-シーラーズの美しき乙女よ。汝もしわが愛を受けなば、われ汝の頬のほくろにかえ、サマルカンドとブハラの都を与えん
上の一句は14世紀ペルシアの詩人ハーフェズの作。私が初めてこの詩人の名を知ったのは、学生時代に見た漫画『エロイカより愛を込めて』(No.6 イン・シャー・アッラー)にこの詩が載っていたからで、日本の漫画もバカに出来ない。ハーフェズの伝記映画ではなく、監督がこの詩人にインスピレーションを感じ、撮られたという。この映画が日本で話題を呼んだのは、麻生久美子がヒロインに採用されたことだ。しかも、宗教指導者の娘ナバートの役で。
学識と詩作に優れる青年シャムセディンは、コーランを諳んじている者だけが得られる称号“ハーフェズ”(暗記者の意)を恩師から授かる。イスラム世界でこれは非常に名誉なことであり、コーランの暗唱コンテストも行われている。神学校ではまだ幼い少年たちが集団で、頭を前後に動かしながら聖典を暗唱するほど。
高名な宗教指導者でもある恩師は、母がチベット人、チベット育ちのためコーランに浅学な娘ナバートに、聖典を教えてほしいと弟子に頼む。コーランの個人授業といえ、男女隔離のイスラム社会のこと、2人は別室で学習となり、開いた窓を通して声を交わす。
ハーフェズはナバートにコーランを教える前、彼女の姿を1度目にしていた。見ただけであり、会話したのではない。授業中も互いの顔を見るのはご法度、コーランを読み交わすだけだったが、次第に2人の間には恋愛感情が芽生えてくる。恋心を隠せず、ハーフェズは聖職者として禁じられている詩を詠んでしまう。これだけでも致命的だが、思慕に駆られた彼は1度窓からナバートの顔を見てしまう。これを目撃したのが召使の女サキネ。家政婦は見たことを主人に告げ、恩師の家を追い出された果て、称号も剥奪される。ナバートも父の命で別な男と結婚させられた。
称号を剥奪されただけならまだしも、宗教指導者の娘を見るような不届き者には鞭打ち刑が下される。刑は村の中心で行われ、子供たちも見ているのだから、唖然とさせられる。さらに惨いのはハーフェズの家にかつての仲間たちが押し寄せ、「汚れた者」の家に押し入り、手当たり次第打ちこわす。家には老いた母1人がいるだけだったが、彼女の必死の制止を無視、息子の書物に火をつける。生埋めにはならなかったが、「汚れた者」の本は焚書扱いとなるのだ。心労で母は急死するも、墓所では埋葬を拒む程なので、村八分対象者でも葬儀には立ち会ってくれる日本とはあまりにも違う。
イランの結婚式のシーンがまた面白い。酒がご法度の原則と異なり、公然と酒瓶が並ぶ。さすがにハーフェズは口にしなかったが、飲酒する参列者を咎めもしない。彼が式に出たのは新婦が近所に住んでいた縁で、母に頼まれたからだった。式の最中、突然バイクに乗った警察隊が現れる。大急ぎで酒を捨てたり瓶を隠す男たちだが、警官は一堂を並ばせ、一人一人息を吐かせ、息を嗅いで飲酒したか調べる。飲酒しなかったハーフェズも逮捕された。聖なる称号を持つ者が、飲酒の場に列席しただけで罪なのだ。これまた、称号剥奪の理由のひとつだった。
称号を剥奪され、元のシャムセディンとなった青年は、それでもナバートへの想いを断ち切れなかった。彼女への愛を消滅させるため、“鏡の誓願”を行うことを決意する。“鏡の誓願”とは鏡を持って7つの村を訪ね、7人の処女に鑑を拭いてもらい、女たちの願いを叶えるというもの。イスラム以前のゾロアスター教の聖数が7なので、7の数字の連続は面白い。これは本来愛を得るための誓願だが、青年は愛を忘れるためにイラン各地を放浪する。
7つの村はともかく、鑑を拭いてくれる女が処女でなければダメというのは、フェミニストならずとも封建的と感じる方も少なくないだろう。ただ日本も処女性が重んじられていたのは、さほど遠い時代ではない。シャムセディンはある村で、1人の処女の願いを叶える。処女といえ、とうに60は過ぎていると思われる老女。なぜか老女にはこれまで結婚を望む男が現れず、彼は彼女の望むとおり夫となることにする。若く美しい青年と祖母のような老女との結婚式のシーンは傑作だった。新婦に向かい聖職者が、「清らかな処女コブラよ」と何度も呼びかける場面には苦笑した。感激のあまり新婦は式の途中で昇天する。まさに「清らかな処女」のまま、天国に向かう(イスラムの教えでは処女は天国行き)。
その②に続く
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上の一句は14世紀ペルシアの詩人ハーフェズの作。私が初めてこの詩人の名を知ったのは、学生時代に見た漫画『エロイカより愛を込めて』(No.6 イン・シャー・アッラー)にこの詩が載っていたからで、日本の漫画もバカに出来ない。ハーフェズの伝記映画ではなく、監督がこの詩人にインスピレーションを感じ、撮られたという。この映画が日本で話題を呼んだのは、麻生久美子がヒロインに採用されたことだ。しかも、宗教指導者の娘ナバートの役で。
学識と詩作に優れる青年シャムセディンは、コーランを諳んじている者だけが得られる称号“ハーフェズ”(暗記者の意)を恩師から授かる。イスラム世界でこれは非常に名誉なことであり、コーランの暗唱コンテストも行われている。神学校ではまだ幼い少年たちが集団で、頭を前後に動かしながら聖典を暗唱するほど。
高名な宗教指導者でもある恩師は、母がチベット人、チベット育ちのためコーランに浅学な娘ナバートに、聖典を教えてほしいと弟子に頼む。コーランの個人授業といえ、男女隔離のイスラム社会のこと、2人は別室で学習となり、開いた窓を通して声を交わす。
ハーフェズはナバートにコーランを教える前、彼女の姿を1度目にしていた。見ただけであり、会話したのではない。授業中も互いの顔を見るのはご法度、コーランを読み交わすだけだったが、次第に2人の間には恋愛感情が芽生えてくる。恋心を隠せず、ハーフェズは聖職者として禁じられている詩を詠んでしまう。これだけでも致命的だが、思慕に駆られた彼は1度窓からナバートの顔を見てしまう。これを目撃したのが召使の女サキネ。家政婦は見たことを主人に告げ、恩師の家を追い出された果て、称号も剥奪される。ナバートも父の命で別な男と結婚させられた。
称号を剥奪されただけならまだしも、宗教指導者の娘を見るような不届き者には鞭打ち刑が下される。刑は村の中心で行われ、子供たちも見ているのだから、唖然とさせられる。さらに惨いのはハーフェズの家にかつての仲間たちが押し寄せ、「汚れた者」の家に押し入り、手当たり次第打ちこわす。家には老いた母1人がいるだけだったが、彼女の必死の制止を無視、息子の書物に火をつける。生埋めにはならなかったが、「汚れた者」の本は焚書扱いとなるのだ。心労で母は急死するも、墓所では埋葬を拒む程なので、村八分対象者でも葬儀には立ち会ってくれる日本とはあまりにも違う。
イランの結婚式のシーンがまた面白い。酒がご法度の原則と異なり、公然と酒瓶が並ぶ。さすがにハーフェズは口にしなかったが、飲酒する参列者を咎めもしない。彼が式に出たのは新婦が近所に住んでいた縁で、母に頼まれたからだった。式の最中、突然バイクに乗った警察隊が現れる。大急ぎで酒を捨てたり瓶を隠す男たちだが、警官は一堂を並ばせ、一人一人息を吐かせ、息を嗅いで飲酒したか調べる。飲酒しなかったハーフェズも逮捕された。聖なる称号を持つ者が、飲酒の場に列席しただけで罪なのだ。これまた、称号剥奪の理由のひとつだった。
称号を剥奪され、元のシャムセディンとなった青年は、それでもナバートへの想いを断ち切れなかった。彼女への愛を消滅させるため、“鏡の誓願”を行うことを決意する。“鏡の誓願”とは鏡を持って7つの村を訪ね、7人の処女に鑑を拭いてもらい、女たちの願いを叶えるというもの。イスラム以前のゾロアスター教の聖数が7なので、7の数字の連続は面白い。これは本来愛を得るための誓願だが、青年は愛を忘れるためにイラン各地を放浪する。
7つの村はともかく、鑑を拭いてくれる女が処女でなければダメというのは、フェミニストならずとも封建的と感じる方も少なくないだろう。ただ日本も処女性が重んじられていたのは、さほど遠い時代ではない。シャムセディンはある村で、1人の処女の願いを叶える。処女といえ、とうに60は過ぎていると思われる老女。なぜか老女にはこれまで結婚を望む男が現れず、彼は彼女の望むとおり夫となることにする。若く美しい青年と祖母のような老女との結婚式のシーンは傑作だった。新婦に向かい聖職者が、「清らかな処女コブラよ」と何度も呼びかける場面には苦笑した。感激のあまり新婦は式の途中で昇天する。まさに「清らかな処女」のまま、天国に向かう(イスラムの教えでは処女は天国行き)。
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