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神の代理人 その一

2020-02-15 21:10:11 | 読書/欧米史

 昨年ローマ法王が38年ぶりに訪日したこともあり、久しぶりに『神の代理人』(塩野七生 著)を再読してみた。但し私が持っているのは中公文庫版で、初版は昭和50年(1975)11月だから、もう40年以上も前に執筆された作品なのだ。まだ若いためか著者には少し気負いも感じられるが、全く古びていない。文庫版裏表紙にはこう紹介されている。

枢機卿のポストでサヴォナローラを懐柔しようとした法王アレッサンドロ六世、遊びと祭りが大好きで巨額の借金を残して死んだ法王レオーネ十世ら、高邁な理想を掲げ、あらゆる術数を弄し、豪遊に耽ってイタリア・ルネサンスに君臨した四人の「神の代理人」の生態を華麗な絵巻物のように活写して、宗教と政治の間に展開される生臭い権力葛藤のドラマを描き出す。精巧な構成と新鮮な語り口で史伝の面白さを尽す名編。

 トップ画像は中公文庫版表紙。この作品は後に新潮文庫からも出版されていて、新潮社サイトでは他の2名の法王を「教会の権威復活のために十字軍結成に心血を注いだ知識人法王ピオ二世」「教会領再復のため、自ら軍隊を組織し陣頭に立ったジュリオ二世」と書いている。作品は4部構成で、「最後の十字軍」「アレッサンドロ六世とサヴォナローラ」「剣と十字架」「ローマ・十六世紀初頭」の順になっている。
 はじめの2編はタイトルでどの法王か分かるが、「剣と十字架」はジュリオ二世、「ローマ・十六世紀初頭」がピオ二世。全編再読したら、今回最も印象深かったのがピオ二世を描いた「最後の十字軍」。タイトル通り生涯の最後まで十字軍結成に執念を燃やした法王(在位:1458-64年)で、プロローグは次の文章で始まる。

過度の禁欲は、しばしば狂信の温床となる。なぜならば、禁欲生活によって肉体はやせ衰えるが、想像力はかえって活発になるからである。彼らは、その欲することをことごとく正義と信じ、その信じることをことごとく神の啓示として現実に見るようになる。そして、神から選ばれた自分こそがそれを実現せねばならないという使命感が、彼らの心を燃えたたせてくるのだ……

 ピオ二世は法王就任の翌年1459年、オスマン帝国に対する十字軍遠征を主張する。いかにオスマン帝国の脅威が迫っていたにせよ、中世最後の大規模な十字軍と言われる第9回十字軍(1271-72年)から2世紀ちかくも経ている。まして11世紀末に行われた第1回十字軍とは欧州・中東ともに国際社会情勢がかなり違っていたのだ。15世紀半ばになっても十字軍を唱えているのだから、さぞ中世の遺物のような狂信的聖職者と思いきや、法王になる以前はそうではなかったのは興味深い。

 狂信者どころか高名な人文主義者であり、詩人、歴史家としても知られていた知識人だった。聖職者になる前は神聖ローマ帝国に仕え、皇帝の側近の外交官でもあった。ドイツ皇帝の宰相を務めた経験もあり、その時期には欧州の殆ど全ての君主との外交交渉を行っている。聖職界入り後もローマ教会の外交官しても活動していた。その政治的手腕が評価され、法王に推挙されることになるのだが、私利私欲に走らない清廉潔白な人柄でも知られていた。
 むしろ俗人時代の経歴から、彼が法王に選ばれればローマ教会を異教徒の手に渡すようなもの、あの詩人、哲学者、歴史家を自称する男は、その仲間で聖ペテロの殿堂をいっぱいにするに違いない、と危惧する者もいた。

 当代一流の知識人と呼ばれたビオ二世はローマ法王に就任すると、先ず清貧ぶりを発揮する。法王庁の日常経費を大幅に減らし、食費も切り詰める。民衆がこれを称賛したのは書くまでもない。
 対照的に失望したのは人文主義者たちだったようだ。自分たちの仲間と思っていたビオ二世の即位により文芸保護の風潮が広まると期待し援助を願うが、新法王はそれを冷たく退け、こう言い放った。
哲学的思想は、キリスト教理に照らして修正さるべきである。また哲学的批判や疑問は、教会の権威の前に沈黙せねばならぬ

 法王になる前となった後では、公的見解がこれほど変わるのか?人文主義者については全く浅学だが、教会の最高権威の座に就くと、それ以前の哲学思想さえ変わってしまうのか?巨大組織のトップになるや、権威風を吹かすのが知識人らしい。
その二に続く 

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