フレデリック・フォーサイスの『The Cobra』(角川文庫版)を先日読了した。文庫版の下巻の解説には2012年、フォーサイスが英国推理作家協会賞(CWA賞)のダイヤモンド・ダガー賞(巨匠)を受賞したことが載っている。前作『アフガンの男』はやや期待外れだったが、これはさすが“マスター・ストーリー・テラー”と謳われるに相応しい作品だった。今回はコロンビアの巨大麻薬カルテルとの熾烈な戦いを描いており、文庫版下巻でのストーリー紹介はこうある。
―コロンビアの巨大麻薬カルテル《エルマンダード/兄弟団》を殲滅するため、コブラは作戦を実行する。敵組織幹部の娘を人質に“ドブネズミ/裏切者”リストを入手、それと同時に諜報網を駆使して国内への密輸ルートを暴き出す。対空用に爆撃機を配備、海上に武装船を展開し、敵に姿を見せないまま鉄壁の組織を崩壊させていくコブラだったが、その作戦は大きな代償を強いるものだった……。圧倒的なリアリティで描かれる、軍事サスペンスの最高峰。
久しぶりにフォーサイスらしい作品を読んだ想いになった。今回の主人公コブラは通称で本名はポール・デヴロー、元CIA高官にして工作員、〈プロジェクト・コブラ〉の創設者にして中心人物。尤もフォーサイス作品を熱心に読んでいるファンならば、『アヴェンジャー』に登場した人物なのを憶えておられるだろう。
そして『アヴェンジャー』の主人公キャルヴィン(キャル)・デクスターが今回の副主人公。弁護士にして賞金稼ぎ、通称「アヴェンジャー(復讐者)」なのも同じ。デヴローが〈プロジェクト・コブラ〉の立案者で総責任者ならば、実行者の中心人物がデクスター。
一般の日本人には麻薬問題と言われても、未だに実感がない人も多いのではないか?地方在住ということもあり、私も麻薬中毒など一部の人間という印象だ。『コブラ』に見る十代の青少年まで麻薬汚染が深刻化している欧米社会は、つい小説特有の誇張?とさえ感じてしまう。但し、麻薬問題は日本も無縁ではなく、少なくとも麻薬では“欧米化”しないことを祈りたい。
小説にある“ドブネズミ・リスト”も驚愕させられた。これに出ている公務員は117人にのぼり、国は18カ国に亘る。新大陸はアメリカとカナダ、後の16カ国は欧州である。これら公務員は麻薬組織に買収されている汚職役人であり、捜査情報をシンジケートに密告したり、麻薬取り締まりを妨害する。まさに官憲に巣食う“ドブネズミ”だが、潤沢な資金に恵まれている麻薬カルテルのこと、“ドブネズミ”のなり手に不足しない。
作者によるドイツやオランダへの批評は面白い。フォーサイスはドイツの官界は上下関係に喧しいと書いており、何やら極東の某島国と似ていると苦笑した。ドイツ社会の自主性を讃える日本の知識人は多いが、官界が上下関係に喧しいのであれば、各界もそれほどフレンドリーなのやら。そしてオランダについては、こう述べている。
「オランダは極端なまでのリベラリズムを誇る国だが、巨大な裏社会も抱えている。おそらくあまりに寛容なせいもあるのだろうが、裏社会のうちの大きな部分がヨーロッパ内外の外国人に占められている…」
作者はそのひとつにトルコ系犯罪組織を挙げていたが、小説には麻薬運び屋のアルバニア人も登場する。アルバニア人と言っても日本ではピンとこない人が大半だが、「アルバニア・マフィア」は欧米諸国で活発に活動している。麻薬売買が国内外の外国人によって占められているのは、日本も同じなのだ。
麻薬カルテルは南米の一般人の運び屋を“ラバ”と呼んでいたが、映画『そして、ひと粒のひかり』は、その運び屋の少女が主人公。映画で運び屋は“ミュール”と呼ばれており、避妊具のようなゴム袋に詰めた麻薬を数十粒飲み込んで渡米する。これまた貧民が多いコロンビアで、なり手に不足はしないが、新型X線の開発で、状況は変わってきたことが『コブラ』に載っていた。
その二に続く
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