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奥州征伐と東北人 その一

2011-05-06 21:20:25 | 歴史諸随想

 何年も前、青森県出身のタレント伊奈かっぺいが何かのトークショー(番組名は失念)で、東北の歴史を語っていた。東北はこれまで5度に亘る奥州征伐を受けており、戦果は五戦五敗と全て負け戦続きだった、と。これには東北人である私も苦笑したし、なかなか鋭い指摘だと思った。

 伊奈かっぺいが言う“奥州征伐”の第1回目は坂上田村麻呂による陸奥国討伐、2度目は前九年の役、3度目は源頼朝による奥州藤原氏滅亡、 4度目は豊臣秀吉奥州仕置。そして最後は戊辰戦争とのこと。このような話を聞けば、さぞ東北人は中央政府を恨んでいるのかと勘違いする日本人もいるかもしれない。ただ、伊奈かっぺいはユーモア交じりで話しているし、少なくとも彼にはそのような怨念はないと思う。特に青森は5度の奥州征伐でも殆ど戦場にならなかったこともあり、伊奈かっぺいも“奥州征伐”を客観視できたのではないか。中央との闘いは東日本大震災と同じく岩手県、宮城県、福島県などが主だった。

 東北人が5度に亘る奥州征伐をどう受け止めているのか、個人差も大きく一括しては述べられない。私は殆どの東北人は中央政府の弾圧の過去を恨んでいるとは思えないし、その歴史さえ知らない東北人も少なくないはず。歴史教育でも郷土史よりお上による官製中央史観が重要視されており、歴史は勝者によって書かれるという原則が東北でも貫かれている。
 私の小学校時代の教科書に福島県の民芸品・三春駒の由来についての物語が載っていた。陸奥国征伐で苦戦している坂上田村麻呂の前に突如として木馬が現れ、彼を救ったという言い伝えがあり、三春駒はそれに基づいて作られたという。教科書で書かれた賊軍は蝦夷の表現こそ使われてなかったが、まるで山賊さながらの描き方だったのを憶えている。情けないことに田村麻呂に対抗した蝦夷の英雄アテルイがいたことを知ったのは成人後だった。

 総じて権威に弱い東北人に中央への反骨精神がそれほど強いとは思えない。仮にそれが強いならば、マルクス史観の左派文化人に煽られた可能性もある。反政府、反体制派こそが何でも進歩的と思う者は現代でも珍しくないし、その類こそ歴史の否定とねつ造に熱心なタイプが多い。ただ、この手合いは左右共にいる。
 むしろ中央よりも、東北人の方に近親憎悪的遺恨を燃やすケースも少なくなかったはず。職場の同僚に青森県出身者がいたが、弘前藩南部藩の因縁と現代にまで至る確執の話を聞かされ驚いた。中央集権的にまとまっていた仙台藩との違いはあるにせよ、ここまで近隣がいがみ合うのには違和感があった。

 中央の“征伐”で常に負け続けた東北人には、後進地帯の辺境の地という抜きがたい劣等感を抱いている。それが端的に表れたのこそ、サントリーの故・佐治敬三元会長による「東北熊襲発言」(昭和63(1988)年)。バブル当時、首都機能移転構想が盛んであり、仙台遷都論まであった。これに大阪人であり、大阪商工会議所会頭だった佐治が噛みついた。wikiには「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、 (中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」と載っているが、中略された部分にはもっと厳しい言葉があったのだ。彼は東北遷都論を牽制したつもりだろうが、東北地方の激しい反感を買い、各県でサントリー製品ボイコット運動が起きている。

 舌禍騒動に慌てた佐治は東北各県にお詫び行脚を開始、各県代表への訪問時に頭を下げて回っている。この発言以降、仙台で暫くサントリー製品が軒並み消えたのを憶えている。職場でも「サントリーなど飲むか、大阪で売れ!」と息巻いた人もいた。東北地方の民放でもこの時期サントリーのCMがストップされた。酒飲みが多い東北でのボイコットは、サントリーにも打撃となった。宮城県の地元紙・河北新報も佐治発言を大きく取り上げ、非難していた。

「文化的程度も極めて低い」と貶され東北が怒ったのも、それが真実であるのを自覚しているからなのだ。「東北は熊襲(※熊襲は九州)の産地」だけで、広く文化活動を行っていたこの会長殿の教養と文化水準を曝してしまったが、九州では東北ほどの怒りはなかったらしい。やはり征伐の回数も少なく、維新の立役者薩摩を生んだ土地柄もあるのか。
その二に続く

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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地域意識の中心はどこに? (室長)
2011-05-07 10:58:28
 東北地方という概念で小生が良く想起するのは、三内丸山遺跡とか、青森県にいた安藤氏が、渤海と交易していたという歴史。
 その他では、秋田に何故あれほど美人が多いのか?とか、そういえばまだ東北唯一の大都会仙台には行ったことがない・・・・などということ。
 もうひとつ、思い出すのは、佐治発言が問題となった頃に、東京の人々が言っていた「関西人は、東京に対する劣等感が強い、だから阪神対巨人に拘る」などという、関西への罵詈雑言。
 三重県人としては、子供の頃から、大都会といえば大阪だったし、古都の奈良、京都から考えても、関西人が新興の東京(純粋の東京人などほとんどいない)などに劣等感など抱くはずもないと言うことは明白で、東京では小生はこういう意見には何時も、「おまえらアホか。関西こそが本当の上方で、上方の京都を抱える関西人が、東夷<アズマエビス>に対して、劣等感など抱いているはずもない」と反論していました。
 とはいえ、三重県というのは、少し中途半端で、最近では、名古屋経済に取り込まれていて、東海意識の方が強くなっていて、関西意識は少し薄れていますけど。

 まあ、ブルガリアとか、世界の辺境地域を見てきた自分としては、日本の中でどこがミヤコだろうが、東北とか九州とか四国が、それなりに特徴的な文化とか、食べ物も有しているとか、これらは本当にすばらしいこととしか見えない。
 大阪が、何時までも頑張って、東京圏に対抗する文化を持ち続けることも、まさに小生としてはそうあって欲しい。
 そもそも、道州制という議論が小生は大嫌いです。東北地方だって、それぞれの県にも独自性も確立されているし、仙台州になっては絶対困ると思っている人も多いはず。九州も福岡州となるのは、誰のためにもならない。
 東海州ができたら、結局は名古屋州になるけど、トヨタは三河の国だし、三重県は、伊勢、伊賀、志摩、そして紀州の一部も含まれるのです。47県体制は、過去の歴史との関連でも、それなりによくできた区分だと思う。
 市町村合併も進展してきて、今後全国で300の市町村に合併してしまう、という構想のようですが、それですら大きすぎる自治体かもしれない。300というのは、江戸時代の藩の数が念頭にあるらしい。

 そういうわけで、日本の中では、実は、江戸時代の藩という時代が近世長かったから、それで自治体という経験も積み重ねられたし、そこでの地域性に拘ってきたから、「東北」とか言う、大きすぎる単位についても、あまり皆さんぴんと来ないのかもしれません。
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RE:地域意識の中心はどこに? (mugi)
2011-05-07 21:18:35
>室長さん、

 渤海と交易していた安藤氏が活躍していた時代、仙台は後進地帯で「千代(せんだい)」と呼ばれていたのです。仙台が発展するのはやはり伊達政宗によって。政宗も米沢(山形県)生まれだし、伊達家も元は福島県から出ています。以前、仙台のデパートで福島物産店が開かれた時、「伊達家発祥の地」を名乗っていた町もありました。そのため、仙台は新興都市なのです。
 美人で有名な秋田ですが、秋田に来た男性の声は意外に「美人がいない!」が多いのです。どの町でも美人は元から少ないから、ぬか喜びとなったのかも。秋田県に住んだこともある同僚の話によれば、秋田市より横手市に美人が多いとか。

 関西人は東京に対する劣等感が強いとの意見には、私も疑問です。ただ、江戸時代以降は東京が発展、関西が少しずつ地盤沈下してきたのは確かでしょう。かつては上方だったのに、東夷に越されるのは面白くない気持ちもあると思います。同じ日本でも大阪と東京は文化事情が異なるし、何でも東京化するのは困りものです。
 仙台も新興都市だし、仙台人は東北で評判が悪いのです。曰く「仙台人の通った後は、ぺんぺん草も生えない」…この町も生粋の仙台人は少数で、人口の約半分は宮城県または他の東北各県から移り住んでいるし、四分の一は東北以外の移住者。ミニ東京と言われるゆえんです。

 道州制には私も懐疑的です。いくら仙台州で地元が中心になるとしても、同じ東北でも北と南では気候さえ異なる。それを一律に何とか州とくくるのはおかしい。道州制で何かメリットはあるのでしょうか?
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