わたしたちの住処をつくる記録

いえづくりについて、できごとと考えたことを記録しておきます

土地を買った

2015-06-26 00:18:40 | 土地まで
 2014年3月17日、松井先生のスケッチから約2週間後、「き」組メンバーである田中製材工業さんから「概算見積」が届きました。

 そこに若干の床面積増と要望を上乗せした見積もすぐにいただき、なんとか私たちの考えていた予算に少しがんばれば行けそうだとわかりました。
これをもって、不動産屋を通して土地の売り主さんと交渉ということになりました。地元で長く開業しているその不動産屋社長のアドバイスに従って、
「私たちはここにこんな理由でこんな家を考えています。しかし概算では少し予算オーバーです。なんとか支援をしていただけませんか」という交渉です。
 もともと売り主さんの家があったところ。周囲の街はすでに成熟していて、そこに新参者が入るわけですから、土地の売り主さんにとっては、どんな人がどんな家を計画しているのか、心配な面もあるのでしょう。単にお金を払えるから買うとか、お金を払える人に売るとかという以前に、どんな人から買い、どんな人に売るか、というのは結構大事なことなのでしょう。だから、ここでは私たちが計画を開示することが大切だったのだと思います。たぶんいわゆる「新規造成地」の売買の感覚とは違うのだと思います。

 結果、私たちが見込んでいたくらいの値引きと好条件をいただき、契約へ進むことにしました。
 2014年4月13日に土地購入契約。4月30日に銀行の一室にて清算。当然全てが初めてのことでしたが、売主さんがとてもいい方だったので、契約自体はとても安心できました。同時にローン返済もスタート。
 そのようにして、期待と不安の入り混じった大きな一歩を踏み出したのです。


土地を見てもらう

2015-06-05 23:20:19 | 土地まで
これまでの経緯を思い出しながら記録しています。

 2014年冬の終わる3月、松井郁夫先生がはるばる東京から土地を見に来て下さいました。その直前、少し気になる物件を新たに発見していた私たちは、せっかくなので、そちらも見ていただくことにしました。
 それはもっと町に降りたところで、狭い町屋風の建物が建っており、土地付き中古住宅として売り出されていました。狭いけれど平地で、町中でしたので、歩いていろいろなところに行ける、そんな場所でした。この町は道が狭く車では不便ですが、歩いて楽しめるところが多い城下町です。ですから、まちなかは案外いいかもしれないと思いました。ただ、坪単価から考えれば選択肢は必然的にかなり狭い場所にはなります。
 その中古住宅は細長く、内部に光の届かない暗い家でしたが、奥に坪庭がありそこには漆喰塗りの土蔵が。これにはちょっと心揺さぶられるものがありました。私たちが内見したときは、ちょうど近年まれにみる大雪が降った直後で庭が雪で埋まっており、土蔵まで到達することができていませんでした。
 
 松井先生が来た当日、まずは駅から近いその中古住宅へ。1階2階と一通り見て、ベイマツが使われているし、半分くらいは新しく増築したのかもしれない、ということがわかりました。基礎は鉄筋の入っていない時代のコンクリートで、石場建ての古民家と違ってちょっと補強がやっかいそうなどと話を聞きながら、雪のだいぶ融けた庭の土蔵へ。
 しかし、中はとても残念な光景でした。小さな土蔵の内壁がすべてベニヤ板で覆われていたのです。昔のアパートの押し入れの中のような感じです。どうしてこういうことするのかな、と素人ながら思いました。外部は漆喰がきれいに塗られており、なまこ壁も状態良く、重厚な格子戸もよい雰囲気だったのに、内部は興ざめです。そして、かび臭い。「蔵が黴臭いんじゃなあ」ということで、その物件を後にしました。

 駐車場まで町を少し歩いて、例の小高い丘の上の土地へ。急な坂道の急なカーブの内側で、車にも高齢者にも優しくないところですが、あらためてその土地にくると、やはり眺望はとてもいい。中心街からそれほど遠くなく、文教地区に近く、しかも街を見渡せる場所はあまりありません。しかも、私たちの手の届きそうな価格で売り出されているのは他にはありませんでした。
 松井先生はこの土地に来るなりとても楽しそうでした。とにかく見渡す景色に好感をもったようでした。坂はきついが「それを楽しめるかどうか」ともおっしゃいました。田舎育ちの私たちには「狭さ」は少し気にはなりましたが、都会で設計を多数されている松井先生には全く気にならなかったことでしょう。私たちも都会で暮らした経験があり、順応できると思いました。

 とにかくこの土地で「スケッチ」と概算を作成していただくことにしました。そのスケッチで不動産屋と交渉するという段取りです。慌ただしい中でしたが松井先生を駅までお送りし、スケッチを待つことに。それから1,2週間は待つかなとゆったり構えていたら、なんと3日後にスケッチを送って下さいました。なんでも「あんまりいい土地だったので、帰って早速、スケッチを始めました」とのこと。どんな間取りのスケッチが出来上がってくるかといろいろ想像を膨らましていた私たちは、シンプルかつ自分たちの思いつかなかった間取りのスケッチを拝見して「なるほどプロはこうやるのか」と感心し、すぐに概算見積もりを依頼していただきました。

(禁転載)

 そのようにして、私たちの土地探しは、この不便で狭いが景色のいい土地に落ち着いていったのです。

 普通、不便な土地をわざわざ買うのはどうかと思います。でも、他に無かったのです。ネガティブな意味ではなく、他にはいい土地は全然なかったのです。私たちはどうも普通の当たり前の「分譲地」を購入する気にはなれませんでした。私たちはちょっと変わった、特徴のある土地を求めていました。資金はあまりありません。郊外へと視野を広げていったものの、どこも代わり映えのない、同じような分譲地ばかり。いっそのことと「古民家」も視野に入れていたのですが、売り出されるものは本当に山の中になってしまい、仕事との兼ね合いから現実的ではありませんでした。いろいろ見て回って、ああでもないこうでもないと紆余曲折あって戻ってきて見つけたのがこの土地。実はかなりお安くもしていただきました。(そして、これは私だけの感覚が入ってしまい妻には申し訳ないのですが、このあたりは私が高校へ通ったところでなじみもあり、大学卒業して働いた最初の職場への自転車での通勤路に近いところでした。)急坂の上ですが、幸か不幸か関西に住む姉の家をみてきたことも少しは影響しています。姉義兄の家は本当に高台の上で、大阪湾を一望できるところでした。
 夏には花火があちらこちらで見えるかな、とか、秋には山々のだんだん染まってゆくさまが見えるだろうなとか、そんなことを期待しています。

街の土地へ

2015-04-16 23:24:18 | 土地まで
 建築中ですが土地探しのことも思い出しながら記録します。

 「安くて広い」土地を探してどんどん郊外へ出て行った私たちの土地探しは、2014年が始まったころ、折り返し地点をまわって街へ戻ってきました。狭くてもいいから街の中にいい雰囲気の土地があるのではないか。いままでそもそも無理だろうとおもって見てこなかったところに、見落としがあるのではないか。そんな思いで、市内の土地を見始めたのです。
 狭いが手頃な価格の土地がありました。確か30坪くらいか。細長で、以前に家が建っていたようです。家が建っていたということは、人が暮らせない広さではないはず。と考え、見に行きました。川の近くのその土地を観に行って、愕然としました。本当に狭かったのです。これは住めない。ああ、やっぱり町の中では無理なのか…
 しかし、あきらめず探しました。そもそも町の中には売地が少なく、狭い路地をはいったようなところが多いようで、車社会に対応しないところが残っている感じでした。ここもピンとこないここもピンとこない…とやっているうちに、もしかしたら、という土地を発見。そこは私が高校時代に歩いていた通学路のすぐ近くでもあり、私が大学を卒業してすぐに働いた職場へ通うのに自転車で通っていた道のすぐ近くでした。
 不動産屋の案内の画像では狭くて細長く、本当になんの魅力もなさそうな売れ残りに見えましたが、上のようなこともあり、なんとなく気になったのです。そこでGoogle Mapのストリートビューで近くを見てみました。どこがその土地だかわかりませんでしたが、そのあたりからの眺めがどうもとてもよさそうだったのです。傾斜地のように見え、普通のハウスメーカーだったら、こんなところには家は建てたがらないだろうけれど、建築家さんだったらどうだろう、土地の特性を上手くいかして面白い家はできないだろうか、なんて楽観的に思いました。
 私たちは土地を見に行きました。
 そこはとても使いにくそうな形のちょっとした空き地でした。細長く、庭もあまり取れそうにありませんでした。接道が急坂で、しかも大きくカーブするところ。車の出し入れがとても面倒で、難しそうでした。



 不動産業者と一緒に見たとき、社長の口ぶりはいままでと少し違いました。積極的に売りたくない、という感じでもありませんでしたが、積極的に売り込んでくる、というわけでもありませんでした。いま考えれば、なにかこちらがどんな人間かうかがっているような口ぶりが多かったように思います。ただ、かなりお手頃価格だとは言いました。さらに、売主さんはお金に困っているわけではないので、もう少し勉強することはできると思う。と社長は言いました。ただし、どんな家を建てるつもりなのかプランを出して、このために概算でこのくらいかかるから、このくらい協力してほしいというふうに言ってもらえれば売主さんと交渉でしやすい、と言われました。

 すぐに契約するわけでもないので、松井先生に見てもらって、プランを作ってもらって、それから判断してもいいだろう、と軽く考えました。この狭く細長い土地に、うまく建物を配置することができそうなら、そして、その結果売主さんとの交渉がうまくいくようだったら、その先へ進もうと考えたのです。

 1月25日、松井事務所(「き」組事務局)にメール。3月2日に見に来てくださるとの返答。1か月以上待つことになりました。待っている間に、とんでもない大雪が降ったりしました。そしてもう一つ、気になる物件を見つけました。

 

土地、第二候補も

2015-03-17 23:48:34 | 土地まで
 2013年の9月に峠越えし、10月には広くて手頃な価格の土地を探して、北アルプスの見える郊外へ土地探しの手を広げていました。ただ、せっかく北アルプスの見える町に行っても、売り出される土地はいわゆる普通の分譲地で住宅街の中。家からの景色などは見込めないところが多く、あまりピンとこないものばかりでした。それに、やっぱりたいして手頃な価格というわけにいかなかったのです。
 土地探しは町から離れ、どんどん北へ向かいました。妻は「ちひろ美術館」のあるあたりの景色が気に入っていた、と私は思っていたので、そんな牧歌的に緩やかに広がる日当たりのいい土地を二人で探しました。

(安曇野ちひろ美術館 内藤廣設計による建築が風景に溶け込んでいる)


 田舎特有の閉鎖的な雰囲気を感じたときもありました。古い集落の奥の方にぽかんと空いた土地に行くときや、分譲地であっても長い間売れ残っている土地を見に行くと、なんだか「よそ者」が突然来た、何しに来たんだ、という目で見られるように感じることもあり、なかなか「ここだ!」と思えるところに出会えませんでした。
 そもそも、安曇野市は非常に厳しい景観条例が施行されたばかりで、農地に面し住宅に囲まれず景色が見通せるような住宅用の売地はまずほとんどないということは後から知ったのですが、一か所だけ、とても気持ちの良い土地を見つけました。
 東西と南が田畑で、有明山がグッと迫るようにみえる見晴らしのいい土地でした。土地の隅にまるっとしたかわいらしい小さな木が一本だけ残されており、それもまた魅力的でした。その場に立った時の気持ちよさは格別で、ここはいいんじゃないか、と二人の意見が一致しました。町からも駅からもちょっと遠いことろですが、何にも代えがたい気持ちの良さがある。



 ここが私たちにとって二番目の本格的候補地となりました。早速不動産屋に連絡を取ると、社長はなんだか気が乗らない様子。「出さなきゃいけないんで出してるけど、あまりすすめられないんだよね。ほかにあったら紹介するよ」と社長。反対されると意地になるタイプなので、なんで買おうとする客に「すすめられない」のか、客を選ぶのか? と思い、他の不動産屋にセカンドオピニオンを求めました。
 
 不動産・街づくりコンサルティングを標榜するその社長と一緒に現地を見ました。しかしどうも渋い顔。結論は「やめておいたほうがいい」でした。
 旗竿地でもむしろいいと思っていたのですが、ここの土地はその旗竿地の設定の仕方に問題があったのです。



 図のように、接道部分は最低限しかないので、普通の感覚では「家2」の土地と共用する私道を設定するはずなのですが、そういう設定になっていません。「家2」の方は敷地ぎりぎりまですでに花壇をつくったりしています。さらに接道部分の2mも実質はほとんど田んぼの畔部分なので、通れるのはほんのわずか。現況をみるとどう考えても「家2」と共用が自然なのですが、そういかなそうだということでした。要は、ここを買えばたぶんトラブルになるということですね。やはり、地元に根差した不動産屋が勧めない物件には問題があるのです。

 私たちは結局、ここもあきらめざるを得ませんでした。妻は特にこの土地が気に入っており、とても残念がっていました。
 この後、私は同じように見晴らしのいい土地を探しました。ある建築家さんが自分のアトリエを建てる予定が変更になって手放そうとしている土地など見ました。写真ではいいところでしたが、実際に行ってみると大したことない畑跡でした。少し東へ移ってアルプスのよく見える町も探しましたが、市街地からの距離と折り合いがつくような土地はありませんでした。少し市街地よりの高台にはアルプスが北の奥のほうまで全部見える絶景の中古住宅もありましたが、そこに行くまでの道が細すぎて車が入れませんでした。後でわかりましたが、この場所は活断層の直上でもありました。人気が高いといわれる新興住宅地の売れ残りの土地もみましたが、売れ残るだけあって何の魅力もない土地でした。相当な数の土地をみて回ったと思います。しかし、「いいな」と思える土地に出会えませんでした。

 年が明けて2014年。私は、発想を転換する必要性を感じ始めていました。



峠の向こう側へ

2015-03-06 22:32:17 | 土地まで
 2013年秋口から、土地探しは「峠越え」を果たしました。私の実家に近い方へ視点を移したのです。

 私もよく知っている地名で、かなり地価が高いはずのところに、激安といえる広い土地が売り出されていました。関東の不動産会社が仲介しており、地元の業者じゃなかったので「掘り出し物」かと思い、とにかく見に行きました。これが峠越え第一号の見学地だったはずです。地図上で見る限りは、高台で景色もいいはず。そしてなんとRCの「地下車庫」付きとあるではないですか!
 行ってみると、「激安」の理由がわかりました。
 まず、土地の南側半分近くが北向き斜面の擁壁でした。つまり、日当たりは決してよくなく、しかも、南に見下ろすはずの町は見えず。
 
 それでも二階からは少し景色が見えるかも、と雑多な木々が茂っていた擁壁の上を見上げると、木漏れ日と一緒にかすかに見たことのあるような形の影が。
 「そういうことか」
 そこは日当たりのいい緩やかな南斜面の、どこまでもつづく大きな大きな墓地の頂上だったのです。

 カーナビを頼りに裏側から回り込んでこの区画に入ってきたため気づきませんでしたが、町側へ降りてゆくと墓地の中の道を通ることになります。妻は「そんなに悪くない」という印象だったようですが、私にはどうも…

 このようにして、峠越え後の土地探しもまた「墓ビュー」から始まりました。
 ここの安さは魅力的でしたが、少し郊外に出れば安くて気持ちのいい土地があるのではないか、と私は思いました。そこで、実家のある町や北アルプスの見えるほうの町へ、土地探索の範囲を広げてゆくことにしました。

 ところで、この「峠越え」を後押ししてくれたのは妻でした。ついでにわたしは、将来の職場についても意を固めました。このことについて、私は妻に感謝しています。