暫く前から地方紙も含めメディアでLGBTの用語は連日のように使われており、目にしない方が少ないように思える。日本のメディアだけを見ていれば、全世界は挙ってLGBT尊重が主流であるかのような印象を受けるが、これは欧米諸国に限った現象に過ぎず、欧州でも東欧では未だに同性愛者を見る目は厳しいものがある。
そして第三世界、殊にイスラム圏はLGBTをイスラムの教義上、決して認めない。中東に関心を持つ方なら、この地域における同性愛者への迫害を知っているが、LGBTを敵視するのは中東だけではない。日本では一般に寛容なイスラムの国として知られるインドネシアも、近年はネットの影響もあり、反LGBTが活発化している。
総人口の9割弱がムスリムだが、多数派ムスリムとキリスト教や仏教、儒教など少数派宗教信者が融和的に暮らす国として知られていたインドネシア。インドネシアは多宗教・多文化共生を国是としており、この国のムスリムは温和で穏健と思われてきたが、そのイメージも変化していることは案外知られていないだろう。
私自身、インドネシアに関心がないこともあり、昔のまま温和で穏健なイスラムの国と思い込んでいた。しかし、それは間違いだったことが『イスラム2.0』(飯山陽 著、河出新書013)で初めて知った。
『イスラム2.0』第3章「インドネシアにみるイスラム教への「覚醒」」には、多宗教共生、少数派の尊重、穏健なイスラム教のイメージを覆すようなイスラム過激派のテロが次々と発生する背景について述べられている。
インドネシア研究で知られるオランダの人類学者マルティン・ファン・ブライネセンは編書「インドネシアのイスラム教における現代的発展」で、インドネシア社会全体がイスラム化、原理主義化していく大きな転機となったのは、2005年にMUI(インドネシア・イスラム法学者評議会)が発行した「宗教的多元主義、自由主義、世俗主義はイスラム教に反している」というファトワー(イスラム法的解釈)だと指摘しているそうだ。
原理主義が一般的なパキスタンならともかく、宗教指導者の出したファトワーがインドネシアでもこれほど影響を与えるのか、と私には疑問に感じた。それも私の無知ゆえで、2013年にピュー・リサーチ・センターが行った調査によると、インドネシアのムスリムの72%が、国の法としてイスラム法の導入を支持していたという。インドネシアは現代、世俗法で統治されている世俗国家だが、ムスリムの国民の多くがこの現状に不満を抱いているようだ。
スハルト政権時代、個人や団体がイスラム国家樹立を標榜することを禁じられていたが、政権崩壊後は宗教に対する規制が緩み、自由な言論が認められるようになったところで、先の様なファトワーが出された。
さらにインターネットの普及に伴い、社会全体がよりイスラム化、原理主義化していった。かつては文盲が多かったため、信者はコーランの内容を知らず、ウラマーの様な宗教指導者の説教を仰ぐほかなかったが、今では直にインターネットで経典やハディースを読めるようになったのだ。
その結果、インドネシアのムスリムは宗教の違いなど乗り越える必要はない、イスラム教という普遍宗教に全国民が服せば真に正しい平和がもたられる、と信じるようになってきているのだ。
特に衝撃的だったのは、自爆テロも辞さない、いわゆる「ジハード主義者」は少数派という見方は“否”だったこと。根拠としてコーランに「あなたがたの財産と生命を捧げて神の道においてジハードせよ。もしあなたがたが理解するなら、それがあなたがたのために最善である」(9-41)と記されている一節。
イスラムの教義について知れば知るほど、ジハード主義者の主張が啓示に忠実なことが明らかになる。インドネシアでイスラム法の適用やジハードを主張する人々は、もはや「非常に限られたごく一部の特殊な過激思想を持つイスラム教徒」だけとは言えなくなってきている。
LGBTはイスラム法では完全に否定されている。一般大衆ムスリムのイスラム化、原理主義化が進めば、当然彼らに対する風当たりが強くなるのは書くまでもない。ピュー・リサーチ・センターが2013年に実施した調査によると、インドネシアのイスラム教徒の93%が社会は同性愛を受け入れるべきではないと回答、2016~17年にかけて実施した調査によると、87%が「LGBTは私的、公的生活における脅威である」と回答しているという。
その二に続く
◆関連記事:「ホモセクシャルの世界史」