つくばあそび 呟き部屋

取るに足りない瑣末事を面白おかしく楽しみたいと思います!

出張。

2006年05月29日 00時24分57秒 | 日々徒然

 

 明日から(正確には今日)米国出張です。

 いや、なんというか、、

 

 面倒くさ~

 

 私はどうも直前になると遠出を面倒に感じます。 行けばそれなりに楽しめるのはわかっているんですが、飯まずいし日本語通じないし かさばってウェーダーもっていけないし

 そんなわけで、10日ほど更新休みます。 あいでぃおーす

 

 


認識できるかな、リローデッド。

2006年05月26日 01時47分12秒 | 日々徒然

 

 続きです。

 我々はある種の波長の光や音を感じられない上に、「見ている」、「聞いている」と信じている映像や音響ですら、脳の中で再構成された姿であって対象物そのものではありません。

 脳での再構成の過程は情報を単純に投射するようなものではなく、映像・音響情報からパターン構成を認識し、先天的・後天的な記憶に照らし合わせて対象物に意味づけを加えながら行われていると考えられます。

 そんな複雑な過程を経るためなのかなんなのか、我々が集中的に認知しようとしているものは細部に亘って認知されますが、それ以外のものは案外不明確にしか認知されていないようです。 見えているけど見えてない、聞こえているけど聞こえてない、みたいな状態だと思われます。

 視覚による情報認識について自分で試すことのできる素材がありますので、是非試してみてください(↓)。 結構オモロイですよ。 (イリノイ大の視覚認識研究室が公開している素材です。 2004年度のイグ・ノーベル賞を受賞。)


 さて、下のURLの映像では、白いシャツを着たチーム黒いシャツを着たチームがそれぞれバスケットボールでパスを回しています。 その映像を見ながら

「白シャツチームのパスの回数」

正確に数えられるかどうか試してみてください。

では、どうぞ → http://viscog.beckman.illinois.edu/flashmovie/15.php

 

 

 

 

 

 ・・・いかがでしたか? 簡単でした? 正解は、、、の前に、

 

 

 

 

 

 

何も考えずにもう一度同じ映像をご覧ください。http://viscog.beckman.illinois.edu/flashmovie/15.php

 

 

 

 

 いかがでしたか? 運がよければ(?)、楽しい経験ができたのではないかと思います。

 「見えている」「見て認識している」、という2つの事象の間には結構な隔たりがありそうですよね。 視覚の問題、というよりも脳の情報処理能力の問題なのかもしれません。 我々の脳は複数の対象をまとめて解析できる程の処理速度をもたず、映像情報をそのまま(パターン化しないで)メモリーに焼き付けるほど豊富なメモリを持たないということかもしれません。

 なんていうか、スペックの限界を感じてしまいますね

 

 


認識できるかな。

2006年05月24日 00時53分52秒 | 日々徒然

 

 前の記事にちょっと関連して。

 我々は自分が見ているもの・聞こえているものについて、対象物の全てを知覚できていると思いがちです。 しかし実際には、人間の見える波長の光だけを見ているのであり、聞こえる波長の音を聞いているのであって、範囲を超えたものは知覚できていません。

 例えば、植物の花びらには蜜標(ネクターガイド)と呼ばれる模様がついていますが、ある種の蜜標は我々には見ることができません(全部ではないです)。 人間の目に映らない紫外域の光を反射する(言うなれば紫外色をしている)模様だからです。 一方で、昆虫達は紫外域の光を知覚する能力があり、彼らの目に鮮やかに映った蜜標は昆虫達を蜜の在り処へいざない受粉を仲介させます。
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai_low/hana_uv_touka.html ←紫外線フィルターで見た花びらの例。福岡教育大、福原先生のHPより引用)

 もし私たちが紫外線を見ることのできる生き物であったら、、、日焼け止めクリームを塗った人の顔は紫外線を吸収して黒っぽく見えたり、もしくは 紫外線を反射してテカテカ光って見えたりするのかもしれません。 また、赤外線を見ることができたなら、生き物や車など暖かい物体が赤っぽく光って見えるものと考えられ、それはそれで違った世界がありそうです(笑)

 

・・・長くなりそうなので、次回に続く

 


夏のかほり。

2006年05月22日 23時12分35秒 | 日々徒然

 

 最近なにやら忙しい。

 そんな時、季節の匂いに妙に癒されます。

 

 草の匂い

 水の匂い

 風の肌さわり

 ジーーーーーー、という虫の声

 騒がしいカエルの合唱

 

 よし。 カエルが鳴くから帰ろう(笑)

 夏も遠くはなさそうですね。 嬉しいのですが、ここ数年は暑過ぎですよねぇ

 

 


食べたい欲求。

2006年05月13日 17時25分05秒 | 日々徒然

 

メタボリックシンドローム+予備軍 中高年男性の半数 厚労省調査 (産経新聞) - goo ニュース

 

 飽食の時代、好きなものをお腹いっぱい食べられることに感謝

 

 それにしても「食欲」ってものすごいモチベーションですよね。 ま、いいか、で食事を抜けるのはせいぜい一食か二食くらいで、それ以上はもう耐えられなくなってきます。 犯罪の原因は飢えと貧困だ、なんて言われたりしますが私も食糧難に際して座して死を待つ自信がありません。 盗みくらいはやってしまいそうです。。

 そんな強烈な食欲に比べ、過食に対するブレーキのなんと弱いことか。

 食べ過ぎに耐えられない、とか、食べ過ぎを生理的に拒否してしまう、ということはまずありませんよね。 食べ過ぎが理由で犯罪に走るなんてことももちろんありません(笑)

  我々が飽食できるようになったのはつい最近の話で、人類も長らく飢餓状態が当たり前の生活をしてきたはずです。 そんな中で進化してきた我々の体は飢餓を乗り切る力は強いものの、過食や飽食への対応力が弱い、と言えるかもしれません。

 この手の話でよく引き合いに出されるのがホルモンの話で、飢餓状態でも活動できるように(?)血糖値を上げるホルモンというのは何種類も存在します。 それに対して血糖値を下げるホルモンは一種類(インシュリン)しかありません。 この事実も我々の体の飢餓への適応を示していると考える人もいます。 まぁ、解釈の問題なので単なるこじ付けの可能性もありますが、個人的には頷かされてしまいます

 

 ・・・あれ。 書こうと思っていた内容から若干ずれたような。。

 

 えーと、メタボリックシンドロームも、将来起きるであろう食糧危機も、食欲ではなく理性で回避していかないといけないと思います。

 

 ・・・うまくまとまったかな?

 

 

 


始まりがあるものには終わりがある。

2006年05月08日 00時36分08秒 | 日々徒然

 

 GWが終わりに近づいています。

 

 ぴっ、ぴっ、ぴっ、ポーン!

 

 5月8日になりました。 GW終了_| ̄|○

 

 さあ、今日から仕事です。

 働かざるもの食うべからず

 と言いますが、自分の飼い猫を見ていると絶対真理ではないことを痛感(笑)

 ま、飼い猫でもなんでもない私は働くとしますか~。 まずは、、、睡眠だ!

 

 


華の遺伝子。

2006年05月06日 00時30分55秒 | 日々徒然

 

 五月になって野原や木々の緑が美しいですね! ところどころに花も咲いており我々の目を楽しませてくれます。

 造形的にも色彩も美しい花を見ると、

 「全ての生き物は神様が創りたもーた」

なんて気持ちになるのがわからないでもないですが、現在の生物科学は多種多様な生物を神が創ったという「創造説」には否定的です。

 現在は「花」という器官は「葉っぱ」から進化してきたものと考えられています(最初にこの説を唱えたのはかの文豪のゲーテだそうです)。 我々の手足が魚のヒレから進化してきたのと似てますよね。

 単純に「花」と言っても

 がく、花びら、おしべ、めしべ

という4つの部品がありますが、それぞれ全て葉が変化したもので、いうなれば花は「機能分化した葉っぱの集まり」と言うことが出来ます。

 で、どうやって「葉っぱ」を花の各部品に変化させるかというと、少なくとも3つの「スイッチ(の役割を果たす遺伝子)」をONにしたりOFFにしたりして、その組み合わせで4つの部品のどれになるかが決まると考えられています(ABCモデル)。

  スイッチA   スイッチB   スイッチC
      ON                                                ⇒ がく
      ON               ON                             ⇒ 花びら
                         ON                ON         ⇒ おしべ
                                             ON         ⇒ めしべ

 という具合です。 ちなみに、下の参考文献では上の3つを含む4つのスイッチを人為的に全てOFFにすると花が葉っぱ(のようなもの)に戻ってしまうことを報告しています。
(参考文献http://www.public.iastate.edu/~bot.512/papers/Ditta2004.pdf

 

 ・・・誰がこのスイッチをONにしたりOFFにするの?

という疑問が次に浮かびますが、それは開花を促進する日照時間であったり気温であったり、あるいはその細胞が植物のどこに位置しているかという位置情報であったりすると考えられます。

 私はこういう話に接すると、なんと言うか、生物もやっぱり機械なんだなぁ、と感じます。 逞しく想像を膨らましていくと、、、

「無数のスイッチがONになったりOFFになったりしながら細胞が分裂したり分化して、そして自律的に個体としてのまとまりが造られていく」

そんな様子が目に浮かびませんか?  きっと我々自身ですら、仕組みを紐解いていくと究極的には自律的な機械として理解されるのではないかと思います。 ちょっと寂しいけど、たぶんそれが現実かな~、なんて。 ま、単なる妄想かもしれませんけど

 


(そこそこ)キレイな写真の載せ方。

2006年05月01日 00時32分44秒 | 日々徒然

 

 リンク先のえびすさんから写真の話が出ましたので、今回はデジカメ写真のブログへの掲載方法について、私がやっている方法を紹介します。

 「デジカメで写真を撮った時にはキレイなのに、ブログに載せると小汚くなる」

という悩みをお持ちの方にはもしかしたら参考になるかもしれません。

 

 私の方法

 1) 写真を撮る

 2) フリーソフトでトリミングする(500x300くらい)
    (場合によっては明るさ・コントラスト・色調を補正する)

 3) オリジナルサイズでアップロード

 4) 自己満足に浸る、もしくはイマイチだと歯噛みする

 

 ええ、つまり大して何もしてないということです。

 はい、そこ。 文句言わない。 素材に余計な手を加えない日本料理的なやり方だと言って欲しいです(笑)

 最近のデジカメは画素数が多くてキレイに写せますよね。 Webに掲載する時にも画素数の多い画像の方がキレイに見えそうに思えますが、それは罠です。 私も(私だけか?)HPを始めた頃はこの罠に嵌りました。

 たとえば2300x1700ピクセルの画像を縮小して680x480ピクセルでパソコン画面に表示するよりも、680x480ピクセルで写した画像をそのまま680x480ピクセルのまま画面に表示したほうが圧倒的にキレイだと思います。 (一番キレイなのは大きい画像を大きいまま貼り付けることですが、これをやると画面からはみ出て見る方としてはうっとうしくなります)

 もし、私と同じような勘違いをして悩んでいる方が居られましたら是非一度お試しを! また、より良い方法をご存じの方は是非教えてください。

 

ご参考までに私が使っているのは、、、

デジカメ: Lumix FX2 (Panasonic)
400万画素なのですが、Web用写真には基本的に640x480の30万画素モードで使ってます。 宝の持ち腐れ?(笑) 個人的な使用感としては、接写は得意だが風景はちょっと不満という感触です。

フリーソフト: Pixia
http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se144188.htmlで入手可能です。 たまにバグるけど、無料ということで満足してます。