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愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

「Shadowplay」の「you」――(2)

2011-04-13 21:37:17 | 日記
 第2連1行目「In the shadowplay, acting out your own death, knowing no more,」の、「knowing no more,」は、「これ以上分からない」という意で、「君」の消息が全く分からない、知るすべもないということです。そんな中、影絵芝居で「僕」が演じる「君の死」により、「君」の「死」が暗示されます。続く2行目には「暗殺者」が登場します。「君」は、もしかしたら暗殺者によって殺されたのではないかという連想が生じてきます。
 2~3行目の「As the assassins all grouped in four lines, dancing on the floor, /And with cold steel, odour on their bodies made a move to connect,」という情景からは、『An Ideal For Living』にも描かれ、イアンがかなり影響を受けていた、ドイツ第三帝国が思い出されます。暗殺者の背後にいて、命令を下す独裁者、圧政者とか、そんな存在を彷彿とさせます。
 4行目「And with cold steel, odour on their bodies made a move to connect,」は、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』邦訳本では「そして刃物とともに、彼らの身体のにおいが動いて結びついた」と訳されているのですが、これだとちょっと意味が分かりにくいように思います。「made a move」は「行動した」、「connect」は「つなぐ、関係する、協力する」で、「協力するよう迫ってきた」ということではないでしょうか。5行目「But I could only stare in disbelief as the crowds all left.」は、「僕」が彼らと手を組むこと、または服従することを拒否したので去っていった、と解します。
 そして、ここで、暗殺者たちと「僕」の関係はどういうものなのかという新たな疑問が生じます。暗殺者たちの目的は何なのでしょうか、彼らも「君」を探しているのでしょうか。そして第3連に続きます。
 第3連の1行目に「I did everything, everything I wanted to,」とあります。「僕がやりかかったこと」とは何なのか。その一端が2行目の「I let them use you for their own ends, 」に表されているのではないかと思います。ここには、「彼ら」と「君」と「僕」の関係が仄めかされています。「彼ら」を滅ぼすために、彼らに「君」を利用させた――「君」の存在は「彼ら」を破滅へ導くことへ関わっているようです。「彼ら」とは暗殺者たちで、あるいはその背後にいる存在も含まれているかもしれません。「僕」や、多くの人々を圧迫する恐るべき者たちで、それを滅亡させるために利用されたのが「君」ではないでしょうか。こうして、「君」への関心が高まってきます。
 どうやら、「君」は「僕」の犠牲になったようです。そして「僕」は半ば絶望し半ば希望を抱きながら「君」ともう一度出会えるのを必死で待っているのです。「君」は「僕」の生命に関わる重要な存在です。「君」の不在は「僕」の危機、そして絶望に深く関わっています。「僕」は、「君」を利用し、犠牲にした後でそのことに気付いた――もしくは、分かっていたにも関わらずそうさせてしまった――いずれにしても「僕」は暗殺者たちの直接の被害者ではなく、共犯とは言えないまでも何らかの責任を負っているらしいことが、第3連まで読むと分かってきます。こうした、自責の念と自らの破滅の予感は、イアンの、とくに晩年の詩における特徴的な要素であると思われます。
 第3連まで読むと、「君」と「僕」は運命を共有しているような、一心同体のような密接な関係を持つものとして印象付けられてきます。「Atmosphere」についての記事で、
“「Dead Souls」に、「A duel of personalities」とあるような、「内なる人格同士の闘い」が「Atmosphere」のテーマではないか”
と書きましたが、もしかしたら「Shadowplay」の「君」と「僕」も、内なる人格同士という関係ではないかという想像が生じてきます。興味深いのは、ドッペルゲンガーを扱った、法月綸太郎の「シャドウプレイ」というミステリー(短編集『パズル崩壊』所収、1999年・集英社)です。この短編集には、「トランスミッション」というタイトルの小説もあり、こちらには「イアン・カーティス」の名前も出てきます。また、本の扉のところに「Twenty Four Hours」の歌詞の一節が引かれています。以下、ネタバレになりますので読む予定の方は飛ばして下さい。
 ミステリー作家が、ある日高校の日本史の教師である友人の「僕」に、電話でドッペルゲンガーについて尋ねてくる、というのが発端です。二人は、芥川龍之介が見たドッペルゲンガーをはじめ、日本やヨーロッパの文学・伝承などに表れた“分身”について語り合います。作家は、ドッペルゲンガーを使ったミステリーの構想を話します。登場人物は、作家が主人公で、その友人として「僕」も登場してきます。
――ある日、作家にそっくりな人物が現れます。自分が全く行った覚えの無い場所での目撃情報を聞き、初めはドッペルゲンガーが現れたのかと、作家は考え、友人の「僕」も同意します。そんな時、作家が殺したいほど憎んでいる人物が殺される事件が起こります。そして、そのちょうど同じ時刻に、遠く離れた場所で、生きていれば重要な容疑者となるはずの作家が事故で死に、殺人事件は迷宮入りになります。
 事件・事故から半年ほどたって、一人の男が「僕」を訪ねてきます。死んだ作家にそっくりなその男は、作家の遠縁にあたる者で、事件の起こる少し前に作家の周りに出没するようになり、ドッペルゲンガーかと思われていたのは、実はその男だったことが分かります。しかも、「僕」は男と話しているうちに、ふと、目の前にいるのは、死んだはずの友人の作家なのではないかと感じます。本当は死んだのは“分身”の方だったのではないか、“分身”を使った完全犯罪だったのではないか、と。

 そんな可能性が仄めかされ、主人公と“分身”の存在が混乱する感じで話は終わっています。それどころか、現実とミステリーの境界までもが、登場人物が重なっているために曖昧になっています。
 この小説は、単にジョイ・ディヴィジョンの歌と同じタイトルをつけたというだけではなく、かなり詩の内容に精通して書かれている印象を受けます。「I let them use you for their own ends,(僕は君を利用させたんだ、彼らの破滅のために、)」というように、“分身”を利用した殺人、そして、「僕」と「君」は「生」か「死」かという窮極の関係で結びついています。確かに、この詩も含め、いくつかのイアンの詩を読んでいると、「内なる人格同士」の対立はかなり深刻なものだったのではないか、と思わされます。ふと、もしかしたらイアンはドッペルゲンガーを見たのではないだろうか、などと思ったりもします。が、「君」が「僕」自身かどうかはともかく、この詩が描いている「僕」と「君」との関係は、複雑です。想像力が掻き立てられるまま、もう少し考察してみたいと思います。