トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

九時の月 その二

2021-02-07 22:00:11 | 読書/小説

その一の続き
 ファリンの母は名門の出だった。母の父親はパフラヴィー朝だった頃は国王に重んじられた将軍で、王族と同じ待遇を受けていたほど。しかし革命の機運が高まってくると、身の危険を感じた将軍は妻と共に国外に逃げた。
 実際に王朝時代に軍の幹部に就いていた軍人たちの多くは、イラン革命後に粛清されている。そのすきを狙い、イランに侵攻を仕掛けたのが隣国イラクのサダム・フセイン。これが8年に及ぶイラン・イラク戦争になる。

 名門のお嬢様だった母は、娘が学校の階級の違う生徒と友達になることを許さず、「友だちがほしいのなら、わたしがさがしてあげます」が口癖だった。「あんな低い階級のどこの馬の骨かわからないような子たちとつきあうなんて、ゆるしません。わたしが女学生だったころは、あの学校は特別な階級のための……」そこから母の「昔はよかった」の長たらしい愚痴が続く。
 母が通っていた頃、ファリンの学校は上流階級のための施設で、金持ちが娘を送り込んで、社交界に出す前の仕上げの教養を身に付けさせる場所だった。だが、革命後はテヘラン中の成績優秀な少女たちの通う学校となった。入学の資格はテストの結果次第で、授業料もただ、出自も問われないから、今では様々な家庭の子がいる。

 これなら女子教育の面では、革命後のイランは王朝時代より格段に進歩したと日本人は思うだろう。明治13(1880)年、日本の使節団がイランを訪問しているが、そこで見学した官立洋学校の現場は酷かった。イラン人教師はモラルが低く、教師たちは賄賂の多寡により学生に優劣をつけていた始末。もちろん官立洋学校に女子生徒はいなかった。

 しかし、ファリンの母は「昔とはすっかり変わってしまった」と嘆き、全ての学校行事への出席を拒否する。自分の娘が成績優秀で表彰される時ですら、表彰式に出ない。口癖のように母はこういう。
泥の家に住んでいるような子たちの中で抜きんでたところで、価値はないわ。勉強はしなさい。叱られない程度に。でも、自分ができるのを見せびらかして注目されたところで、得るものは何もないわ。いろんな危険が増すだけよ」

 神の前の平等を謳っているイスラムだが、貧民を「泥の家に住んでいるような」と言っているだけで、凄まじい階級社会の実態が伺える。イランやファリンの母が特殊では?と思う方もいるだろうが、文久元(1861)年、エジプトを訪れた幕府使節団の記録にもイスラム専制下の富と政治の不平等が見える。
 福澤諭吉も団員のひとりだったが、「上は奢(おご)り下は貧しき様子」「上たる者は奢侈(しゃし)増長し、下たる者は苛政(かせい)にて苦しみを請け候」では、イスラム圏への悪印象の始まりになる。

 ファリンが5歳の時、パーレビ国王は母のいう「泥の家の住民たち」により追放され、それからすべて変わった。女性は皆、頭をスカーフで覆わねばならなくなり、髪の毛がほんのひと房でも見えようものなら、イスラム革命防衛隊が飛んできてしつこく嫌がらせをする。防衛隊員には女もいて、彼女らは常に車で往来を見回り、新しい規則に反する服装の女性を探しているのだ。
 往来で誰かが防衛隊に呼び止められ、服装違反を大声で咎められているのを見る度、ファリンの母は皮肉る。
この国には、なんとかしなくちゃならない問題が山ほどあるっていうのに、あの連中のかかずらうことといえば、髪の毛だけ!

 もちろん大声では言えない。学校と同じく街の中の至る所にスパイがいるのだ。革命や戦時下には市民同士の密告が蔓延るものだ。フランス在住のイラン人漫画家マルジャン・サトラピは、1969年生まれとファリンより数歳年上だが、自伝映画『ペルセポリス』にも服装を咎める革命防衛隊が登場している。
 それにしても、革命防衛隊の女たちが街を巡回、同性の服装をチェックするのは、戦時下の大日本婦人会と何と酷似していることか。人種や宗教が異なっても、女の行動はかくも似てくるようだ。
その三に続く

◆関連記事:「ペルセポリス
白と黒の革命-松本清張
明治の日本人が見たイラン

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2 コメント

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Unknown (鳳山)
2021-02-12 07:23:23
専制政治下の不平等社会、革命期の混乱、どちらにしろ済みにくい世の中ですね。
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鳳山さんへ (mugi)
2021-02-13 22:15:11
 前者では特権階級が我が世の春を謳歌していましたが、革命後も一部の革命分子が特権階級になりました。続きにも書きましたが、革命防衛隊の横暴の方がより残虐な印象を受けます。
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