トーキング・マイノリティ

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エンヴェル・パシャ-国を破滅させた夢想家 その①

2007-07-23 21:24:31 | 読書/中東史
 正式名は「統一と進歩委員会」だが、西欧側から「青年トルコ党」と呼ばれ、日本の世界史の教科書でもそれに倣い表記された組織から頭角を現し、1908年政変(いわゆる青年トルコ人革命)を起こしたのがエンベル・パシャだった。トルコ初代大統領ケマル・パシャとは同い年ながら上司はエンヴェルであり、2人は終生そりの合わない政敵だった。

 エンヴェルは1881年イスタンブールの下級官吏の家に生まれたとされる(出生地には異説あり)。ケマルより先に陸軍幼年学校に入学し、さらにエリート・コースを歩んだ。エンヴェルが“革命派青年将校”の項目になれたのは、トルコ帝国の再生に「汎テュルク主義」 を掲げていたところが大きい。汎テュルク主義とはトルコ帝国に住むトルコ民族のみならず、それより数が多い異国の支配下にあるトルコ民族、つまりイランか らアフガン、そしてロシア帝国と清朝の間で分割されてしまったトルキスタン(文字通りトルコ人の土地、所謂中央アジア)の諸トルコ系民族を決起・独立さ せ、新たな「大トルキスタン」を結成しようとする運動である。

 この「汎テュルク主義」とは20世紀初頭だけの現象ではない。1970年 代にトルコで再度主張した政党が現れ、国会で一割ほどの議席を占めたこともある。現代でもトルコ語サミットが開かれ、トルコ系民族が集うほどなので、全ア ジアのトルコ人にとって民族の悲願でもあり、ロマンでもあるのだ。21世紀でもトルコ人の心を捉える「汎テュルク主義」ならば、ロシアをはじめとする列強 の侵攻に追い詰められた当時のトルコ人が、この壮大なロマンに酔ったのも無理はない。トルコ史研究者の大島直政氏は「民族主義を背景とするロマンは、酒など比べ物にならぬほど人を酔わせるものである」と指摘されているが、非現実的な妄想への道でもあった。

  「汎テュルク主義」というロマン、言い換えれば誇大妄想を説きまくったエンヴェルは美男子で生来のカリスマ性も持ち合わせており、青年将校たちを惹きつけ る。1907年にはエンヴェルはセラニキ(トルコ名。現代はギリシアのテッサロニキ)の軍団で旧日本軍の中佐に当たる地位についていた。その年の秋、セラ ニキにケマルが転属となった。セラニキはケマルの生まれ故郷だったが、彼は着任早々エンヴェルと対立してしまう。

 ケマルから見れば、エ ンヴェルたちのグループはトルコ帝国の現実が分かっていない夢想家たちに過ぎなかった。エンヴェルにとってケマルは実に厄介な人物であり、バルカン各地で 連続的に起きる反乱を巧みに鎮圧する軍事的手腕は見事であっても、上司である自分に向かい公式の場で論争を仕掛けてくるのだから我慢ならなかった。さらに ケマルは議論に応じてやれば、何時間もエンヴェルを去らせなかったという。国家改革についてのケマルの論法は鋭く、エンヴェルは何度も議論で負けそうにな る。

 だが、エンヴェルには切り札があった。ケマルとの論争に負けそうになると、2人の議論を聞いている青年将校たちを味方につけるた め、例の「汎テュルク主義」いうスローガンを意識的にぶつける。それを妄想に過ぎないと常に否定したケマルは、その時点で将校の支持を失ってしまう。エン ヴェルの「汎テュルク主義」が青年将校を酔わせれば酔わせるほど、ケマルはそれを何とか覚めさせようとして逆に孤立していく。エンヴェルからすれば「汎 テュルク主義」を認めない者は“非国民”同然だった。この2人の意見が一致したのは、時代錯誤の専制皇帝と化したアブデュルハミット2世を倒すこと程度だった。

  孤立したケマルはエンヴェルにより「統一と進歩委員会」から事実上締め出されてしまい、1908年のクーデターで何ら重要な役を果たしていない。政変とい え、用意周到に行われたのではなく、アブデュルハミット2世が弾圧行動に出るとの急報を得た「委員会」が破れかぶれで起こしたものだった。準備もなく首都 の軍団と話しさえつけていないのに、ことを起こせば首都の軍団も呼応するだろうとの甘い見通しでやったのが真相に近い。ところが、博打は当たってしまい、 皇帝に鎮圧を命じられた師団はクーデター側に寝返りセラニキ軍団と合流、そして首都の軍団までもが反乱側に呼応する。僅か数日でクーデターは成功した。

  この政変後、エンヴェルは約十年に亘り、トルコ帝国の事実上の支配者となるが、その間直接間接問わず暗殺により政敵を永遠に沈黙させたのも、民族主義に取 りつかれた夢想家の狂気が表れたかたちだった。ケマルが消されなかったのは、「委員会」で勢力が全くなかったからに過ぎない。
 権力を握ったエン ヴェルは次第にドイツへの傾倒を深めていく。エンヴェルはベルリンでの駐在武官時代にすっかりドイツ帝国軍に魅せられてしまい親独となるのだが、ドイツも 利害からトルコに接近していた。親独熱にかかってしまったエンヴェルを中心とする軍部主流派はまもなく第一次大戦への参戦に向かうことになる。
その②に続く

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