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キリシタンはなぜ迫害されたか? その①

2017-03-22 21:40:46 | 歴史諸随想

 映画や原作となった小説も未見だが、2月23日付の河北新報15面に「映画「沈黙」に思う」というコラムが載った。寄稿者はノートルダム清心女子大の山根道公教授(1960年岡山県生まれの文学博士とある)。以下はコラム前半からの引用。

不寛容に向かう時代の潮流を象徴するトランプ米大統領の就任演説が朝のニュースで流れた日に、遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙 サイレンス」の封切りが重なったことに、重い意味を感じる。トランプ大統領は聖書に手を置いて宣誓し、演説でも旧約聖書の「詩編」の一節を引用して神の民の団結を促し、過激なイスラムのテロを根絶することを語った。

「沈黙」も不寛容な時代の物語だ。江戸幕府がキリスト教を危険視し、信徒を根絶しようと弾圧し、多くの血が流れた。そうした日本に宣教師ロドリゴは潜入し、日本人信徒の苦悩と悲惨を目の当たりにする。神はなぜ黙っているのかと問い続ける中で、マカオからの案内人だったキチジローに裏切られて役人に捕まる。 
 心の痛みの極みで、踏絵のキリストの眼差しが、踏むがいい、お前の痛みを私が一番よく知っている、その痛みを分かつため十字架を背負ったのだ、と訴える声を聞き、ロドリゴは踏絵に足をかける…

 山根氏がクリスチャンなのかは不明だが、彼の名を検索したら2015年6月17日付のchristiantodayに、「遠藤周作と故井上洋治神父の言葉から、宗教の平和と共存を考える」という記事がヒットした。christiantodayといえば、東日本大震災時を思い出す。拙ブログに2011-6-16付でこんなコメントを頂いたからだ。
被災地で聖書が無料で配られていたとのことですが、火事場泥棒と言ってよい所行です。クリスチャン・トゥデイというインターネット新聞があります。震災が起きた当初、今こそ布教のチャンスという記事がいくつかありました。現在は全て削除されていますが、悲しむと言うよりも高揚した記事が多くありました…

 この時初めてクリスチャン・トゥデイなるサイトを知った上、件の記事は全て削除されていたので読めない。魚拓があれば結構だが、隣国人や日本人クリスチャンも震災を喜んでいたことはネットでも見られたし、今こそ布教のチャンスと見ていたのは当然だろう。そして山根氏は河北のコラムの中頃で、こう書いている。
キリスト者が信仰の土台すべき新約聖書でイエスは、旧約聖書にある「目には目を」の報復を否定する。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい、天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、雨を降らせてくれるのだからと、愛と寛容を訴える…

 私の感想は、christiantodayでの内容と同じく、クリスチャン及びシンパがよく使うキレイごとと建前論を用いた欺瞞そのものだった。確かにイエスが敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい、と言ったのは立派だと思うし、自ら血刀を振るったムハンマドとはあまりにも対照的。同時にイエスがこう言っていたことを、一般に日本では知られていない。
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」(マタイ5:17-18)

 キリスト教が本来はユダヤ教の教典である旧約聖書を否定せず、“聖書”に組み入れている背景がこれだけで知れよう。「目には目を」の報復を否定するどころか、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされると宣言している。ルカによる福音書にも物騒な発言があった。
わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか」(12:49)
 もしかするとクリスチャンは、“火”とは信仰や信念の“火”であり、放火を意味しているのではない、と言い繕うかもしれない。だが、クリスチャンはキリシタン迫害のずっと以前から、夥しい異教の施設や異教徒を火に投じていた。学生時代、私が宗教学で初めて知ったイエスの言葉は実に衝撃的だった。 

地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ10:34-37)

 在日ドイツ人によるHPの「神のみ言葉(聖書)から…」という記事は大変興味深い。前半は旧約聖書の残酷な行為が延々と紹介されているが、後半は新訳聖書を引用、「新約聖書は旧約聖書の残酷行為を正当化する」論拠を挙げている。有名女子私大の教授殿よりも、ドイツ人の意見の方が遥かに説得力がある。
その②に続く

◆関連記事:「教会は最大の犯罪組織?
 「キリスト教会、その信者の歴史観

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