つくばあそび 呟き部屋

取るに足りない瑣末事を面白おかしく楽しみたいと思います!

メスは強し。

2007年07月25日 00時08分43秒 | 日々徒然

 

 「ナガメ」というカメムシの一種です。 大きいのがメス、小さいのがオス、、、だと思います。

 写真ではオスメスが逆を向いて交尾しているのですが、この姿勢って歩くのには不便そうですよねぇ。 どちら向きに歩くのか疑問に思って軽く驚かせてみると、、、、

 「メスが前進、オスが後退」

でした。 体力差にモノを言わせたカカア天下な虫らしいです

 基本的に、卵を産む雌はそれなりの大きさが必要ですがオスは精子を運ぶだけなので生存に不利にならない限り小さくても構わないのですよね。 オスの方がメスよりも大きくなるのは、その生物にオス同士の抗争があるとか、オスがメス(や家族・群)を守る習性のあるというような「なんかしらかの理由」があっての話だと思われます。

 メス優位、ということに関しては、アリやハチの仲間もオスの存在感って薄いですよね。 極端な例ではアンコウの仲間にはオスがメスよりも遥かに小さく、メスに寄生することによって生きているものがあるそうです(ミツクリエナガチョウチンアンコウ)。 まさに、ヒモ(笑)

 性交以外のオスの役割が種によってまちまちなところを見ると、私たちが思うような「強くて逞しい」ことはオスの本質ではないのかもしれませんね。 生き物の基本はたぶんメスなのでしょう。 私の知り合いにはなぜか亭主関白が見当たらないのですが、もしかしたらそれは生物としては正しいのかも?(笑)

 

 さておき。 しばらく忙しくて前にも後ろにも進めそうもありません。 1~2週ほどHP、ブログとも放置します。 ご訪問いただいた方、ごめんなさい

 

 


EXPO’85! ・・・の残骸。

2007年07月16日 23時08分02秒 | 日々徒然

 

 EXPO’85

 つくば科学万博

 コスモ星丸

 

 ・・・この辺の言葉に反応される方って、もうみんな30代以上なのでしょうね~(笑)

 今日、街中を自転車で走っていたら写真の道標(というのか?)の存在に気が付きました。 現在は「つくば市にようこそ」なんていう案内板に転用されているものです。 つくば市でもこのような残骸にはもうそうそうお目にかかりませんが、展示物の一部は「つくばエキスポセンター」に、跡地の一部は「万博記念公園」として残されています。 ちょっと懐かしい気分に浸りたい方、いかがでしょう。

 万博を懐かしむ方は割といらっしゃるようで、ネットで検索すると回顧録的なサイトがいくつも引っかかります。 なんだか今見ても楽しそうなアトラクションの数々。 当時私は小学生で隣県の埼玉に住んでいたのですが、万博には行きませんでした。 それが今更ながらに残念です。

 あの頃は科学技術の開く未来に希望が溢れていた感じがしますね(ノストラダムスは除く、笑)。 時代と言ったらそれまでですが、今では未来に目を向けると、、、

 地球温暖化

 膨らみ続ける公的債務

 破綻しそうな社会保障

 こんなんばっかり。 これでは子供たちが可哀想ですよねぇ

 

 


The Planet of the CELLs。

2007年07月13日 00時21分59秒 | 日々徒然

 

 細胞の写真です。 核を青く、その傍らにあるゴルジ体を緑色に色付けしてあります。

 細胞はひとつひとつが核やゴルジ体などの基本構造を1セット持っており、「生命の最小単位」とされています。 その自律的な自己制御メカニズムや細胞運動能、自己複製のための分裂機構などなど、、、細胞のもつ微細で精巧な仕組みはまだまだ解明の途上にあり謎に包まれています。

 目に見えないので忘れがちですが、我々の体も細胞の共同体として作られているのですよね。 一人の人間を構成する細胞の数はおよそ60兆個だそうです。 家族も友人も、単なる通りがかりの人もみーんな60兆個の細胞のカタマリです。

 そしてそんな人間が世界に60億人。 単純計算すると合計3.6x10の23乗個の細胞が人間社会を作っていることになります(計算あってるかな・・)。

 人類だけでそんな数になるのに、さらに犬も猫も草木も昆虫もみんな細胞が形作る生命体です。 一体、地球上の細胞の数を合計するといくつくらいになるのでしょうねぇ・・。 しかもそんな膨大な数の細胞がひとつひとつ精巧に作られていると考えると、、、あ、、、、なんだか、、、、気が、、、遠く・・・(笑)

 

 


みんなで選べばランナウェイ。

2007年07月08日 00時27分16秒 | 日々徒然

 

 オイカワのオス。 緑と燈のコントラスト。 黒い頭。 顔の追星。

 うーむ、派手ですよねぇー

 オイカワもそうですが、魚や鳥ってオスのほうが派手なことが多いですよね。 一方、我々人間の場合は男性も女性も(むしろ女性の方が?)高い装飾性を持っています。 なぜこのような差があるのでしょう??

 オイカワの場合、メスは自分で産む限られた数の卵が重要で、どのオスを受精相手に選ぶかが強い子孫を残す上で重要です。 で、受精後は相手のオスがどうなろうと知ったことではありません。 オスの立場からすると、メスをえり好みするよりもひたすら多くのメスとペアリングすることが多くの子孫を残すためには重要です。 つまり、、

 メス ⇒ 卵の数が限られる ⇒ 選ぶ側 ⇒ 相手の装飾性が重要
 オス ⇒ 何度もペアリング可能 ⇒ 選ばれる側 ⇒ 装飾性が進化する

ということではないでしょうか。 ところが人間の場合は、男性が女性に子供を産ませてハイさようなら、なんてことをすると「人でなし」と言われます(笑) 子供を協力してで育てる「家族性」によって男性が相手にできる女性の数を制限し、男性の「選ぶ側」という側面と女性の「選ばれる側」としての側面が進化してきたのかもしれませんね。

 「女性の美しさ」

 「浮気のタブー視」

 「男性の育児参加(?)」

一見関係無さそうなこれらのことが、実際には深く関係しあって進化してきたのだと考えると、ちょっと面白い、、、気がしませんか?

 

 


記憶の中の自我。

2007年07月02日 00時13分13秒 | 日々徒然

 

 週末、釣りをしているとにわか雨に降られました。 とりあえず木陰に入ってトンボと一緒に雨宿り。

 こういうシチュエーションってどうも私の心の琴線に触れるようで、、、なんだか不思議な心もちが湧き上がります。 一瞬、子供の頃の自分に戻ったような感じです。 木の上に作った秘密基地で雨宿りをした記憶に重なるような、重ならないような・・・

 「自我」というのは不思議なもので、その時は確実にそれが「自分」なのですが時間が経つと記憶が薄れたり変化したりして、過去の自我は自分ではなくなる気がします。 でも過去の自我は無くなるわけではなく、ふとしたことで脳が今の自分と勘違いするのかもしれませんね。

 それにしても子供の頃の自分、どんな大人になりたいと思ってたっけかなぁ・・。

 

 ・・・。

 

 ・・・。

 

 たしか、1999年に恐怖の大王が降ってきて自分も死ぬのだと思ってました。。