トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

小野訓導

2009-06-07 20:59:10 | 仙台/宮城
 小野訓導といっても、地元・宮城県でも今は半ば忘れられている人物かもしれない。本名は小野さつき、大正11(1922)年7月7日、尋常高等小学校の教師(当時の名称は訓導)に就いたばかりで殉職した女性だった。享年22歳。不届き教師の醜聞が新聞社会面を飾る現代、彼女のような教師がいたのは考えさせられる。

 私が小野訓導のことを知ったのは、小学2年か3年の春の遠足の時だった。バスが白石川に近付いた頃、ガイドさんが小野訓導の話をしてくれた。この川で溺れかかった児童3人を救おうとした若き女性教師の話で、2人は救出したが3人目で力尽き、生徒共々死亡したという。それでも3人目の子供をしっかり胸に抱いた姿で発見されたそうだ。当時まだ子供だった私も、昔はエラい先生がいたものだと感心させられた。試にネット検索してみたら、「伝承之蔵」及び宮城県情報を紹介したサイトの記事に、小野さつきが紹介されている。「伝承之蔵」には彼女が着用していた袴の写真も載っており、大正時代式の着物袴姿で川に飛び込み、児童2人は助けたのだから驚く。平成の洋服でも、川の中では動きもままならなかっただろう。

「伝承之蔵」を見て、さらに驚くのはこの事件を知り、小野先生のお墓に添える花や線香として小遣い銭を送ってきた子供たちもいたということ。十日間、おやつをパンだけにして残したお金ならはした金にせよ、それでも亡き女性教師のために貯めたのである。当時の1円は子供の小遣いとしては大金のはずだが、横須賀諏訪小学校2年生の男児も送金してきた。また、明治初期、白石から北海道に移住してきた人々の子孫である尋常高等小学4年生が寄せてきた弔辞の一文は、当時の教育方針や道徳観が分り興味深い。「私は先生やお父さんからいつもきいておりますが、人は同情の心がなければならぬ、人の喜びを喜び人の悲しさを悲しむのが、立派な人である事をきいております…」。

 この出来事から百年も経ない現代と、世相の違いを痛感させられる。今時の親や教師で立派な人間とは如何なるものなのか、胸を張って明言出来る者は至って少ないのではないか?TVをつければ、情け無いオトナのニュースばかり。これでは教育によいはずがない。他国のメディアは不明だが、心なしか日本の報道はネガティブな情報を殊更強調するように思える。先月、死去したロックシンガー忌野清志郎の歌「JUMP」にも、「なぜ悲しいニュースばかりTVは言い続ける/なぜ悲しい嘘ばかり…」という歌詞がある。
 ただ、ひねくれた平成の現代人的解釈だが、小野訓導がもし生き残っていたら、果たして当時の新聞はどう取り扱っただろう。先に2人の子供を助けても1人を死なせたら、引率した女教師が悪い、教師は責任をとって辞任すべきだ等と煽ったのではないか?

 扇動的なメディアを目にし、一般の人々もやれ今の教師はナッテいない、たるんでるとか口々に非難するだろう。教師や公務員の不祥事をここぞとばかり取り上げる新聞には尽きぬネタでもある。夜のニュースでもワイドショーばりに不心得教師の話題がトップになり、ネットでもこの手のニュースが少なくない。
 しかし、質が低下しているのは教師ばかりではない。それを言えば言論人や庶民も劣化しているのではないか?社会の風潮から逃れられない人間の性質から、異常な教師は時代の申し子であるかもしれない。

 いかに教職でも他人の子供に命を張って、殉職した小野さつきのような教師が宮城県にいたのは、地元の人間からすれば誇らしい。「訓導」という職名に時代性が感じられ、当時はまだ教師への敬意が多分にあったのだろう。近代以降、教育水準が著しく向上したのは結構でも、道徳面は必ずしもそれに比例しないのが人間の複雑さなのだ。

◆関連記事:「イラン人が見た明治の日本

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2 コメント

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英雄は色を求めるものですが、、、 (Mars)
2009-06-08 21:28:09
こんばんは、mugiさん。

マスコミが偏った報道を続けるのは、戦前・戦後を問わず、古今東西同じようで、情報には少なからず偏向があるのは当然なのかもしれませんね。でも、だからといって、ないものをあるかのように批判する事は、もはや的外れで、マスコミの名を名乗る資格もないでしょうね。
(ま、マスコミの場合、自分のイデオロギーに合うものであればべ、水増ししてでも、大袈裟に報道するものですが、都合が悪いものは、あっても完全にスルーものでしょうね)

しかし、こういったマスコミから送られてくる情報を受け取る側の大衆も、英雄や悲劇のヒロインを求めるものですし、喜び事よりも悲しい事件の方が受け取り易いものなのかもしれませんね(嬉しい事も、悲しい事も、いずれは忘れていきますが、悲しい事の方が、比較的に長く忘れにくいものかもしれませんね)。

本当は、嬉しい事であっても、悲しい事であっても、正しい事は正しく、悪い事は悪いと報道してくれれば、よいのですが、、、。人の世というものは、上手くいかないもので、偏屈で無能な私には、情報の正しや、その裏に隠れている事実を見る目は、ほとんどなさそうです(汗)。
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Re:英雄は色を求めるものですが (mugi)
2009-06-09 22:17:59
>こんばんは、Marsさん。

 ネットをするようになってから、日本のマスコミを信用しなくなりました。事実を論評抜きでありのままに報道するのが望ましいと私は思いますが、政府のチェック機関を自称するに至った。質の高い批判なら結構ですが、実態は馴れ合い。カネを出す方に転ぶ男娼と同じ。

 いかにネットがなかった時代にせよ、私の若い頃はマスコミ情報を殆ど信じていました。今にして思えば何と初心だったのか、輪をかけて偏屈で無能だったのか、恥じ入るばかりです。だからメディアに騙されて、選挙では社会党や岡崎トミ子のようなク○女に投票した、愚かな宮城県人です。>こんばんは、Marsさん。

 ネットをするようになってから、日本のマスコミを信用しなくなりました。事実を論評抜きでありのままに報道するのが望ましいと私は思いますが、政府のチェック機関を自称するに至った。質の高い批判なら結構ですが、実態は馴れ合い。カネを出す方に転ぶ男娼と同じ。

 いかにネットがなかった時代にせよ、私の若い頃はマスコミ情報を殆ど信じていました。今にして思えば何と初心だったのか、輪をかけて偏屈で無能だったのか、恥じ入るばかりです。だからメディアに騙されて、選挙では社会党や岡崎トミ子のようなク○女に投票した、愚かな宮城県人です。ゴメンナサイ

 仰るように、現実世界でもドラマでも喜劇より悲劇の方が、より印象が強いものなのでしょう。ハッピーエンドで幕も悪くありませんが、主人公が亡くなる物語は忘れ難いものです。コメント題ですが、英雄に限らず凡人も色を求めます。笑ただ、「女達も英雄を求める」と反論した男性もいました。

 仰るように、現実世界でもドラマでも喜劇より悲劇の方が、より印象が強いものなのでしょう。ハッピーエンドで幕も悪くありませんが、主人公が亡くなる物語は忘れ難いものです。コメント題ですが、英雄に限らず凡人も色を求めます。笑ただ、「女達も英雄を求める」と反論した男性もいました。
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