わたしたちの住処をつくる記録

いえづくりについて、できごとと考えたことを記録しておきます

土地、第二候補も

2015-03-17 23:48:34 | 土地まで
 2013年の9月に峠越えし、10月には広くて手頃な価格の土地を探して、北アルプスの見える郊外へ土地探しの手を広げていました。ただ、せっかく北アルプスの見える町に行っても、売り出される土地はいわゆる普通の分譲地で住宅街の中。家からの景色などは見込めないところが多く、あまりピンとこないものばかりでした。それに、やっぱりたいして手頃な価格というわけにいかなかったのです。
 土地探しは町から離れ、どんどん北へ向かいました。妻は「ちひろ美術館」のあるあたりの景色が気に入っていた、と私は思っていたので、そんな牧歌的に緩やかに広がる日当たりのいい土地を二人で探しました。

(安曇野ちひろ美術館 内藤廣設計による建築が風景に溶け込んでいる)


 田舎特有の閉鎖的な雰囲気を感じたときもありました。古い集落の奥の方にぽかんと空いた土地に行くときや、分譲地であっても長い間売れ残っている土地を見に行くと、なんだか「よそ者」が突然来た、何しに来たんだ、という目で見られるように感じることもあり、なかなか「ここだ!」と思えるところに出会えませんでした。
 そもそも、安曇野市は非常に厳しい景観条例が施行されたばかりで、農地に面し住宅に囲まれず景色が見通せるような住宅用の売地はまずほとんどないということは後から知ったのですが、一か所だけ、とても気持ちの良い土地を見つけました。
 東西と南が田畑で、有明山がグッと迫るようにみえる見晴らしのいい土地でした。土地の隅にまるっとしたかわいらしい小さな木が一本だけ残されており、それもまた魅力的でした。その場に立った時の気持ちよさは格別で、ここはいいんじゃないか、と二人の意見が一致しました。町からも駅からもちょっと遠いことろですが、何にも代えがたい気持ちの良さがある。



 ここが私たちにとって二番目の本格的候補地となりました。早速不動産屋に連絡を取ると、社長はなんだか気が乗らない様子。「出さなきゃいけないんで出してるけど、あまりすすめられないんだよね。ほかにあったら紹介するよ」と社長。反対されると意地になるタイプなので、なんで買おうとする客に「すすめられない」のか、客を選ぶのか? と思い、他の不動産屋にセカンドオピニオンを求めました。
 
 不動産・街づくりコンサルティングを標榜するその社長と一緒に現地を見ました。しかしどうも渋い顔。結論は「やめておいたほうがいい」でした。
 旗竿地でもむしろいいと思っていたのですが、ここの土地はその旗竿地の設定の仕方に問題があったのです。



 図のように、接道部分は最低限しかないので、普通の感覚では「家2」の土地と共用する私道を設定するはずなのですが、そういう設定になっていません。「家2」の方は敷地ぎりぎりまですでに花壇をつくったりしています。さらに接道部分の2mも実質はほとんど田んぼの畔部分なので、通れるのはほんのわずか。現況をみるとどう考えても「家2」と共用が自然なのですが、そういかなそうだということでした。要は、ここを買えばたぶんトラブルになるということですね。やはり、地元に根差した不動産屋が勧めない物件には問題があるのです。

 私たちは結局、ここもあきらめざるを得ませんでした。妻は特にこの土地が気に入っており、とても残念がっていました。
 この後、私は同じように見晴らしのいい土地を探しました。ある建築家さんが自分のアトリエを建てる予定が変更になって手放そうとしている土地など見ました。写真ではいいところでしたが、実際に行ってみると大したことない畑跡でした。少し東へ移ってアルプスのよく見える町も探しましたが、市街地からの距離と折り合いがつくような土地はありませんでした。少し市街地よりの高台にはアルプスが北の奥のほうまで全部見える絶景の中古住宅もありましたが、そこに行くまでの道が細すぎて車が入れませんでした。後でわかりましたが、この場所は活断層の直上でもありました。人気が高いといわれる新興住宅地の売れ残りの土地もみましたが、売れ残るだけあって何の魅力もない土地でした。相当な数の土地をみて回ったと思います。しかし、「いいな」と思える土地に出会えませんでした。

 年が明けて2014年。私は、発想を転換する必要性を感じ始めていました。



祝上棟

2015-03-15 21:24:32 | ただいま普請中
 昨日(2015年3月14日土曜日)、ついに上棟式を迎えました。午後から仕事だったため、昼前の上棟式というあわただしい日程をお願いしてしまいましたが、すでに金曜日から建て方が始まり、私たちが現場に到着したときにはすでに棟木が上がっていました。

 坂の上の現場ですが、下のほうから車で上がっていったときに家々の間から、立ち上がった美しい軸組が垣間見えたとき、とても心躍りました。現場に着くと、以前田中製材工業さんにお邪魔した時にあのバイオ乾燥機に入っていた7mという長い垂木を上に載せているところでした。1本1本が重く、みなさん相当な重労働でしたが、あの高く狭い足場の上であうんの連携でどんどん上に載せていっていました。大工の仕事というのは、力仕事であり危険なしごとである、ということを改めて感じました。繊細な刻みの技術や木組みの計画力に加えて、美しい仕事への美的感覚、そして力仕事でもあるという、あらゆる能力を一緒に発揮しなければならない仕事なんですね。
 
 
 

 最大の特徴は「木組み」であること。うるさい金物が無い分、「込み栓」が見えます。金物がないというだけで、よく見る木造の建設現場とは全く違う美しさがあります。
 
 違う美しさといえば「貫」を使うということ。筋違のような斜めの材がありません。
  

 松井郁夫建築設計事務所の松井匠さんによれば「火打ち梁」もないそうです。私たちが見てきた他社の住宅では、表しの天井や吹き抜けはありますが、必ず「火打ち梁」がありました。強度上必要だ、とみなさんいうのですが、「き」組の住宅にはそれが見られなかったので、いつも感心していたのです。強度の計算がきちっとされて、しっかりとした木組みであれば、必要ないところには必要ないのでしょう。
 
 何もかもが美しく仕上がっています。木の肌が感動的なピンク色です。


「いの一番」から米・塩・酒で清めていって…

「二礼二拍手一礼」です。

 式後、簡単に昼食を用意させていただきました。施主の挨拶がありましたが、普段人前で喋る職業なのに、プライベートになると何言ってんだかわからくなり、用意していたことが真っ白に。とりあえず「ありがとうございました」でごまかしました。いろいろ感謝すべきことと感じたことがたくさんありすぎて、わけわからなくなってしまったんですね。

 松井郁夫先生は、こうした「木組み」の家が「若い職人」によって担われるのは、とてもいいことだとおっしゃいました。棟梁は二十九歳!若いといえば若いですが、経験さえあれば腕に若さなど関係ないのでしょう。実際、棟梁としてすべてを統括されている姿が頼もしく、自分の二十代のころのことを思い出し恥ずかしくなりました。


屋根用の断熱材も北海道から届いていました。ウッドファイバー(50mm+50mm=100mm)です。しっかりこだわった自然素材が使われます。もともと欧州での実績があり、日本で欧州と同じ工場を北海道につくり北海道の木材から作っているとか。本家欧州のものより性能が高いとも聞きました。私はなにも指定していませんが、最高のものを使ってくださっています。壁面の断熱はまた違うものになります。こちらもちょっと楽しみなので、施工現場を見られるといいのですが…

 それにしても眺めが最高です。駆けつけてくれた父は二階でずっと昼寝していたいといっていました。

 
 子どもが健やかに育つ、良い家ができると確信しています。どうかここからも「安全第一」で工事が進むことを祈っています。


 今日、現場には行けませんでしたが施工の田中製材工業さんが写真を送ってきてくださいました。表し天井となる化粧野地板が落とし込まれ、防水紙が張られたそうです。遠いのでなかなか見に行けないのが残念です。天井、きれいだろうな…

家を勉強する②

2015-03-10 23:40:49 | 勉強
 つい最近、川崎市立日本民家園へ行ったときに興味深い話を聞きました。山梨県甲州市にあったとされる広瀬家住宅を見たときです。維持管理や案内をしてくださるボランティアの方々がいらっしゃるのですが、他の古民家と違い、土間に直接「ムシロ」を敷いて囲炉裏を囲んでいらっしゃいました。
 囲炉裏といえば、板敷の居間の真ん中にあるというイメージでしたが、ここでは土間にある。なんでも、この民家のあった場所は山の斜面で、山からの吹きおろしが非常につめたい。だから軒を低くして風を防ぎ、また板敷の床を作らず直接土間にムシロを敷くことで暖かさを確保していたのだそうです。板敷の床は床下を冷気が流れるために冷たいが、土間の上に直接ムシロ(これを「土座」というらしい)の場合はあまり冷たくない。私は、おそらく「地熱」が関係しているのだろう、と思いました。実際に座ってみると、確かにほのかに安心感のある暖かさで、囲炉裏の火があれば十分に冬でも暮せそうでした。

 日本の民家は「夏を旨とする」のが基本で、通気性がよく、湿気のこもらない作り方になっているはずです。しかし、寒冷地では、こうした隙間風の多い家ではつらかっただろうと思います。そうした中で「土座」を利用するというのは、寒冷地に暮す人々の昔からの知恵だったのでしょう。

 2013年の9月に、妻の従妹の結婚式へ出席するために青森を訪れた際、三内丸山遺跡まで足を延ばしました。職業柄とても興味があったのですが、とにかくそのスケールの大きさには驚かされるばかりでした。
  
 一番大きな復元住宅の中は、「竪穴住居」でありながらも、現在でも田舎で見かける「古民家」のような雰囲気が漂っており、数千年も前の様式もそれほど古い様式ではないかもしれない、と直感されました。一方で、実際問題として青森のような寒冷地ではたして生きてゆけるだろうか、という疑問も同時にわきました。これだけの遺跡を残せるだけの一大勢力があったはずなのですが、「竪穴住居」で本当に冬を越して生きてゆけるのか。
 やはり「竪穴」というところが重要なのでしょう。倉庫は高床だが住居は竪穴。竪穴では湿気は避けられそうにありませんが、「地熱」は利用できそうです。雪が積もってくれれば立派な断熱材となり、たき火を絶やさないことで土間が蓄熱し室内の温度を保ったのではないかと想像できます。

 荒谷登『住まいから寒さ・暑さを取り除く』(彰国社)は、住まいの温熱環境について大変勉強になる本でした。冷房・暖房から冷忘・暖忘へ。住宅の温熱環境や断熱というと建材の性能の話になりがちですが、そもそも暖房・冷房とはなんなのかというところから書かれています。

 そのなかに、北海道の先住民であるアイヌの伝統的住居「チセ」が紹介されています。北海道のような極寒の地で、アイヌは昭和初期まで茅葺や笹葺の「チセ」に住んでいたといいます。茅葺や笹葺のような気密性のとれない住居でも暖かかったのは、地熱を利用していたということもあるようです。本州の家づくりを真似して板張りの床をつくった「チセ」は寒かったが、土間に直接葦などで編んだ敷物を敷き、年中囲炉裏の火を絶やさなかった昔ながらの「チセ」は暖かかったといいます。


 三内丸山遺跡の竪穴住居では、地元産の栗の木が使われています。地元で手に入るものを活用するのは当たり前なのですが、こんなところにも古代人のシンプルな知恵を感じずにはいられません。2013年の10月には安曇野市の重要文化財である「曽根原家住宅」を見に行きました。江戸時代の農家で「本棟造」の原型を見ることができる建物ですが、ここの梁は地元を代表する針葉樹である赤松でした。時代はだいぶ異なりますが、いずれも昔の家は地元のものを当たり前にうまく取り入れて暮らしていたのです。地元の気候で育った樹木は、建築となってからも地元の気候に馴染み、数百年を超えて生き続けるのでしょう。


 新建材などなくとも、その土地の気候を読み、自然と対話しながら、地元のものを生かして住まいをつくることが、何千年も前から行われてきたことのようです。私たちは昔の生活に戻ることもできないし、文明を否定する気も毛頭ありませんが、昔からの知恵に学ぶべきことは案外結構あるように思えます。

峠の向こう側へ

2015-03-06 22:32:17 | 土地まで
 2013年秋口から、土地探しは「峠越え」を果たしました。私の実家に近い方へ視点を移したのです。

 私もよく知っている地名で、かなり地価が高いはずのところに、激安といえる広い土地が売り出されていました。関東の不動産会社が仲介しており、地元の業者じゃなかったので「掘り出し物」かと思い、とにかく見に行きました。これが峠越え第一号の見学地だったはずです。地図上で見る限りは、高台で景色もいいはず。そしてなんとRCの「地下車庫」付きとあるではないですか!
 行ってみると、「激安」の理由がわかりました。
 まず、土地の南側半分近くが北向き斜面の擁壁でした。つまり、日当たりは決してよくなく、しかも、南に見下ろすはずの町は見えず。
 
 それでも二階からは少し景色が見えるかも、と雑多な木々が茂っていた擁壁の上を見上げると、木漏れ日と一緒にかすかに見たことのあるような形の影が。
 「そういうことか」
 そこは日当たりのいい緩やかな南斜面の、どこまでもつづく大きな大きな墓地の頂上だったのです。

 カーナビを頼りに裏側から回り込んでこの区画に入ってきたため気づきませんでしたが、町側へ降りてゆくと墓地の中の道を通ることになります。妻は「そんなに悪くない」という印象だったようですが、私にはどうも…

 このようにして、峠越え後の土地探しもまた「墓ビュー」から始まりました。
 ここの安さは魅力的でしたが、少し郊外に出れば安くて気持ちのいい土地があるのではないか、と私は思いました。そこで、実家のある町や北アルプスの見えるほうの町へ、土地探索の範囲を広げてゆくことにしました。

 ところで、この「峠越え」を後押ししてくれたのは妻でした。ついでにわたしは、将来の職場についても意を固めました。このことについて、私は妻に感謝しています。


基礎完成

2015-03-04 00:10:50 | ただいま普請中
 現在の住まいから現場までが遠いため、実家の両親が様子を写真に撮ってきてくれました。基礎が完成しているようです。すでに立ち上がりの外側に防蟻処理済みの断熱材が入っており、モルタルが塗られています。基礎が蓄熱体として働くはずです。立ち上がり部分の天端は断熱材の厚み分外側にせり出しており、「蟻返し」となっています。立ち上がりの内側にもブルーの断熱材が入っています。
 
 ところで、立ち上がりが外周にしかありません。通常は基礎梁の立ち上がりが入って部屋の形がおぼろげながらわかるのですが、この家にはそれがありません。鉄筋が多く仕込まれた梁部分が底盤内にあり、土台や大引きは間柱または鋼製束でささえられます(たぶん)。こうすることで、床下空間も含めたワンルームができるわけです。蓄熱体となっている基礎の上に、床下~一階~二階~ロフト~小屋裏まで、ほぼワンルームといえる家全体が構成されます。これで、ムラのない温熱環境を狙っているということになるはず。給水のさや管もごらんのとおり立ち上がりで通り道が制限されないため自由でしなやかな曲線を描くことができ、メンテナンスもとても楽でしょう。

 と、書きましたが、これらの仕様はすべて私たちが細かく注文した結果、では全然ありません。私たちはこれらの仕様については一つも注文を出していないのです! 予算の都合で基礎底盤外周部の水平方向の断熱材を省略していただいた以外は、すべて建築家の先生と施工会社さんのにおまかせです。プロにはプロの考えがあるはずですから、全幅の信頼を置いてプロにお願いしています。全体のバランスを見て、いいようにやっていただいていると思っています。
 しかもそれらの仕様についてたいして説明もしてもらっていません。私は、いろいろ勉強しながら、設計図や施工の現況から先生方の意図を勝手に読み取ることがとても楽しいのです。(素人なので間違って読み取っていたらごめんなさい)
 家づくりは、それ自体が大きな勉強だな、と思います。自動車を買うように、カタログを見ながらスペックを比べて…というのとは全然違いますね。単純に商品をお金で買う、というのと質が違うんですね。「家を買う」のではなく、「家を建てる」。そこにはいろいろなプロがかかわって、いろいろな考えがあって、それぞれが調和してくれればいいな、と思っています。