塀で
枡形にして、鏡石を使い甲州流軍学に沿って構成されています。


高麗門

大手外門の高麗門は、切妻造りで左右に狭間塀を持ち、
内部の石垣は岩岐組みされています。


幸運の

大手二の門を入って正面の石垣にある二つの鏡石の間にある小ぶりのハート形の石です。
これを触ると良縁の御利益があるとか…


大手一の門

天守は最小ですが、そうとは思えないほど立派な大手門です。
これだけ見ればさぞかし大きな天守が待ち構えていそうな迫力の櫓門です。
ちなみに、枡形側には窓が8つ、城内側には窓が1つだけという特徴があります。
梁の太さも見事ですが、こちらも内と外では格好が違っています。


丸亀城内観光案内所

観光案内所を覗いてみると、重ね押しスタンプラリーというのをやっていて1枚200円で台紙を買い、
城内5ヶ所でスタンプを重ね押しすると絵が完成するというもので、収益金の一部は崩れた石垣の
復興事業に役立てられるということなので早速家族で各自1枚買ってスタート!
まずは観光案内所で押して次の太鼓門(大手一の門)へ。


大手一の門(太鼓門)

櫓門に入れたんですね。


重ね押しスタンプ

二つ目の重ね押しスタンプです。
次は丸亀城天守の1階と3階、最後は資料館です。


太鼓

1670年(寛文10年)頃に建築され、藩士が太鼓を打つことで刻を知らせていたことから
「太鼓門」とも呼ばれています。
2018年の時の日から正午を知らせる「時太鼓」が復活されているそうですが
残念ながら聞きそびれました。


石落し

お約束の石落しでーす!
下を通る人を狙いたくなる



外から見ても扉が見えます。
かつてはこちらも出入りに使っていたのでしょうね。


見返り坂

この写真、あまり坂のようにみえないですけど…
結構坂でキツイです。
ジグザグに歩く人もいるほどなんですよ^^;


二ノ丸南東隅櫓の石垣(打込接

石垣を築く名人と噂の羽坂重三郎に石垣の工事をさせると、
期待通り、素晴らしい石垣を完成させました。
これならば誰も登れる者はおるまいと褒めると、確かに登れる者はいないでしょう。
しかし私は鉄棒1本あれば容易に登ることが出来ます!と言って
石垣の間に鉄棒を刺して頂上まで見事に登ってしまいました。
それを見た殿様はやっと堅固な石垣が出来たと思ったのに、もし重三郎が
敵にまわったらこの城が危なくなると危機を感じ、内密に井戸から城外への抜け穴を
造って欲しいと呼び出し、井戸の底に降りた重三郎めがけて大きな石を落して
殺害したというエピソードが残っています。

まず、息を切らせて坂を登ってくると見える扇の勾配が見事な高石垣です。
下部は30°で立ち上がり、上部は70°に近い勾配です。
夜に来てもこの石垣はライトアップされています。



もうひと頑張り坂を登ると三の丸に到着します。



夜間登って来た時は暗くて本丸を目指していたので気がつかなかったのですが
とても綺麗な光景が見えて来ました。



ここからの眺望も見事です。
ここからの二の丸番頭櫓や高石垣もよく見えます。


三の丸

ここまで登って来ると月見櫓跡などから讃岐富士がよく見えます。


月見櫓跡

月を見るのに最適な位置にあった月見櫓は、城の東と南を見張るためのものでした。
月と言えば、丸亀市制100周年を記念して歌手のさだまさしさんの作詞作曲により
城のある町」という歌が2001年に作られました。
その歌詞の中に「秋は月見の天守閣 ふと だんをとるや月菜汁」と歌われています。
この「月菜汁」は実在せず、この歌に合わせて創作されたのがはじまりです。
現在では、汁物の中に月にみたてた団子や里芋などの丸いものと、菜を入れた新しい郷土料理として
市民に親しまれているそうです。
ちなみにここから讃岐富士もよく見えます!


延寿閣別館

麻布にあった旧藩主京極家の江戸屋敷の一部を移築したもので、
内部は藩政時代の大名の生活がしのばれるように昔のまま保存されています。


虎口

三の丸にある二の丸への西の虎口です。


二の丸

本丸を囲むように巡る曲輪です。
この辺りは蜂が多く飛んでいて、追い回されたので注意してください。


本丸虎口

虎口から入ってすぐに天守があります。


本丸

唐破風と黒い下見板張で小さいながらも威厳のある趣です。
白漆喰だけの面は、石垣上に建ち二重櫓と多門櫓(渡櫓)をつなぐ平家建ての建物で
連結されていたため、シンプルな壁になっています。



本丸の角には隅櫓が築かれていて、その間を多門櫓で繋いでいました。


天守

三重三階の天守は主として栂材を使用しています。
他にも檜と松も使われています。
夜は凛々しく、昼は温か味のある風貌です。



こちらも隅櫓の櫓台です。
本丸の隅櫓や多門櫓も明治初期まで残っていたそうで、
現在復元すべく、古写真を探されているそうです。
ぜひ、復元してほしいのですが写真が残ってないでしょうかねえ。


日本100名城スタンプ設置場所

前回は夜訪れたので、もちろんここは閉まってました。
あれから4年やっと天守の内部に入ることが出来ました。


二階

丸亀城内部は小ぶりなわりに柱の数が多いのが印象的です。
特に1階はその柱の多さが目につきます。


太鼓壁

長押の高さまでは壁を厚く塗り防御を固めています。
白い壁の横に黒くなっている部分(横の柱の下)は
壁の厚みで出っ張っている部分に埃が溜るせいか汚れているため、
この色の違いで壁の厚さ(出っ張り)が分かります。


最上階

屋根裏には案内板が掲げられています。
昭和の修理と丸亀城の特徴が掲示されています。


眺望

瀬戸内海側を大手にして正面とした城下です。
かつては城下に船入が設けられ海に出ることも出来ました。
現在はこのように埋め立てが進み海岸も遠くなってしまっています。
また、この方向にある丸亀港の船着場には、群馬県沼田城下に生まれた
塩原太助が江戸時代に最高額の80両を寄付したことにちなんで名付けられた
「太助灯篭」があります。
群馬県民なのにこれを見逃して来るとは…相変わらず詰めが甘いです


二の丸井戸

この井戸は日本一深い井戸と言われています。
水面は三の丸北石垣の真ん中ぐらい(30m以上)にあります。
深さは65mあり、石垣を築いた羽坂重三郎が殺された井戸がこの井戸です。


二の丸番頭櫓跡

二の丸にも本丸を囲むように角には隅櫓と櫓を繋ぐ多門櫓が接続していました。


長崎櫓跡

三の丸は二の丸を囲むように巡っています。
二の丸への虎口も二ヶ所あり、見返り坂を登りきって三の丸に入って直ぐの
西からの虎口と、ここ長崎櫓のある北側に虎口があります。


長崎櫓台の石垣

平成3年から4年に石垣修理の工事をしています。
この時に石垣内の構造も判明しました。



この石垣では石垣の隙間を計測する装置がいくつか取り付けられています。
最初は何かな?と思ったのですがテレビで和歌山城のものをやっているのを視ました。
このような装置は高石垣を採用している他の城跡でも見られるようです。


本丸姫櫓台の石垣

こちらの扇の勾配に積み上げられた高石垣も見事です。
とても美しい造りですよね。


戌亥櫓跡

明治2年の藩邸(旧京極家屋敷)の火災で焼失してしまいました。
その焼跡が今でも石に残っているので足元の石の色をよ~く見てみて下さい。


排水口

丸亀城には全部で13ヶ所の排水口があります。


坤櫓跡

ここからは大きく崩れてしまって進むことは出来ません。
以前訪れた時は完全な形で、この先も進むことが出来たのですが、
これ以上元の姿が見られなくなってはと思い、今回現存12天守は
すべて見ておこうと思い四国の旅を選択しました。


搦手道

かつては大手道であった現在の搦手側へ下って行ってみたいと思います。


高石垣群

さすがに大手道だっただけに、こちら側もしっかり見せ場があります。
連続して石垣が見えるのでこちらもかなり迫力があります。


搦手口

山崎氏時代はこちら側が大手口でした。
京極氏になって大手は反対側に移されて現在に至っています。


馬場

ここまで来ると崩れた全体がみえますが…切ないですね。
まさかこんなことになろうとは最初に訪れた時にはまったく想像していませんでした。
後回しにするんじゃなかったと後悔しても遅いですね


排水口

見つけました!排水口。
このように全部で13ヶ所ある排水口も、
水捌けが追いつかずに石垣は崩れてしまったのですね…。


かぶと岩

この岩は火山の噴出口への通路部にある火成岩が浸食を受け、円柱状に露呈したものです。
かつてはこの岩の上に神祠が祀られていました。


丸亀市立資料館

この日はかなり日差しが強く、重ね押しスタンプラリーの最終地点でもあるここで一休み。
そしてここでは京極氏が大手枡形と石垣の新規造営の許可を幕府に申請すために作成されたという
木図が展示されています。



重ね押しのスタンプはいよいよここで完成です(^^)v
なかなか面白いし、仕上がりがとても綺麗です。
ぜひ、皆さんも楽しみながら石垣復旧のためスタンプラリーに参加してみて下さい。
良い記念になりますよ


玄関先御門

山下御殿玄関先の御門です。


番所長屋

御殿への出入りを監視するために門の脇にあるのですが、
表からは番所があることがわからないよう工夫されています。



とりあえず、1週して来ました。
結局半日を費やして存分に見て周ることが出来ました。
それもまだまだ巡っていたい感はあるなあ。(飽きない)


おまけ…



前日の夜、夜景をもう一度見たくて夜の丸亀城にやって来ました\(^o^)/



久々に登った見返り坂は…結構キツイ!
それでも以前のように寒くもなく、丁度良い気候だったので本丸まで風の抵抗無く
やってきました!



やっぱり良いですね。
一度来たことで、またこの夜景が見たいとずっと思っていて
とても楽しみにしていました。



そして、予定ではなかったのですが高知からの帰りは奥に見える
瀬戸大橋を渡って帰ることになろうとはこの時には知らずに瀬戸大橋を見て
やっぱり綺麗だねって夜景を満喫していました。
※帰りは高知から淡路の大鳴門橋を通って帰る予定でしたが横転事故があり
大渋滞だったため瀬戸大橋から本土へ渡りました。




以前訪れた時が夜で、ライトアップされていたので天守には入れないけど行ってみようよ
ということで夜の丸亀城登城が最初でした。
とても寒く風が冷たい中での登城でしたが、それ以上に美しくライトアップされた天守と
夜景に感動して、必ずまた来るぞと思っていました。
昨年の豪雨で石垣が崩れたのを見て、正直焦りました。
本当に行きたいと思う城は先に行っておかないとどんなことが起こるかわからない。
熊本城も行こうと計画していたさなかに地震の被害で見られなくなり悔しい思いを
しています。
いつ何時どんな災害に襲われるかわかりません。
自分もいつまで健康でいられるか、事故に遭ったりしないとも限らないので
今見ておかなければ後悔すると思って、現存12天守では丸亀城と高知城のふたつが
見学できていなかったので四国訪問を決行しました。
やっぱり丸亀城本丸からの夜景は何度見ても最高です。

観光案内所で買った「うちわ」が今とても重宝しています
とても気に入ってます!

平成27年12月28日登城
令和元年5月1日再登城
令和元年5月2日再登城


城めぐり手帖「現存天守編」 ~自分だけのトラベルノート
萩原 さちこ
技術評論社


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