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暴君ネロ その一

2022-02-15 21:10:13 | 読書/欧米史

 一般に古代ローマ史になじみの薄い日本で、最も名が知られているローマ皇帝はネロだろう。ネロはそのまま呼ばれるより、殆どといってよいくらい名の前に“暴君”の異名を冠せられている。前回の記事でも書いたが、近年は欧米人研究者の間ではこれまでの暴君論から評価が変わってきたらしいが、それも知識人の一部に過ぎず、一般大衆に根付いた暴君という見方を覆すのは難しいはず。
 NHKBSドキュメンタリー「最強の帝国ローマ」を見て、久しぶりに『ローマ人の物語Ⅶ 悪名高き皇帝たち』(塩野七生著、新潮社)第四部ネロを読み返した。この書には何故ネロが後世に至るまで暴君の代名詞になったのか描かれている。

 暴君の異名から終始ネロは暴政を行っていたと誤解されがちだが、皇帝就任から5年間は善政を敷いていたのは、世界史好きでもない限り知られていない。就任時ネロはまだ16歳で、家庭教師でもある哲学者セネカと、近衛隊長官ブルスという側近の提言によく従っていた。さらに母小アグリッピナが息子の政治に強く干渉している。セネカとブルスをネロの後見人にしたのも母だった。
 しかし、16歳の皇帝も成長すれば母や側近のいうことを聞かなくなった。小アグリッピナは世界史でも指折りの悪女として有名だが、ついには息子によって殺された。ネロは一度もこの母の墓を訪れなかったという。

 いかに悪女でも、母殺しは家族を重視するローマ人にとっては人間の道に反する大罪だったし、現代の世界各国でも一部を除き人間の道に反する大罪となっている。“一部”と書いたのは、イスラム圏の名誉殺人には実母を殺すケースがあるためだ。
 ネロの母殺しに対するセネカの反応は実に興味深い。愛弟子でもあったネロの大罪に無関係どころか、直接手は下さなかったにせよアグリッピナ殺害に関与していたのだ。アグリッピナ暗殺が未遂に終わるとネロはセネカとブルスに泣きつき、2人はアグリッピナ殺しを了承する。

 アグリッピナ殺しは、セネカが苦労して、国家反逆罪による死という形で公表された。元老院も一般市民も、心底では信じていなかったが、アグリッピナには好感を持っていなかったので、信じるフリをしたようだ。
 セネカはローマきっての知識人であり、ストア派哲学者でもあった。しかし私生活ではストイックとは反対だったようで、セネカが巨富を蓄えたのも、ブリタニアに高利で投資した結果と言われている。ブリタニアで暴利をむさぼっていたのがローマ人の金融業者たちだったし、悪徳金融業者が蔓延ったことが女王ブーディッカによる反乱が起こった要因の一つとも言われる。

 属州でぼろ儲けしただけでなく、皇帝の母殺しに協力していたのだから、知識人という人種は古代から言動不一致が少なくないようだ。現代でもメディアで盛んに清貧や平和を説く輩こそ、豪邸に住んでいたりする。
 さすがのネロも母殺しの後はノイローゼに陥ったが、側近による“もみ消し”で立ち直っていく。しかし実母を殺してしまえば赤の他人の粛清も平気で行うようになるのは当然の帰結だった。もうネロを諌止する者はいなかった。

 母殺害後、不仲だった妻オクタウィアを離縁し、妻が姦通をしていたという濡れ衣を着せて孤島(※現ヴェントテーネ島)に流刑にする。流刑から間もなく、オクタウィアも処刑された。島に上陸した兵士たちにより縛り上げられ、四肢の血管は全て切り開かれる。
 しかし、恐怖のために血管が締め付けられていたのか、血はとぼとぼしたたるだけで、死に至るまでは時間がかかって仕方ない。それで浴場の発汗室の熱気に当てて血管を開くようにした。こうしてオクタウィアは、出血と熱気による窒息で死ぬ。享年22歳。アグリッピナの死から3年後だった。

 セネカも陰謀に加担したと疑われ、自殺を命じられる。70歳を超えていたセネカは血管を切っても血の出が悪かった。哲学者は熱い湯を張った浴槽に身を横たえるが、それでも死ななかった。汗を流すための発汗室のもうもうたる湯気の中でようやく死ぬことが出来たという。アグリッピナ殺害から6年目の65年のことだった。
 いかに古代でも、血管を切り開いての死は時間がかかって酷すぎると感じるだろう。これならアグリッピナのように剣で斬られた方がマシと思う。既にセネカ殺害前から多くの元老院議員が処刑されており、彼等は斬首ではなく血管を切り開いての死だったのやら。

 これらの行いからネロが暴君呼ばわりされるのは仕方ない。しかし、暴君の異名が決定的になったのは、64年のローマ大火とその直後のキリスト教徒迫害なのだ。実母や妻、恩師殺しであってもキリスト教徒を迫害をしなければ、ネロの悪名はそれほどではなかったかもしれない。
その二に続く

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