早いもので、今日は熊本地震発生から5年目になります。今年は東日本大震災から十年を迎えた年でもあり、東日本大震災を体験した東北人にとっても熊本地震は他人事ではありません。熊本地震の犠牲者並びに被災者の皆様方には、改めて心よりお悔やみ申し上げます。1日も早い熊本の被災地復旧を願っております。
熊本地震では幸い津波はなかったが、地震発生後の熊本在住のブロガーさんの記事からも、こちらと状況はよく似ていると思った。絶え間ない余震、食料品では殊に乳製品やパン、レトルト食品が店頭から無くなる。家主が避難所に退避したため、空き家になった家には相次いで泥棒が入る。何処でも大地震の後は同じような現象が起きるようだ。
東日本大震災後、被災地には続々と外国人宣教師が来たことを河北新報は報じていた。国内のキリスト教団体も被災地入りしていたが、彼らについてキリスト教史女性研究者ブロガーから興味深いコメントを頂いたことがあり、その一部を引用する。
「私も数度、さまざまなルートで被災地にささやかな送金をしましたが、確かにおっしゃる通り、キリスト教団体の中には、聖書を配布したり、支援と同時に体制批判を繰り広げたり、現場のニーズと必ずしも合致しない動きが観察されたように思います。ある人は、これで日本がかつてのポルトガルのように衰退していくという予測を、どこか嬉しそうに話していた程です……」(2016-03-11)
これで日本がかつてのポルトガルのように衰退していくという予測をしていた者の性別は不明だが、この箇所を見た時、件の耶蘇に私は“蓑踊り”にしてやりたいとマジで思った。日本人クリスチャンが総じて反日なのは知っていたし、ネットでは震災への喜色露わな書込みが結構見られた。書込んでいたのは中韓のネットユーザーではなく日本人クリスチャン。その一部を紹介したい。
「神様はこのような災害を“黙認”しておられます……神様が“起こした”のではなくて、“起こるのを許された”」
「この災害で人々の信仰も深まることも願っているはずです…今こそ隣人を愛し、信仰を深めるべきなのではないでしょうか」
おそらく熊本地震後にも被災地には、さぞキリスト教団体や外国人宣教師等が現地入りしたことだろう。連中にとって震災は絶好の宣教のチャンスであり、被災地を草刈場と見ているのだ。果たしてどれだけのノンクリ日本人を“救済”できたのかは不明だが、震災を布教活動に結びつけることにキリスト教団体は実に長けている。
キリスト教団体は日本ばかりか世界各地の被災地でも宣教活動を繰り広げており、救援物質と同時に聖書を配布している。現場のニーズを完全無視しているのではないにせよ、神の福音を伝えることが最大の目的である。
中には震災が起きたのはキリスト教を受け入れなかったからという者までいるらしい。命以外は全て失った被災者に対し、これほど残酷な言葉はないが、クリスチャンに限らず熱心な宗教信者ほどそう考える傾向がある。
クリスチャンが日本敵視するのはキリスト教を受け入れぬ罪深き国であり、衰退すれば福音を受け入れると見込んでいるはず。そんな予測をするのは自由だが、国が衰退した時、マイノリティがどんな憂き目に遭うのか、と言いたい。やはりクリスチャンにはキリスト教批判は面白くないようで、5年前には以下のコメントがあった。
Unknown (Unknown)
2016-04-10 17:37:50
mugiさんのキリスト教への尽きることのない敵意の源は一体何なのでしょう。
元からクリスチャンには嫌悪感があったが、私がしばしばキリスト教やクリスチャンへの批判記事を書くのは、震災時での怒りが最大の動機なのだ。私も執念深い性質だし、尽きることのない敵意の源はクリスチャンが震災を喜んでいたことにあり、生涯消えることはないだろう。
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「文科系のNGOやボランティアを被災地へ入れるな!」
復興についてもあまり報道されませんね。せいぜい熊本城再建の話ぐらいしか報道を見た記憶がないです。
確かこの年は水害も加わり地盤が緩んだところへの
追撃になったハズで、それもふくめてかなりの大事だったはずなのに。
熊本では6月に水害もあり、電気・ガス・水道が使えなくなった処が続出したことを憶えています。ただでさえ暑い中、水道や電気が使えないのは大変です。