トーキング・マイノリティ

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彼女が消えた浜辺 09/イラン/アスガー・ファルハディ監督

2010-10-21 21:12:06 | 映画
悪意のこもった真実よりも、優しさの混じった嘘の方が優る」というイランの諺がある。その諺どおりにストーリーが進行していき幕となる。日本公開では社会派作品が殆どのイラン映画の中で、珍しい心理サスペンス劇だった。舞台となるカスピ海沿岸は、国土の大半が砂漠のイランでは例外的に湿潤な気候だそうで、緑豊かな風景だった。

 冒頭で「神の名において」の字幕が出るのはいかにもイラン映画。聖なる字幕の次はハイウェイの場面に切り替わり、車ではしゃぐ若い男女が映される。車の窓から身を乗り出し、歓声を上げる女もおり、イランの若者も今時の日本の同世代とあまり変わらないように思える。この一行はテヘランから近いカスピ海沿岸のリゾート地に週末旅行に来た大学時代の友人たち。既に家庭を持ち家族同伴で来ている。その参加者のひとりにエリという独身の若い女がいた。彼女はセピデー(女性)に誘われ参加しており、セピデーの子供が通う保育園の保母をしていた。セピデーには離婚して間もない友人アーマドに、エリを紹介するという思惑があった。アーマドは暫く住んでいたドイツから帰国したばかりで、ドイツ人妻とうまくいかず破局を迎えたのだった。

 リゾート地といっても豪華なホテルに滞在したのではなく、空いていたのは掃除の必要なほど荒れた一軒の家。それでも参加者は浮かれあい、お喋りを交わし、踊る。その踊り方は手の動きもステップも、下半身に重心を置く日本とはやはり違う。舞い上がるといった感じで、以前見たトルコの庶民の踊りに似ていた。
 食事も敷物を敷いた床に直に皿を置き、テーブルを使わない。トマトをたくさん添えられていたのが印象的だった。食事の後、パントマイムによる連想ゲームを楽しむが、「みなしごハッチ」という回答があったのは驚いた。あのアニメがイランでも公開されていたのか、単に意訳なのか…

 事件が起きたのはバカンスの2日目だった。参加者の子供が海で溺れ、何とか助け出されたが、その直前まで子供を見ていたはずのエリがいない。旅行に乗り気ではなく、1日だけで帰ろうとしていたエリを、強引に引き留めたのはセピデーだった。必死の捜索が行われると同時に、忽然と浜辺で姿を消したエリをめぐり、一行は様々な憶測を交わしあう。事件に巻き込まれたのか、黙って帰ったのか…
 警察による事情聴取から、旅行に誘ったセピデーさえエリの本名を知らなかったことが浮かび上がる。保育園で知り合っただけで深い付き合いはなかったという。一行はエリの失踪について対策を論じ合ううちに、苛立ちもあり仲間同士がぎくしゃくしてくる。さらにお膳立てしたセピデーの発言には疑惑や矛盾が見えてきた。

 実はエリには婚約者がいたが、彼女はその相手を愛せず解消をしたがっていた。しかし、女から婚約解消を申し出るのは難しいのがイラン社会である。そこで友人アーマドのためにもセピデーが労を買い、エリと引き合わせるため、ためらうエリを説き伏せて旅行に同行させたのだった。問い詰められやっと真相を語るセピデーだが、イランでは若い女が婚約解消もせずに、別な男と会うのは罪なこととされる。リゾート地に現れたエリの婚約者にも、偽りを言うセピデーだった…

 イラン現代史が専門の研究者・桜井啓子氏はイラン女性を次のように評している。「おせっかい焼きで涙もろい半面、一歩も引かぬ意志で周囲を驚かせたりする…」。もちろん全てのイラン女性がそうではないにせよ、セピデーなど典型的なおせっかい屋である。彼女は夫に何も言わず独断で決めており、人からよく頼まれごとをされる人物だった。善意で行ったことが裏目に出たにせよ、セピデーが最後についた嘘は皆を救ったのだ。もし真実を語っていれば、エリの名誉や彼女を熱愛していた婚約者の心情を損なうだけでなく、参加者全員も迷惑がかかる。セピデーの嘘は自己保身の面もあるが、優しさも混じっていたのは確かだろう。

 この作品は本国イランで2009年の年間興行収入2位の大ヒットとなり、ベルリン国際映画祭で最優秀監督賞(銀熊賞)はじめ数々の賞を受賞したことがチラシに載っている。中産階級の男女がバカンスに興じるという設定自体、イラン映画としては斬新だったし、風習が異なっても体面を重んじる人間社会は変わりないといえる。
 エリの持っていたボストンバックはルイヴィトンだった。イラン女性もブランドに関心があるのが知れ、ブランド志向は日本人だけでないのが明らかであり、妙に安心させられた。

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2 コメント

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Unknown (キミママ)
2011-01-14 08:34:15
始めまして、検索で、イランとインドのモスリム化が上がってきて、こちらのサイトをしりました。元々歴史と映画好きなのですが、当地では、なかなか日本の活字に触れることがないので、書評や映画評楽しんで読ませて頂きました。
私自身、イランに住んで数年になりますが、小さい子がいますので、なかなか時間が思うようにならず、また当地では、英語訳もつきませんので、この映画は見ていません。中身が大変面白そうでしたので、近々、友人に聞いて、DVDでも買いたいと思います。
さて、当地では、昔日本のアニメが多く放送されたそうです。ちょうど「おしん」がイランに入った頃です。「ピノキオ」「一休さん」「水戸黄門」など、20代の若い子達でも知っているものもあります。
ですので、「みなしごはっち」は、誤訳ではないのではと思われます。

時々、ブログ見せていただこうと思います。
新しい書評、映画評楽しみにしています。
キミママ さんへ (mugi)
2011-01-14 21:47:42
初めまして。コメントを有難うございました。
 まさか、イラン在住の日本女性が拙ブログを読まれていたとは、想像もしておりませんでした。本当にネットは便利なものです。

 私は外国に住んだことは皆無であり、まして日本と文化の異なるイランでの生活は想像もつきませんが、数年も経てばやはり「住めば都」の心境になるのでしょうか。日本でイランに関する報道はとかくネガティブな内容が多いけど、殆どのイラン国民は日本人と同じく平穏に暮らしていると思います。是非そのうち、イランに観光で行ってみたいものです。

 中東でも日本のアニメが放送されたことは聞いています。しかし「ピノキオ」はともかく、「一休さん」「水戸黄門」のようないかにも日本的なアニメを知っているイランの若者もいたのは驚きました。イラン人がそれらを見て、どう感じたのでしょうね。

 プロフィールに書いたように、私も歴史と映画好きです。今後とも拙ブログを何卒よろしくお願い申し上げます。