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トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

神の代理人 その二

2020-02-16 21:40:09 | 読書/欧米史

その一の続き
 ピオ二世がいかに教会の権威を振りかざして十字軍を扇動しても、「神がそれを望んでおられる」の一言で聖地エルサレムまで遠征した11世紀と違い、呼びかけに応じた国や君主は殆どいなかった。応じない君主は破門、という伝家の宝刀さえ効果がなかった有様。
 それでもピオ二世は必ずや欧州の君主たちが十字軍に馳せ参じると、最後の最後まで信じていたのだ。法王の側近さえ君主は来ないと見ていたのに。『最後の十字軍』は次の一文で結ばれている。
「こうして、最後の十字軍は幻と消えた。聖戦を信じた、最後の法王の死とともに」

 当代一の知識人であり、古代ローマの歴史にも精通していたはずのピオ二世が、法王になるや豹変したのは不思議でならない。教養も知性も過度の禁欲によって生じる狂信の前には、かくも脆いものなのか。人文主義者でも当時は政教分離の思想はなかったのだ。
 作品に登場する4人の法王の中で日本人が最も違和感を覚えるのは、『剣と十字架』のジュリオ二世かもしれない。教会領再復のためにせよ、自ら軍隊を組織し陣頭に立つこと自体、聖職者のイメージにはそぐわない。やたら戦争ばかりしていた物騒な法王だが、しかも相手はムスリムやプロテスタントではなくカトリック。作品の冒頭には意味深い文章がある。

動機が純粋で真面目であり、利己的でなかったという理由だけで、その行為の結果に対する人人の評価が驚くほど寛容になるのは、暗澹たる気持ちにさせられる。
 そういう人は、一私人として見れば、善人で尊重すべき人物で済むのである。だが、彼が、多くの人の生活に影響を与える立場と力を持つ人物であった場合、はたして、その動機の純粋さを褒め称えるだけで済むであろうか。利己的でないということは、それほど立派な免罪符であろうか

 ジュリオ二世はローマ教会の栄光と独立のために身を捧げたという自負心を抱いており、イタリアの統一と独立は法王の下にあってこそ可能なのだという確信も持ち続けていた。フランスやスペイン等の外国勢力と組んだのも、その大儀のためだったが、行ったことは尽く反対の結果に終わる。ローマ教会の栄光は失墜、イタリアの大半は外国勢力の支配下に置かれることになる。著者のジュリオ二世への評価は厳しい。
ここに、世に褒めそやされる使命感に燃えた人間の持つ危険と誤りがある。たしかに彼らには、狭い意味での利己心はない。だが、高い使命のために一身を捧げると思いこんでいるために、迷いや疑いを持たないから、独善的狂信的になりやすい。それで現実を見失う。だから、やり方は大胆であっても、やるひとつひとつが不統一になるのである。結果は失敗に終わる

 ピオ二世も同じタイプなのだ。一私人として清貧なのは結構だが、独善的狂信的に陥り十字軍を呼び掛ける。応じる君主がいなかったため不発に終わったのは救いだが、政治的手腕には長けていたジュリオ二世は善と思い実行してしまうのだから始末が悪い。
 アレッサンドロ六世とは宿敵の関係にあったジュリオ二世だが、スペイン人の前者の方がイタリア人のジュリオ二世よりも外国勢力の排除に成功し、イタリアの統一と独立を目前としていたのは面白い。ジュリオ二世の起こした長期の戦争は、ボルジア家の遠征よりも遥かに数多い死者を出している。ラヴェンナの戦い(1512年)だけで、チェーザレ・ボルジアの戦争を全て合わせたよりも多くの人間が死んだと推測される。

 それでもジュリオ二世は現代でも人気のある法王の1人になっている。血なまぐさい多くの戦もローマ教会やイタリアのためであり、己の私利私欲のためではなかった。また多くの芸術家を援助していたことは高く評価されている。さらにローマの補修と美化に努め、ルネサンスの中心地に相応しい街になる。但し彼の死から14年後の1527年、ローマ劫掠により街は破壊された。
 ローマ教会に限らず使命感に燃え、利己心がないリーダーは珍しくない。迷いや疑いがありすぎれば指導者は務まらないが、まるで持たないのはワンマンの道まっしぐらとなる。リーダーが誤った方向に向いても、正す者がいない組織は破滅しやすい。純粋で真面目、利己的でない指導者に概ね人は寛容なのだ。
その三に続く

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (牛蒡剣)
2020-02-19 19:11:11
>私人として見れば、善人で尊重すべき人物で済むのである。だが、彼が、多くの人の生活に影響を与える立場と力を持つ人物であった場合、はたして、その動機の純粋さを褒め称えるだけで済むであろうか。利己的でないということは、それほど立派な免罪符であろうか

なんというかロベスピエールとポルポトっぽい。
両者ともに「個人としては」結構好かれてる逸話
がありますよね。ピオ二世のせいで何人が死んだか
はわかりませんが、方向性は一緒。
 結局人類は同じことをしょっちゅうやってますね。
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2020-02-20 22:05:40
 ピオ二世は十字軍を呼び掛けても、応じる国がいなかったため死者は出なかったでしょう。しかし十字軍こそ唱えなかったジュリオ二世が起こしたラヴェンナの戦いだけで、戦死者は少なくとも1万2千人とされています。1512年にですよ。その大半がカトリック。
 そのくせ現代でも人気のある法王だそうです。
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