その一の続き
欧州の多くの人々が大疫病について、自分勝手な解釈を考え出した。ある地方ではユダヤ人たちが世界に毒をまいているのだと考え、数多くのユダヤ人がそのために殺害される。またある地方では、不潔な貧民たちが空気や食べ物、飲物を汚すのが原因だとして、貧民たちを街中から追放する。また他の地方では貴族が疫病の元凶だということになり、貴族たちは平安に街を歩くことが出来なくなった。
最後には街の人々は町や村の入り口に歩哨を立て、知っている顔以外は町へ入ることを拒むようになった。歩哨は通行人を随時身体検査し、万一粉末の如きものを携帯していることが発見されると、その持主が薬を服用してみせなければならないことになった。その薬が、土地の人々を毒殺するための薬でないことを証明するために。
つまり、ペストの流行に一種のパニック状態になった人々の間には、日頃憎しみを抱いている相手をスケープゴートに仕立て上げる風潮が生まれたのだ。このような風潮を煽った者の中には医師もいた。
例えばコルドバのアルフォンソという医師は、報告書の中で病因として占星術的なものや地震の他、キリスト教徒の敵たちが意図的に空気、水、食物、ぶどう酒などに毒を投入しているという「事実」を挙げている。疫病大流行の時期を利用し、キリスト教徒の敵たちが悪事を企んでいる、と警告する。
この“キリスト教徒の敵”とは名指しされていないが、この表現はイスラム教徒やユダヤ教徒を想定しているのはいうまでもない。ペスト大流行により欧州各地でユダヤ人迫害が吹き荒れる。
黒死病期のユダヤ人虐殺地として最初に記録されたのはジュネーブだった。この町に起きた出来事(1348年9月)は、瞬く間に全欧州に拡大する。翌年1月には同じスイスのベルンにも波及している。虐殺はジュネーブやベルンのような都市以外にも起きている。
アルザスにベンフェルトという小さな町がある。ストラスブールの南にライン川沿いに位置する町でもユダヤ人が悪疫流行の張本人であるという告発があり、町民の意思を問う会議が開かれた。そして町民は犯人と目されたユダヤ人を処刑する死刑執行人にこぞって志願した。ユダヤ人たちは刑場で、街角で、正式非公式問わず処刑される。処刑された死体は、次々にぶどう酒の樽に詰め込まれ、ラインの川底に沈められた。
自警団が組織され、当局は焼き討ちに遭ったゲットーへの立ち入り禁止を命じる。双方とも秩序保持のためではない。自警団はユダヤ人へのほしいままの私刑のためであり、当局者たちは焼き討ち地区のユダヤ人の目ぼしい財産を独り占めする魂胆からだった。
ストラスブールでも全く同じ事態が起きている。僅かな数の子供が同情ゆえに、僅かな数の美しい娘が劣情ゆえに助命されるも、ユダヤ人で殺戮されたのは2千人を超えたと言われる。そしてキリスト教徒のユダヤ人に対する借財や負債は全て棒引きというお触れが発布される。
殺害されずとも、ユダヤ人にはキリスト教への改宗が強要された。命惜しさに改宗したユダヤ人もいたが、迫害はむしろ熱狂的殉教者意識を生み出すことにもなった。
法王庁はこのような蛮行を見過ごしていた訳ではなく、時の法皇クレメンス6世は2度に亘り回勅を発布、ペスト流行にユダヤ人が無実であることを訴え続けた。しかしアヴィニョン捕囚もあり、その威令は回勅をもってしても欧州全土で行われることはなかった。
この回勅によりアヴィニョン近辺のユダヤ人たちは救われるが、貴族や領主の中にはユダヤ人から身代金をとり、その身柄を保護する者も現れた。身代金を出せないユダヤ人は対象外だったということ。
ユダヤ人のいない町や地域でも迫害が行われ、アラブ人やハンセン病患者、墓掘り人などが対象となったことが記録に伝わっている。要するに普段から蔑まれているマイノリティが標的になったのだ。今年はじめにコロナが広がり始めた頃、欧米各地でアジア人差別が広まったことと重なり、悪疫流行が生み出す現象は21世紀にも通じるものがある。
いかにも中世らしいのは、大衆の間でむち打ち運動が行われたこと。群衆が互いに、或いは自らむち打ちしつつ行進するという大衆運動は初めイタリア各地に出現し、この運動はアルプスを越え、アルザス、バイエルン、ボヘミア、ポーランド諸地方にまで拡大したという。
犯した罪への贖罪行為にせよ、このような運動は既に黒死病以前からあり、悪疫の大流行で再び各地で復活した。単に己や仲間の肉体を鞭打つだけでなく、こちらもユダヤ人迫害の先頭に立つこともあった。先ず粛清と称してユダヤ人狩りを行い、ゲットーを焼き討ちする。
現代のコロナ禍では今のところ異民族への組織的な虐殺は行なわれていないが、人心の動揺とそれが生み出すパニック、病因をめぐる医学上の論争は治まりそうもない。
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通りならばナチスのユダヤ人虐殺は欧州の定期
イベント、レベルの出来事のような・・・・・。
悪い意味で欧州ではよくある出来事だったのかと。
>大衆の間でむち打ち運動が行われたこと。群衆が互いに、或いは自らむち打ちしつつ行進するという大衆運動
まんま欧州の「アジア人を見つけたら殴ろうデモ」じゃないですか!日本人も含めてそれぞれの国のお国柄はいい点も悪い点も簡単に変わらないんだなあと。
実はイスラム圏でも大衆のむち打ち運動が現代でも行われています。シーア派のお祭りアーシュラーでは男たちが群衆となって自ら体を鞭打ったり、刀で体を切りつける。ТVで見たことがありますが、血まみれ集団行進はえぐ過ぎ。これを紹介したサイトもあります。
https://seiwanishida.com/archives/7387
多数派スンナ派はこれを「基地外沙汰」と貶しますが、「異教徒を見つけたら殴ろうデモ」のノリでしょう。
パニック時にデマは拡がり易いとはいってもこれは非道い。非道過ぎる。
私たちも正しい情報を拡散するよう日頃から努めねばなりませんね。
早いもので今年はフレディー没後29年となります。来年はついに30周年目!生前は私はファンではありませんでしたが、日本でもトップニュース扱いだったことは憶えています。
先月はエディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなりましたが、享年65歳でした。やはりフレディの死は早すぎます。
本書にもユダヤ人がペストに汚染された品物を井戸に投げ込んだというデマが広がったことが載っています。日欧共に日頃の振舞から敵視されていた集団が井戸に毒を入れたといった噂が発生したのは興味深いですね。おそらく他の文化圏でも疫病時には同じ現象が起きたはず。疫病がなくとも迫害の標的にされる少数民族は現代でもいますから。
先のコメントにもありますが、得体のしれない謎の疫病が蔓延すると人々はパニックに陥りやすい。哀しいことに人類の業としか言いようがなく、正しい情報よりもデマを拡散する者や誤報を信じる人が多すぎるのです。
危機や行き詰まりの中で人間は敵を求める傾向があり、刃はマイノリティに向けられるというのは古今東西を問わず共通した心理だと思い知らされます。
時にペスト流行時にユダヤ人が標的にされる理由として宗教的な対立以外に、旧約聖書を読み返せば当時の知識としては公衆衛生上なかなかの規定もあり、ゲットーの被害が周囲のキリスト教社会より抑えられていたことも一因にあると聞いたことがあります。
初めまして。コメントを有難うございました。
仰る通りユダヤ人には周囲のキリスト教社会よりも公衆衛生上の知識があり、その結果被害が少なかったのです。それが憎しみを煽る結果になりました。もっとも被害が同程度であっても迫害は起きたと思います。
20世紀初めになってもカトリック聖職者は、一般信者が聖書を直に読まないように諭していたようです。まして文盲の多かった中世では、聖書を読める信者は限られていたはず。