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人を幸福にするはずの宗教? その一

2011-12-03 20:41:15 | 世相(日本)

 先月11月で一連のオウム裁判が終結した。1995年3月20日の地下鉄サリン事件から16年目になる今年ついに裁判も結審を迎えたが、オウム真理教事件では解明されていない点も少なくない上、このまま迷宮入りになるだろう。地下鉄サリン事件が日本中を震撼させていた頃、オウムウォッチャーとして知られるジャーナリスト江川紹子氏が何度も口にしたのは、「人を幸福にするはずの宗教が…」の言葉だった。江川氏に限らず当時のマスコミもまた、「人を幸福にするはずの宗教~」の表現を盛んに使っていたのを憶えている。

 この言葉くらい、日本のマスコミの宗教に対する姿勢を示したものはないと私は見ている。単に宗教に無知であるのか、或いは宗教の本質を無視しているのか、またはその双方と考えられるが、少なくとも日本の報道では宗教批判はタブーとなっているとしか思えない。
 また、「殺人を認める教義」とマスコミはオウム真理教をよく非難しており、これまた私は苦笑させられた。そもそもオウムに限らず、メジャーな宗教で「殺人を認める教義」がないものなど聞いたことはない。ユダヤ、キリスト、イスラムのセム族一神教の啓典には全て殺人、殊に敵対的異教徒への「聖絶」が承認、奨励されているのだから。一部紹介したい。

即ちあなたの神、主が彼ら(異教徒)をあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約もしてはならない。彼らに何の哀れみをも示してはならない(申命記7-2)。
あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい(コーラン47-4)。

 多神教の教典もまた「殺人を認める教義」は見られ、M.ガンディーが愛読していたヒンドゥー教を代表する教典「バガヴァッド・ギーター」など、クリシュナ神自らが同族争いに心迷う王子アルジュナに戦いを説いている。「クシャトリアにとって、義務に基づく戦いに勝るものは他にないから」(2-31)と、親類や友人たちと戦え、つまり殺せと鼓舞する。
 建前こそ不殺生の仏教も密教となれば殺人を容認しており、敵対的異教徒となれば仏敵ゆえに僧侶は殺害を奨励したりもする。一神教よりはずっと少ないが、仏教間の激しい宗派争いもあり、これが発祥国インドでの衰退の原因にも繋がった。

 メディア関係者の決まり文句どおり、宗教には悩める人間に精神の安らぎを与え、幸福をもたらす力があるのは事実である。そして人類史上、哲学精神と芸術へもはかり知れない貢献も果たしている。それと同時に恐るべき混乱と災厄、因習と腐敗、破壊と暴力、差別や迫害、略奪と虐殺を起こしてきたのもまた宗教なのだ。
 不可触民を「ハリジャン」(神の子の意)と呼び、彼らへの慈悲を説いたガンディーすらカースト制を否定するどころか、「カーストは神の定めしもの」と断言していた。異教徒には偽善と欺瞞としか見えないが、これが敬虔なヒンドゥー教徒の限界だったろう。

 特に日本のメディアでは政党を持つ宗教組織が牛耳っており、学会非難など事実上不可能となっている。学界はもちろん、他の宗教の問題を指摘するコメンターが出る番組など、少なくとも私は見たことがない。オウムさえ地下鉄サリン事件が起きる前までは島田裕巳が典型だが、持ち上げている宗教学者さえいたのだ。
 島田は後にオウム御用学者としてマスコミからバッシングされるが、それも身から出た錆なのだ。しかし、江川氏のように島田を批判したジャーナリストさえ、「人を幸福にするはずの宗教」の文句を念仏のように唱えていたのは、実に不可解ではないか。怪しげな宗教組織は昔から数多くあったのに、日本の文化人は宗教とは人間を幸福にするはず、という観念論に憑かれているのだろうか。
その二に続く

◆関連記事:「宗教の勧誘を受けたら…
 「宗教に救いを求める人々

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2 コメント

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光と影 (ミツカン)
2011-12-06 21:30:04
>ユダヤ、キリスト、イスラムのセム族一神教の啓典には全て殺人、殊に敵対的異教徒への「聖絶」が承認、奨励されているのだから。

人間は「われわれ」と「彼ら」を分けたがる生き物ですからね。
宗教と同じく人間を幸福にするはずだった人文主義や啓蒙思想も、人間を「文明人」と「野蛮人」に分け、自然法に反する不正と罪を犯しているアメリカ大陸の先住民に対しては、彼らから自由と財産を奪うことを正当化しました。
国際法も、当初は文明国、つまりヨーロッパ諸国の間でのみ認められる規則にすぎず、ヨーロッパ以外の地域では無主地に対する征服を認め、文明的交戦法規を守る日つ世もありませんでした。
「宗教とは人間を幸福にするはず」と考える人々は、宗教に限らず人間が創りだすものにはすべて、光と影の両面があるということを知らないのでしょう。
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RE:光と影 (mugi)
2011-12-07 21:38:34
>ミツカンさん、

 宗教教典には人間として守るべき高尚な倫理を説きながら、異教徒殺害を正当化する教義も結構ありますよね。長所は欠点と背中合わせ、と言った人がいますが、宗教教典自体そんな人間の作品なので、プラスマイナスの両面があるのです。

 欧米のダブルスタンダードを非難する中東世界も、非ムスリムへの露骨な二重基準がとられています。宗派により「われわれ」と「彼ら」を分けるならば、我々以外の者には違う基準をとるのも当然の帰結となるでしょう。

 マスコミに登場する文化人が本気で「宗教とは人間を幸福にするはず」と考えているならば、人間の持つ二面性を知らないとなりますよね。日本の共産主義者がよい例ですが、その類こそ簡単に新思想に飛びつき、思想や制度を変えれば問題は解決すると思い込む。
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