むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

福井城(福井県)

2017年11月20日 | 続百名城
福井城ふくいじょう
別名結城氏北ノ庄城・新北ノ庄城・福居城
構造平城
築城者結城秀康
築城年代1601年(慶長6年)
指定史跡
場所福井市大手3-3−17−1 地図
スタンプ設置場所福井県庁一階受付(開庁日の8:30~17:15)
城郭検定出題あり

柴田勝家の北ノ庄城があった場所に結城秀康が新たに築城しました。
本丸には四重五階の壮大な天守のほか、三隅には艮櫓、巽櫓、坤櫓(月見櫓)があり、
中央には本丸御殿が建てられていました。



御本城橋と大手門跡

ここから、登庁ならぬ、登城です!


福井県庁

福井城本丸の中に県庁があります。
ここに写っている建物は県警本部です。
本丸には主要な機関が置かれているんですね。



橋を渡り、本丸に入ると城主さまがお出迎え。
その奥には案内看板と脇にはパンフレットが置かれたボックスが設置されています。


本丸復元図

これを見ると立派な天守と櫓があったことが想像出来ます。
(この看板の右隣にパンフレットが入ったボックスがあります)


結城秀康公像

騎馬で勇ましいはずの銅像ですが…
なんとも頼りない表情をしていると感じるのは気のせい?


巽櫓台石垣

雁木…本丸内の石垣にはこれらの防備が見られます。
重要な場所の守りを固めています。


坤櫓台石垣

こちらも雁木造りで防御を高めています。
櫓台や天守台に近い場所に設置されています。


案内看板
この先に天守台があります!
ということでこの先に行ってみます


天守閣跡と福の井の碑

控天守脇にある碑には天守と井戸について記されています。


福の井

「福井」という地名の由来となった井戸です。
ここに城が築かれる前からあった井戸で、北ノ庄城から福井城に改名する際に
この「福井」という井戸から福井城と名付けられたそうです。



以前は屋根や囲いや無かったようですが、今はがっちり保護されています。
福井の人々にとっては大事な井戸ですね。



福井城の石垣は、足羽山産の笏谷石(しゃくだにいし)が使われています。


天守台入口



天守台

天守の礎石が残されています。
1669年(寛文9年)の大火によって焼失した天守は、その後再建されることは
許されませんでした。






天守台は広く、この写真の奥側の礎石がある北側半分に天守は建てられていました。


控天守台

この石垣は1948年(昭和23年)の福井地震で倒壊しそのまま状態になっています。
福井地震の状況を知る遺構としても残されています。


内堀

石垣の下には犬走りが見えます。








石垣の刻印

天下普請で築いた石垣なのでよく見ると刻印が見られるので探してみよう!



何家?何藩?…わからない。


御廊下橋

屋根付きの橋はやっぱり良いですね。
ここを訪れた時は小雨だったのでなおさら屋根があるのがありがたく思えました。



工事中のため橋の中は見ることは出来ますがその先は行き止まりです。





工事中

本丸に抜けられると思ってここで車を下ろしてもらったのですが
通り抜け出来ず、引き返して迎えに来てもらいました。(下調べが足りませんでした


山里丸




かつてはこの石垣の上に天守がそびえていたのですね。

柴田勝家は信長の妹、お市の方を妻にして娘(浅井三姉妹)とともに北ノ庄城に住んでいました。
天正11年の賤ヶ岳の合戦で、羽柴秀吉に敗れ北ノ庄城が包囲されると、お市の方に脱出すよう勧めましたが、
お市の方は娘の三姉妹を脱出させると、勝家の元に戻り、天守に火をつけて一緒に自害してしまいた。
北ノ庄城はこの時、ほとんどの建物を焼失してしまいました。

このような悲劇があった場所として認識して散策すると
なんだか切ない気落ちになります。


平成29年11月11日登城



続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)
公益財団法人 日本城郭協会
学研プラス
 

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