わたしたちの住処をつくる記録

いえづくりについて、できごとと考えたことを記録しておきます

外部枠回りほか

2015-07-28 21:58:29 | ただいま普請中
枠回りが進みました。

戸袋ができています。こんな感じ。


水切りに真鍮製の甲丸レールもつきました。緩やかながら水勾配がとられているそうです。


お風呂の外には枠回りと「目隠しルーバー」。全て桧製。

今はルーバーが下に行ってますが、サッシが入ったら上にスライドして留めます。
これ、結構手がかかっていて、実物を目の前にするとかなり存在感があります。
これで風呂内部ができてくると、ものすごいことになりそうです。

二階ではトイレの棚がつくられ始めていました。


先週からとんでもなく暑いなか、本当にありがとうございます!

内部造作少しずつ

2015-07-27 21:29:20 | ただいま普請中
1階の造作がゆっくり進んでいます。
キッチンには天井が張られ、ペイントが施されていました。

内装制限により現し天井とはいかないため、プラスターボードにAEP塗装です。

一階の開口部枠回りも造作が始まりました。

鴨居(?)部分は外側につきます。

下部は板金が施されました。ここに甲丸レールでしょうか。

ここの贅沢なサッシは仕上がりがすごく楽しみです。

外部にはこんな小物が。

吸気口です。シンプルなデザインでいいですね。


屋根には雪止め。


ひとつひとつ、着々と進んでいます。

家を勉強する⑤(旧筑波第一小学校)

2015-07-22 20:42:03 | 勉強
 2014年5月3日、設計監理契約の翌々日、茨城県つくば市の「旧筑波第一小学校体育館」(設計:下山真司+増田一真建築構造事務所、施工:眞木建設)を見に行きました。
 『住宅建築』誌に田中文男さんの仕事として安藤邦廣さんのレポートが掲載されており、妻の実家に近いところにその「体育館」があるということがわかったので、見に行ってみたのです。
 筑波山麓を上っていた結構上の方、参道の鳥居のすぐ近くに、「旧筑波第一小学校」はありました。現在は少子化の影響で廃校になり、校舎はつくば松実高校という広域通信制の学校が利用しています。学校は休みのようでしたが、私たちがちょっと駐車場の方へ行ってみると、近所のおばあさんが学校の敷地内を通ってゆきます。どうやら近隣の方々は校地内を散歩コースにしているようでした。

「体育館がすごい建物だと聞いて見てみたくて」とおばあさんと話すと、あそこに先生がいるよ、なんて話になり、話がとんとん進んで見せていただけることになりました。安藤邦廣さんの「板倉」の実践についてテレビ番組が放映されたばかりで、そのなかでもこの体育館が取り上げられたらしく、多くの人が見学に訪れているとか。松実高校の先生は、なれた様子で体育館の木製サッシの鍵を開けて下さいました。

 
 なんと落ち着いた空気。体育館というと鉄骨に明るい水銀灯のイメージですが、経年変化で色の沈んだ木構造が落ち着いた趣を作り出しています。

そして構造材ところどころに見える「込栓」。込栓のある体育館なんてものが存在するのです。贅沢なつくりに、ここで勉強した子ども達がうらやましく感じます。競技のための体育館というより、子ども達が体を使った様々な体験を通して成長するための場という感じがします。もちろん競技も成長の場ではあるのですが、競技以外の時間が大事にされたんじゃないか、という気がします。なによりも、「文化」を感じさせてくれる空間です。
 
 力強くも軽やかな懸け造りに、板倉の色合いが渋みを加え、歴史と文化を感じさせる、かといって寺社建築のような重々しさのない、むしろモダンにさえ見える外観も素晴らしいと思いました。そんなあたり、田中文男さんは伝統的な建築について考えながら、きっと視野は常に未来をむいていた方なんだろうな、と感じます。
 初めにお話ししたおばあさんも、震災の時(3・11)も「ビクともしなかった」とおっしゃっていました。小学生がいなくなった今も、地域の人々のイベントなどに使われ、信頼され続けている現役の体育館です。幾度かの補修を受けつつも、時を経てさらに良くなってゆく建築のひとつだろうと思います。
 1986年の竣工。1985年のプラザ合意を経て円高不況を経験しながらも、実体無き「雰囲気」の消費連鎖だけが価値を持ったかに見えた「バブル景気」という社会に突き進もうという時代でした。どのような経緯でこの建物をつくろうということになったのかは、不勉強で理解していませんが、こうした体育館を作ろうという計画を持った当時の旧筑波町の見識の高さは立派だと思います。


 時を経て、不具合が出てきてもなおす気にならない、建て替えたほうがましだ、というのではさみしい気がしてしまいます。できることならよいものを長く使い、そこに新たな意味を付け加えてゆくのがいいのではないか。そんなことができれば、微力であっても、社会や文化に対する責任を果たすための、はじめの一歩になるのかもしれません。

内部左官開始

2015-07-20 21:45:11 | ただいま普請中
いよいよ漆喰塗が始まりました。
左官屋さんが作業されているときにごあいさつに行きたいのですが、
なかなかできません。
いつもどおりお休みの日に見させていただいています。
 
壁が白くなりグッと明るく、同時に引き締まって見えてきました。
すべて仕上がると空気が一変するでしょうね。

窓、いい感じです! 「塗り回し」っていうんですか?
 


こちらは下塗り。下塗りだけでも綺麗に感じます。


こういうところは、

こうなっています。

ここに漆喰が塗られ、木枠は細い線のようにだけ残ります。「ハッカケ」という納まりです。

1階の左官はまだですが、造作が少しずつ進みます。
キッチンボードが張られました。


洗濯機の置かれる家事室


2階外壁は相変わらず綺麗です。
 

設計管理契約と高円寺の家

2015-07-16 21:44:14 | 依頼先決定まで
 2014年5月1日、設計監理契約のため上京しました。
 茨城の妻の実家へゆく予定だったので、その足で松井事務所に寄ったのです。重要説明事項等のお話を聞き、特に悩むことなく、すんなりと契約を交わさせていただきました。当時は妻が身重で、説明を聞いている途中でちょっと体調が悪くなり車で休んでいてもらったことをよく憶えています。
 契約後、松井先生親子の案内で私たちが一度は拝見したいと思っていた「高円寺の家」へ。駅から少し入ったいかにも都会の密集した住宅街のなかに、突如として桧張りの明るいファサードが現れたときはびっくりしました。完全にモダンでおしゃれな住宅。かといって、人目を引くような奇抜さはなく、板目が美しく優しい穏やかながら、とにかく「きれい」な建物でした。
 中にお邪魔すると、松井事務所のページでは連載エッセイでおなじみの加藤木さんがあたたかく迎えて下さいました。内部は「なにこれ!」の連続でした。悪い意味ではなく、思わず「なにこれ!」と言いたくなる素晴らしさばかりだったのです。延べ床20坪に満たないのに、なにこれこの開放感。二階には庭園。木製建具も美しく、一つ一つの開口部の気分がいい。寝室の落ち着きっぷりも格別。ちょっとしたところにガラスが入っていたりして繊細な技が随所に見られ、小さくとも趣のある日本庭園の張り出したデッキと緑とのバランスのいいこといいこと。在来のお風呂もささやかな庭が見える、どこかの高級温泉宿のように品のある空間。しかしその辺のおしゃれ建築的な作り込み感、鉄筋コンクリートのビルなんだけど木をふんだんに使って内装に凝りました的な温泉宿によくある偽物感がなく、すべてが理由有る合理的デザインなのだと感じました。つややかな漆喰の平滑面は単純な塗装と全く質感がことなり、素材感があたたかく同時に凛とした空間を作り出していました。桧の木肌も明るく同時に落ち着きがあり、変な外材とはやっぱり質感が異なります。細部がすべてとてもきれいに合理的にまとめられており、妻は「残念なところがひとつもない」と感心していました。これがデザイン面だけでなく、構造・機能・性能、ついでに加藤木さんのお人柄、すべての面が調和した上での話ですから、私たちには到底手の届かないとてつもなくハイレベルな家だと思いました。
 松井匠さんは「○○(私たちのこと)さんのお宅もこうなります」と何度もおっしゃいました。私たちは信じられませんでした。今でも半分信じていません。何しろ建築コストが違うだろう、と思っています。予算が少ないのにいい家をつくってほしいなどと無茶なお願いをしてしまい、とても申し訳なく感じています。けれども、半分は信じさせて下さい。すこしだけ夢をみさせてください。
 高円寺を後にし、茨城の妻の実家へ向かう道すがら、ずっと興奮が冷めませんでした。「いいもの見せてもらった」、「見せてもらって本当によかった」「勉強になった」と、ずっと頭のなかがいっぱいになっていたような気がします。