わたしたちの住処をつくる記録

いえづくりについて、できごとと考えたことを記録しておきます

街並みに調和する家を

2015-01-27 22:19:23 | 依頼先決定まで
 いよいよ「刻み」が始まるという段階ですが、なんとかこの進行中に追いつくように、ここまでの経緯を思い出しながら記録していきたいと思います。

 2013年の春、例の安くて広い第一候補の土地について調査を始めました。実は土地のすぐ脇に水のない沢があり、ちょっと気になっていたのです。雨が降った時に氾濫したりしないのかどうか。周辺の住人のみなさんにいろいろお話を伺うと、大昔に一度氾濫したことがある、と仰るおばあさんがおられました。でも、その後治水工事によって氾濫することはないとのこと。とはいえ、一度氾濫したことがあるとなると、こればっかりはちょっとわからないなあ、と思いつつ、教えてくださった方々が親切な方ばかりで安心しました。
 旧街道の古い町並みは、わりと私たちの好みだったと思います。30分ほどいったところにある「海野宿」のような整然と保存された町ではなく、本当に昔の山沿いの小さな集落ですが、土壁が続く道は趣があり、路地には猫も多そうです。

 この辺りは真田氏の時代から養蚕が盛んで、明治から大正にかけては蚕糸業の全盛期だったといいます。私たちが目を付けた土地のすぐ近くには有名な紬工房があり、中を見学させていただいたこともあります。手仕事の息づく街でもあったのです。家々の小屋裏ではかつて蚕が飼われていました。暑さに弱い蚕を守るため、屋根には必ず「気抜き」という工夫がありました。いわゆる越屋根です。

 観光地化することなくこういった建物がたくさん残っていたのがこの集落でした。東北大学の先生方がこの集落の歴史を研究した書物がいくつかあり、私はそれを取り寄せて読んでみたりもしました。歴史あるこの集落に興味をもち、この土地はやっぱりなかなかいいのではないか、と意を強くしたものです。今考えると、本当に変わり者です。ふつう、平地で車の交通にも便利な、もっと新しい「分譲地」を選びますよね…。

 ところで、ここにどんな家を建てるか考えると、ちょっと迷いが生じました。やはりここには「ローコスト」というわけにはいかなそうだ、と思いました。周囲の伝統ある町並みの景観を壊すような家を建てるわけにはいかない、そう考えるようになっていました。一体どんな家がいいのか、もっともっと片っ端から情報を集めてみようと思い立ったのです。




材料検査

2015-01-26 22:29:11 | ただいま普請中
 今日、設計事務所による構造材の材料検査があり、ご一緒させていただきました。こういう形で木材を目にするのは初めてのこと。美しく、香りがよい木材を目の当たりにし、これが我が家になるかと思うと、ちょっと信じられないというか、とても贅沢なことだと感じました。

 

横架材は信州産杉、柱は吉野杉です。
 
吉野といえば今でもブランドですが、以前に比べると手に入りやすくなったとか。

すべて天然乾燥で、とても肌がきれいです。
大工さんによれば、やはり機械乾燥だとぼそぼそしていて刻みにくいといいます。
そして、色も香りも違いますよ、と高温乾燥材を見せてくださいました。

一番上に乗っている細い材が一般的な高温機械乾燥材です。

水銀灯下なので写真の発色は正確ではありませんが、同じ杉でも色味が違うことがよくわかります。実際手に取ってみると、高温乾燥材はいかにも「死んでしまった木」という感じがしてしまいます。なんとなくスカスカ感がありました。また、においも天然乾燥に比べてしまうと、燻製のようなにおいがしました。
また、写真ではちょっとわかりづらいものの、小口をみると高温乾燥材では表面には割れがなくとも、中心部が割れています。

長いほぞをつくる構法の場合は、特にこの内部割れはやっかいだとのことです。逆に、天然乾燥材は表面に割れがあります。木材に理解がないと、この表面に見える割れは「クレーム」の対象になりかねません。しかし、健全な並みの素材には必ず割れがありますし、建てたあともしばらくの間は乾燥が進んで大きな割れる音が家じゅうに響くそうです。でもこれが自然なんですね。

建築家の先生は、同じサイズの材でも、どこにどの面を見せて使用するか大工さんと打ち合わせてくださいました。木は一本一本表情も性質も違うので、工業製品のように単に部品を組み合わせるという発想ではできません。どの部品も同じではないのです。そういったきめの細かい気配り(木配り)によって成り立つ家づくりに立ち会えている、というのが本当に幸せなことだと思います。

大工さんの作業場での材料検査の後、今回施工を担当してくださっている製材屋さんの事務所へ。そこでは我が家に使う7mの垂木が乾燥中でした。この乾燥ですが、「バイオ木材乾燥機」というちょっと珍しいシステムを使っています。35度に保たれた室内で、時間をかけて熟成させるそうですが、原理的なことはわかりませんが、高温機械乾燥ではなく天然乾燥材と同じ仕上がりになるそうです。木の細胞を破壊せずに水分のみを乾燥させる技術です。なかは湿度が高くぬるめのサウナのようでしたが、これも面白い経験でした。
 

いやあ、本当に楽しいですね。いい人たちに出会えてよかった、と思います。

基礎配筋開始

2015-01-25 21:50:48 | ただいま普請中
 今日、実家へ行くついでに現場を訪れると、基礎の配筋がほぼ完了し養生されていました。地鎮祭からだいぶ経ちましたが、年末も年始も雪が多く、なかなか進まなかった工事がようやく動き始めたようです。


 素人目ですが、捨コンからのクリアランスもきっちりあり、きれいに配筋されているようです。


 立ち上がり部分の外側に断熱材が入っています。

 うちは外側基礎断熱。地熱の力を借り、基礎が蓄熱体として働くはずです。これは設計事務所さんの提案です。木造の伝統的な構法になりますが、温熱環境には非常に力を入れられていて、様々なパッシブな工夫が施されることになります。ここのあたりは随時記録していきたいと思います。
 外側基礎断熱の弱点は、白蟻に弱いということだと理解しています。したがって、外側になる断熱材には防蟻処理の施されたスタイロフォームATが採用され、構造的な「蟻返し」も備えます。
 
 明日、設計事務所による配筋検査と材料検査です。
 さあいよいよ本格的に始まりました。ほんとうにほんとうに、これからが楽しみです。



ものづくりのこころにあこがれ

2015-01-24 20:17:26 | 依頼先決定まで
 益子の旧濱田庄司邸や参考館に二人で行ったのをよく思い出します。私は古い民家で育ったわけでもないのですが、深い軒の縁側のある和室に二人で腰を下ろすと、適度に抑えられた空間の広がりの効果なのか、とても落ち着いて緩やかな気持ちになったのを覚えています。ちょうど冬が終わり、春を迎えようという季節で、暖かな日差しが柔らかく部屋に入って来ていました。古くとも残っているものには独特の空気がながれており、大抵は私たちの心をおだやかにさせます。それは、それを作った人たちの心意気や高い技術によって、私たちの文化そのものを表現しているからなのかもしれません。文化そのものだから、永く美しく残っているのでしょう。

(旧濱田庄司邸)


 私は、結構古いものが好きで、初めて買った車はClassic MINIでした。何度も故障し、そのたびに自分で修理して、しまいにはエンジンを下ろしてミッションを交換して…などとずいぶん道楽をやっていました。性能は決してよくありませんでしたが、修理を繰り返すうちに、愛着がわき、またこれを作ったエンジニアたちの心意気も感じるようになっていきました。どのような設計が使う人にやさしいのか、修理して長く使うにはどういう部品であるべきか。いろいろなところに、目に見える工夫がありました。
 一方で、家具にも興味がありました。大学時代、イームズなどの「ミッドセンチュリー」が流行り、それに乗って雑誌をみたりしていましたが、すこし歳をとって落ち着くと、今度はそれらを手に入れたいと思うようになりました。ただ、その時には北欧アンティークに興味をもっていました。イームズなどの純粋な工業製品とちがって、少しだけ「職人魂」が見えるところに惹かれたのでしょう。
 ハンス・J・ウェグナーやフィン・ユール、はたまたミース・ファン・デル・ローエに関する本を読みふけったりしていました。その中でも、はやりウェグナーが好きです。近代(モダン)なんだけど、ちょっと職人くさいんですね。ちょうどそんな頃に信濃美術館で開催された「世界の椅子」展でも、ウェグナーの「The chair」がうやうやしく鎮座していましたが、なんてことはない、現在でも手に入る工業製品です。しかし、本で学ぶにつれ、工業製品でも工房の職人たちの技術力に支えられているというのが面白かった。お金さえ出せば買えるものだけれど(もちろん私にはそんなお金はないけれど)、表に名前のでてこない職人たちの、唯一無二の職人技がそれを支えているという感覚が大変興味深い。自分はそんな名のない職人になればよかったな、とさえ思ったことがあるほどです。
 そんな私が妻から学んだのは、「民藝」という世界でした。今、ちょっとしたブームのようになっているようですが、ブームにとらわれない「民藝」を知り、ずいぶん感心しました。仕事柄、様々な思想家を知らねばならないので、柳宗悦という名前だけは知っていました。しかし、その思想がどの様なものかは、教科書的な知識しかありませんでした。そんな私に、妻は民藝の実際を見せてくれました。益子や鎌倉でみせてもらったのもそうだし、さまざまなお店や本、実際の「モノ」をとおして、民藝運動の潮流をしったのです。私のこれまでの「マテリアル」に惹かれる感覚に、民藝はマッチしていました。あくまで芸術というつもりはない、職人たちが手仕事でつくる日用品に、確かに「美」があり、ひとのこころが入っている。そんな美しいものを、沢山教えてもらいました。
 旧濱田庄司邸へ行ったとき、いつかこんな家に住むのもいいな、と感じたのは事実です。同時に、こんな立派な古民家はとてつもないお金持ちの家で、私たちが住めるようなことはない、とも思いました。それでも、自分たちが家を建てよう、となったとき、私の心の片隅にはあの職人技光る古民家が、ちょこっとだけひっかかっていたのです。

 「自然素材」という考え方に触れ、家づくりに「コスト・パフォーマンス」以外のものも求めていいかもしれない、と直観してしまった私は、いつのまにか家づくりに「職人のこころ」を夢見始めていたのです。2013年の春を迎えようという季節のことでした。

自然素材という考え方に触れる

2015-01-20 20:58:01 | 依頼先決定まで
 さすがにモデルハウス一つ見ただけではいけない、もう少し見る目を養っておかないと安心できないと考え、一応違うものも見てみることにしました。
 まずは、前回見に行った「ローコスト住宅」と同じ工務店の売り出している別のパッケージが、これまた歩いて行けるところにあったので、散歩のついでに見に行きました。外壁はガルバリウムですっきり。片流れで軒の出がないモダンなイメージ。内部はスキップフロアで空間を有効に使えるとか。実際見てみると、二人で「うーん」。「普通」でした。心躍るものが特にない。いろいろな空間の工夫は分かるし、便利なところが沢山あるようなのですが、なにかこう、面白くもなんともない。そして、営業さんの言葉づかいというか、全体的な「ノリ」というか、雰囲気にも「うーん」、と感じていました。「これ、この前と同じ会社なんだよな」と、いろいろ思うところがあり、やはり多くの住宅、多くの会社を見てみないといけない、と考えました。
 ある時、近くで「アトリエ○○○」さんの完成見学会があると知りました。この会社の本社はすぐ近くなんです。木を基調としたきれいな建物の写真が載っていましたので、ためしに見に行ってみることにしました。
 玄関先で、「へえー」と私は思いました。外壁がまず左官壁でした。荒目の仕上げ(あとで知ったが「スチロゴテ仕上げ」というらしい)で表情があり、なんだろうなかなかいいな、高いんだろうな、と触っていると、社員さんらしき方が声をかけてくださり、「そとん壁ですよ」と教えてくれました。
 中に入ると、庭までつづく通り土間があり、畳敷きの小さな居間とキッチンがありました。内壁は漆喰で、全体的に落ち着きがありなんだか洒落た雰囲気です。二階までひととおりみて、一階に下りてくると「設計図書」がおいてありましたので、意味はわからずとも「図」を見るのが好きな私はそれを見ていました。すると、この家を設計したという担当の方が説明に来てくださいました。
 まず壁には「そとん壁」と漆喰を使い、断熱材は「羊毛」を使っているとのこと。普通の家なら石膏ボードを使うことろに「モイス」という素材を使い、徹底的に自然素材にこだわっているとのことでした。「へえー、いろいろあるんだな」と思いました。そして、本来なら土壁がよく、いま土壁の研究と実験をしている、という話もありました。木材はすべて国産材だとも。
 建築コストの事だけ知りたかった私は、長野県産の木材を沢山使うと補助金が出るという話をきいたことがあったので、「県産材で補助金とかもらうと少しは安くなるんですか」などと聞いてみると、うちでは県産材は使っていない、というじゃないですか。「残念ながら流通している県産材は私たちの考えとはあわないんです」。恥ずかしながらその時はじめて、木材を選ぶのにも、外壁や内壁の仕上げを選ぶのにも、合理性だけでない「考え」がある、ということを知りました。この素材を使えば安くて便利、というだけでない世界があるのだと。その素材を使うことに、どのような文化的・社会的意味があるか、「考え」を大切にしている企業もあるのだと知りました。
 最終的に、建物自体はなんだか洒落すぎて、使いにくそうで、(おそらく普段工業製品ばかり見て不勉強なせいで)「手刻み」だという木材の加工が荒いな、と感じてしまい「わるくないけど、うーん」という意見で二人の感覚は一致しました。(あるいは、妻は柳宗悦のいう「民藝」にあかるく「職人技」には目が肥えており、私もその影響を受けているので、「手刻み」と聞いて、とたんにちょっと厳しい品定めのような見方をしてしまったのかもしれません)
 ただ私は、家を建てるということに、文化的な意味があるということを考えるようになりました。合理的に安く、だけでない、なにか大切な「思い」みたいなものも大切かもしれない。なぜ「県産材」が「わたしたちの考えにあわない」のか気になりました。そして、この時代に「土壁」を研究しているというのも。
木材といえば「檜」が高級だ、というくらいの知識しかなく、木造住宅にどんな木材がつかわれるかも、何も勉強していない段階でした。幸か不幸か、この見学会で、私は「家を建てる」ことが、「ちょっと面白い勉強」なんだと考えるようになりました。貧乏なんだから、そんなふうに気づかなければよかったのに…。