今日で広島に原爆を投下されてから75年目を迎える。コロナの影響もあり今年の原爆式典は規模を縮小して行われたが、70年以上経ても式典が行われていることは考えさせられる。被爆者の方々が核廃絶や核のない平和な世界の実現を願う気持ちは理解できるが、国際情勢からも“核のない平和な世界”は実現不可能なお題目となり果てていると認識するべきだろう。
そして反核団体とやらもホンネでは核兵器廃絶など夢物語と思っており、平和主義に擬態した左翼或いは圧力利権団体と化していることに気付いている日本人も少なくないはず。
ひと月ほど前に『逆説の日本史』シリーズ7巻目(井沢元彦著、小学館)を図書館から借りて見た。その中に核兵器について書かれた箇所があったので紹介したい。
―二十代の読者はおそらく知らないだろうが、かつてソビエト連邦がまだ健在だった時代、いわゆる「進歩的文化人」やマスコミの一部はソビエトや中国のような共産圏の国家のことを「平和勢力」と呼んでいた。
たとえば「アメリカの核兵器は反対すべきだが、平和勢力の持つ核兵器は脅威ではない」という、今から考えればまったく信じられないような議論が堂々となされていた。十代や二十代の読者は、到底信じられないかもしれないが、これはまったくの事実で、図書館に行けばあるいは先輩に聞けばいくらでも確認できることだ。
そうした左翼的文化人の大部分は今ではカメレオンのように意見を変えたり、かつての影響力を失ったりしているが、そういう人々がいまだに堂々と生き延びているのが学問の世界である。というのはマスコミの世界では、そんなバカなことをいつまでも言っていれば、誰もその人の言を信用しなくなるし、そういう人々を重用している新聞雑誌を読まなくなる。つまり淘汰される。
ところがそういう淘汰が全く働かないのが、学問特に大学を中心とした研究機関の世界である。なぜならここでは文字通り十年一日同じことを言っていても、教授の職を失うということは無い。大学生活を送った経験者なら、十年以上前から同じ教科書を使って、先輩に聞いてもまるで進歩のない講義をしている教授に、一度は巡り合ったことがあるのではないか。(ハードカバー版306頁)
本書のあとがきには1999年7月23日記すとあり、初出版時には私は30代だったが、かつてソビエトや中国のような共産圏の国家のことを「平和勢力」と呼んでいた輩がいたことを50代後半になって初めて知った。
平和勢力の持つ核兵器は脅威ではない、という発言だけで開いた口が塞がらないが、これは日本の知識人特有の現象ではなかったことが英国人作家フレデリック・フォーサイスの小説『第四の核』に載っている。2006-08-24付の記事でも書いたが、ここから再び引用する。
「レニングラード(現サンクトペテルブルグ)でエルミタージュ博物館を絶賛してきた、いわゆる文化の禿鷹たちである。彼らを感化したのは同じイギリスから来た“平和”団体の代表団と声を合わせてソビエト賛歌を歌った学者一行であるが、その“平和屋”たちはモスクワとハルコフ(ウクライナの都市)で記者会見をやらかして自国を非難し、ソビエトの宣伝機関に格好の餌をふんだんに提供してきた愚か者である」
「左翼による選挙運動に一貫して流れるもう一つのテーマは、反米主義であった。多くの演説会場やTVスタジオで、インタビュアーや司会者が核軍縮論者のスポークスマンからソビエトを論難する言葉を引き出すことが急速に不可能になりつつあった。絶えず繰り返されるテーマは、戦争挑発者、帝国主義者、平和の敵といった描き方をされる、アメリカに対する憎悪であった」
但し日本が英国と違うのは、左翼とキリスト教団体の結びつきが見られた点である。日本の平和団体にはキリスト教系組織が多く、全てとは言わないが、反核平和を装った反日組織が際立つ。そもそも「平和勢力の持つ核兵器は脅威ではない」と公言しただけで、連中はおかしいと未成年でも気づくかもしれない。
これではダニエル・シーマン(※原爆犠牲者を悼む平和式典を「独善的でうんざりだ」と腐したイスラエル高官)ならずとも、日本の平和団体のお題目は独善的でうんざりさせられる。
井沢氏が述べたように、かつての左翼的文化人の大部分は今ではカメレオンのように意見を変えたりしている。そして彼らは環境保護活動家に豹変しているが、これまた中国の環境破壊や海洋資源荒らしは絶対非難しない。最近の環境保護活動は北欧の少女を持ち上げ広告塔にしているが、この少女もまた中国やインドにはダンマリだった。
尤も井沢氏は、左翼的文化人を重用している新聞雑誌を読まなくなる、つまり淘汰されると言っているが、少し見通しは甘いのではないか?販売数は減少しているにせよ、左翼的文化人やその支持者の投稿ばかりの新聞は未だに健在なのだ。河北新報には「新聞科学研究所」なる完全な新聞業界の御用機関の広告や記事を載せており、「子の夢、新聞で広がる」というコピーまであった。
バカバカしいにもほどがある文句だが、この機関には現役の小学校教師も関わっており、教育機関でのおかしな教員は未だ淘汰されそうもない。
◆関連記事:「原爆とТVドラマ・ホロコースト」
「核兵器とモサド」
「アラブが見たヒロシマ」
「反原発、原発支持者の如何わしさ」
私の学部は戦争研究と関係ない学部でしたが、戦史
叢書(防衛庁公式)から陸戦史学会誌、60年代から
70年初頭までの防衛装備年間等々、6070年代
の軍事関係本が充実しておりました。
が、図書カードを見ると誰も借りた形跡がないww
もしくは数十年で1~2件程度の貸し出しw
ほぼ私のためにあつらえたような大学図書館でしたw
でまあ当時の赤い人々が書いた本も多数あるわけですが、まあ「平和勢力を擁護せよ!」というのはよくでてきますね。資本主義(帝国主義国家)は
市場を常に開拓して搾取を続けなければならない
→ゆえに新植民地主義の基づいた権益のため
の戦争=侵略戦争に邁進せねばならない
→一方共産主義国家は必要な物を必要な量だけ生産し、必要以上の市場を求める必要がなく、軍事力はしたがってすべて防衛のものである!→ゆえに
「平和勢力!!!!!」てなもんでした。
もう共産主義が1~10まですべての世界 日本の問題を解決する万能薬状態という扱いでまあwww
60年代70年代でもハンガリー侵攻や中越戦争
などがおきているののに目出度いことです。
そういう意味で当時の本は実に面白く。勿論答え合わせを知ってるがゆえに、ギャグとして一流の書物でしたw
学問の世界はさらに酷く、どんなにおかしな教授でもそれに迎合しなければ単位を貰えないという弊害があります。私の大学はど田舎の五流大学でしたが、韓国の大学と交流し韓国人教授が主要科目を講義していた為、血の涙を流しながら日本批判の答案を書いた思い出がありますよ。
男性さえこの有様では、まして女性が知らないのは当然でしょうね。かくいう私もネットで初めてシーレーンの重要性を男性ブロガーさんから教わりました(汗)。
私の母校も赤いセンセイが教壇に立っていたし、赤い人々が書いた本も多数あったはずですが、まず見た記憶がないんですよね。東洋史を扱う東洋文庫を借りましたが、こちらも殆ど借りた形跡がなしw
赤い人々が共産圏を「平和勢力」と呼んでいたのは本当だった!共産主義国家ほど「革命の輸出」のための侵略戦争に邁進していたのに、すべて防衛のものである!ゆえに平和勢力!!!!!とは出来の悪い漫才ですね。
連中はハンガリー侵攻や中越戦争でも侵攻された国が悪い、全ては米帝の差し金と陰謀論でも展開していたのやら。
鳳山さんの母校には韓国人教授がいたのでしたか!地理的に九州はちかいため、韓国のクズ教授が来るのですね。幸い私の母校にはいませんでしたが、今はいると思います。尤も80年代初めの宮城県さえ日本人のアカ先生が主流でした。
MAD が冷戦という名の"平和"をもたらしているのは正しく、戦略核兵器は直接の脅威ではありません。
一方、アメリカは戦術核兵器の先制使用のオプションを保持しています。これは、中国やロシアの大規模な陸軍による侵攻を止めるためです。
"平和勢力"の反核活動の目的はここにあります。
核兵器が無くなったら(戦術核兵器の先制不使用をアメリカが宣言したら)、中国やロシアはもっと自由に通常兵器で侵攻ができるのです。
オバマ政権で核兵器の先制不使用宣言を検討したことがあり日本などが止めたこともありました。
恥ずかしながら、相互確証破壊(MAD)や戦略核兵器、戦術核兵器などの用語を初めて知りました。wikiを見て何とか理解できましたが、"平和勢力"が反核活動をする真の目的もこれらが原因だったとは。
さらにオバマ政権で核兵器の先制不使用宣言を検討したことがあったこと、それを日本などが止めたことも初めて知りました。どうりでオバマをメディアが持ち上げるワケです。
核兵器を先制使用した権力者は、その名誉を永久に剥奪され、全世界で入国を禁止され、全世界の教科書で人類の敵だと教えられ、宗教界では神の敵だと宣言される。権力者を庇う者(国)も同罪とする。こうすることを予め宣言しておく。(最初は、SNS で #MeToo のように広げる。)
こんな感じで可能ではないかと。(今でもやれると思っています。)中国も一族の名誉を気にするので、かなり縛れるのではないかと。
ところが、調べているうちに、先制核攻撃(侵略の手段)と核の先制使用(侵略に対する防衛手段)の違いが分かって、ぞっとしたのです。
「"平和勢力"の持つ核兵器は脅威ではない」。これは正しいのです。
ここを論点にしてしまうと、「"平和勢力"の持つ通常兵器(大量の陸軍)が西側にとって最大の脅威である」「"平和勢力"にとり通常兵器を使わせないための西側の核兵器が邪魔である」という事実から目を逸らされてしまいます。
相互確証破壊(MAD)や戦略核兵器、戦術核兵器などの用語は知りませんでしたが、私的には核廃絶は夢物語だけでなく、核兵器の先制不使用も疑問に感じていました。
というのは核兵器を先制使用しても相手が異教徒ならば構わないし、使用しても神の敵だと宣言はされません。現に核兵器の使用を訴えるキリスト教聖職者はカトリック、プロテスタント共にいました。最近のバチカンは核兵器廃絶を訴える主張を繰り返していますが、「神の摂理でそうなってしまった」という言い訳が教義的にも可能です。
同様に儒教中心地の中国も、相手が夷狄であれば問題ない。夷狄に核兵器を先制使用しても一族の名誉を汚すことにはなりません。むしろ勲功に値するかも。
先制核攻撃(侵略の手段)と核の先制使用(侵略に対する防衛手段)の違いという主張には、ハッとさせられました。私も含め同じように見ている人も多いと思いますが、"平和勢力"の論点ずらしは実に巧妙です。本当にmottonさんの意見は何時も勉強になります。