その一の続き
『おろち』もそうだが、楳図かずおには女の美への執念を描いた作品も多い。たぐいまれな美貌を誇る女がそれが失われることへの恐怖心や、美を切望する醜女が登場する。楳図は少女漫画を手掛けたこともあり、女の描き方、殊に心理表現が上手い。美に対する女同士の葛藤を描いたのが「みにくい人」。
みやこ高校きっての美人生徒と、学校一の醜女同士は、大の仲良しだった。周囲は不思議がっていたが、前者は常に優しい態度で接し、醜女は皆から嘲られても美人の側にいたのは、憧れる気持ちが強かったためだ。それでも時に醜女には美人に対する憎しみが湧くこともあった。
ある日の通学途中の駅構内。列車がホームに入ってきた時、美人の後ろに立っていた醜女は、ふと友の背を押してしまう。美人は線路に転落、撥ねられるもれき死は免れた。だが、全身打撲で顔にも酷い怪我を負う。
それまで醜女は整形手術を受けるため金をためていたが、十分賄えるほどになったので、思い切ってこの機会に手術を受けた。手術は見事に成功、看護婦からもこれほど上手くいくのは稀だと言われるほど。それにしても、「あと、3万円たまれば整形手術を…」という醜女の台詞から、当時の美容整形の費用はどれほどだったのか、気にかかる。
一方、事故で二目と見られない容貌になった元美人は、自分を突き落した者が醜女ではないかと疑っていた。互いに容貌が変わっても、それまでのような交際を続ける2人に、級友たちは美しい友情で結ばれていると感心する。だが、2人きりになった時、元美人は友を激しく問い詰める。罪の意識に苛まされたかつての醜女はついに友に全てを打ち明けた。すると元美人は仮面を取り、これはお面だった、と言う。面の下には元通りの美しい顔があった。それでも事故で一時的には仮面のような醜い顔になったと話す。
これで2人の友情もお終いになるが、主人公のエミ子はラストでこう語っている。
-土子さんが前のまま醜い顔なら、ミカさんはきっと許したに違いないと…美しい顔をえることができたけれど、土子さんは常に暗い気持ちを、そして美しい顔と優しい心を持っていたはずのミカさんが、人を陥れようとする犯罪の心を持っていたということでしょう…
私も同感だ。ただ、醜女が美人を突き落さずに整形を受け美少女に生まれ変わったら、果たしてそれまで通りの友情が続いただろうか?それを境に亀裂が入ると私は思う。美人のほうも、なぜ醜女と付き合っていたのだろう?便利な引き立て役だったのか。私には女特有の偽善に感じられたし、むしろその心理こそ醜悪に思えた。醜女が自分に憧れているのを美人は見抜いており、その気持ちを体よく利用していたのか?映画『おろち』のコピーも「美の崩壊は女の終り」、女にはかなり耳が痛い。
「夜あるく者」も女の葛藤を描いた作品。はじめは夢遊病の果て、人間の死体を貪り食らう女子生徒の話に見えても、実は女同士の諍いが背景にあったというストーリー。バレー部内でメキメキ上達し、態度が大きくなった部員への反感があり、合宿先で肝試しをする際、脅かしてやろうという相談がまとまる。件の部員が眠っている内に口元に血を付けておいたり、彼女のハンカチを墓に落としたりする。
つまり、仲間の嫌がらせだったのだが、まんまとその部員は病気ではないかと思い込み、それが高じて本当になってくる。運動部の女子の気性の激しさを知っていた夏彦が、エミ子から話を聞き、真相を暴くことになる。
種明かしをされれば他愛ないが、このような手の込んだ、陰険な嫌がらせなら女の世界ではありがちのことなのだ。それを男の楳図は巧みに描いている。恨みつらみで現れる亡霊よりも、複雑な女心のほうが恐ろしい。
60年代後半に描かれた作品のため、当時の風習も判る。当時の家はまだ日本式家屋であり、みやこ高校の生徒の自室も和室、ベッドではなく敷布団に寝ている。生徒の両親も寝る時は着物姿で、もちろん敷布団。みやこ高校の制服も男子は詰襟服、女子はセーラー服だが、スカートは膝丈、現代のように膝を丸出しになどしていない。
その三に続く
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ということであろうとは思いますが・・・。
こころは、見る者の価値観があらわれます。
自身を鏡に照らしたこころが、そのように見るということです。
仰る通り美の基準は、見る者の価値観によって異なります。個人や時代、地域によっても違ってくる。太目が美しかったり、スリムな体型が美しいと見る人もいます。
ただ、文化は異なっても、「明眸皓歯」は何時の時代も普遍的な美の基準ではないでしょうか?いくら端正な顔立ちでも暗い眼と乱ぐい歯では誰も美しいとは思わない。コンプレックスに苛まれていれば、それが顔の表情に出るし、十人並の顔でも醜くなってくるでしょう。
もっともある年齢を過ぎれば、美女も醜女も変わらないはず。むしろ美貌を褒められることが殆どなくなった前者の方が辛いかもしれません。いい年をして容貌コンプレックスを抱き、オフ会に出るのは「あの顔で~」と思われるからイヤだ…と言っていた者もいましたが、陰にこもっているのはどうしようもない。