『An Ideal for Living』に続いてジョイ・ディヴィジョンがリリースしたレコード『 A Factory Sample』は、1978年の10月に録音され、翌1979年の1月に発売されました。ジョイ・ディヴィジョンを含む、ドゥルッティ・コラム、キャバレー・ヴォルテール、ジョン・ドウイのバンド4組がそれぞれ2曲づつ提供した2枚組のシングル盤で、「Digital」と「Glass」が収録されています。
この 『A Factory Sample』は、トニー・ウィルソン(1950-2007)に母親の遺産が入り、それを原資にして作られました。ファクトリー・レコードの記念すべき第一枚目のレコードで、レコード会社としてのファクトリーのスタートとなりました。
ジョイ・ディヴィジョンとトニー・ウィルソンの出会いは、1978年の4月に行われた、地元マンチェスターのバンドが集まるイベントでした。このイベントには、英国音楽業界の関係者たちが集まり、名前を売る絶好のチャンスでした。グラナダTVの名物司会者だったトニーは、自らがホストを務める音楽番組で、周囲の反対を押し切り、新鋭のパンク・バンドを紹介していました。この番組にはセックス・ピストルズやイアンの憧れるイギー・ポップ、バズコックスなどシーンを代表するバンド、ミュージシャンが出演していました。何としても出演を果たしたいと望んでいたイアンは、この日初対面のトニーに向かって、「トニー・ウィルソンはクソだ」「俺たちをテレビに出さないじゃないか」などと悪態をつきます。トニーは「ワルシャワ」時代に、既に彼らのギグを見てはいましたが、この日のステージをきっかけにジョイ・ディヴィジョンに強い興味を持ちます。ステージを見て、「ただ有名になりたいだけの他のバンドとは違う何かを感じた」というトニーの番組に出演を果たしたのは1978年9月で、「Shadowplay」を演奏しました。
このイベントでは、トニー・ウィルソンの他に、ジョイ・ディヴィジョンにとってもう一つ重要な出会いがありました。トニーの友人で、イベントが行われた店のDJをしていたロブ・グレットン(1953-1999)との出会いです。ロブは、ジョイ・ディヴィジョンのステージに惚れ込み、マネージャーに名乗り出ます。
周囲の人々に「ジョイ・ディヴィジョンは凄い。今まで見たバンドの中で最高だ。マネージャーになって世界中に連れて行く」と話していたロブ・グレットンの熱心な仕事ぶりは、ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』で公開されていた、びっしりと書き込まれたメモからも窺い知ることができます。それまでは自分たちでギグのブッキングにつとめていましたが、彼らより3歳年上で、既に音楽ビジネスの世界でもまれ、熱意にあふれるやり手のロブ・グレットンがマネージャーになったことは、ジョイ・ディヴィジョンがプロのバンドとなるための大きな転機となりました。
『A Factory Sample』のプロデュースは、バズコックスの1stアルバムをプロデュースし、その才能が注目されていたマーティン・ハネット(1948-1991)が担当しました。ハネットはこれを機にファクトリーのお抱えプロデューサーとなりました。
ファクトリー・レコードの興亡を描いた映画『24アワー・パーティー・ピープル』に登場する、キレまくった登場人物たちの中でも際立って印象的なのが、奇才マーティン・ハネットの変人ぶりです。ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』で語られるエピソードからも、かなり独特な人物像が窺えます。荒削りでパンキッシュなジョイ・ディヴィジョンのサウンドは、ハネットのプロデュースにより、劇的に変わります。音は大胆に加工され、背景に加えられた様々な効果音により、曲に、サイケデリックで独特な浮遊感が与えられました。
ドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」では、1988年の5月に行われた、マーティン・ハネットのインタビューの一部を聞くことができます。聞き手は音楽評論家のジョン・サヴェージです。
ハネット「彼らは神からの贈り物だった」
サヴェージ「なぜです」
ハネット「無知だったから」
サヴェージ「なるほど」
ハネット「僕は細かい工夫をいろいろ施したが、彼らは議論も質問もしてこなかった」
サヴェージ「最初に作ったのは? 『ファクトリー・サンプル』?」
ハネット「そうだ“デジタル”という曲さ。天国からの贈り物だ」
インタビューの最後の部分に関しては問題があります。映画で紹介された流れだと、マーティン・ハネットは「Digital」について、「天国からの賜り物だ(Heavens Sent!)」と語っているようにとれます。画面に表示される文字には、ハネットの最後のセリフが「It was Digital, it was Heavens Sent!」となっており、大文字で示された「Digital」は、明らかに曲のタイトルを指しています。しかし、他の資料を見ると、「Heavens Sent!」と呼ばれた「Digital」とは、どうも曲名のことではないらしいのです。
『アンノウン・プレジャーズ』コレクターズエディションに収録されているジョン・サヴェージによるライナー・ノートには、こうあります。
“彼らは素晴らしかったよ”と1989年に彼(ハネット)は私にそう言っている。“サウンドにはたくさんの隙間があった。それはとても大きなものだった。それに彼らはまともな機材を持っていなかった。だけど、それでも彼らは工夫をし、なんとかまともなものにしようとしていたんだ”。ハネットは彼らをこう見ていた。“プロデューサーにとって好都合なものだったよ。なぜなら彼らは何も知らなかったからね、そして言い争うこともなかった。『A Factory Sample』が彼らとの初めての仕事だった。確かその2週間ほど前にアドヴァンス・ミュージック・システムズの新しいディレイラインを手に入れたんだと思う。デジタルと呼ばれていたやつさ。それはまさに優れものだった”。
これは、年は1年ずれていますが、ドキュメンタリー映画にあるインタビューと同じ内容を指していると考えられます。そして、“Torn Apart―The Life of Ian Curtis ”97頁には、同じインタビューについてこう記しています。「ハネットは『A Factory Sample』の録音作業の二週間ほど前にAMS(Advanced Music Systems)社製の新しいDigital Delayを手に入れた。マーティンは、ライターのジョン・サヴェージにその新しい機械について聞かれ、「It was digital, it was heaven sent」と語っている。」AMS社は、「1976年に、Mark Crabtree と Stuart Nevison によってイングランド西北部のランカシャーにて発足されたレコーディング・スタジオ向けの音響用デジタル・プロセッシング・オーディオ・システムの設計開発と生産を行っていた企業」(ウィキペディア日本版)です。これらの記述から見ると、ハネットは、「デジタル」と呼ばれていた最新式の機械を「天国からの贈り物」だと言っていたようです。この最新式のテクノロジーを試す格好の対象がジョイ・ディヴィジョンだったのです。“Torn Apart―The Life of Ian Curtis ”は、曲のタイトル「Digital」は、この機械にちなんでつけられたと記しています。
それまでの彼らの曲作りはテクノロジーとは無縁でした。カセット・レコーダーさえ持っていなかった彼らの曲作りでは、イアンの耳が重要な役割を果たしていました。ピーター・フックは「イアンが全てのリフ(注:フレーズ)を見付け出したんだ」と語っています(『アンノウン・プレジャーズ』コレクターズエディションに収録されているジョン・サヴェージによるライナー・ノートより)。バンドが即興演奏をやる、するとイアンが演奏を止めて「今のは良かった。もう一度やってくれ」と言う、そんな練習の中から「シーズ・ロスト・コントロール」などの数々の印象的なフレーズが生まれていったのです。「とても不思議だったよ。彼がいなければ、彼の耳なくしては、僕らはそれを一度演奏したきりで二度とやらなかっただろう。たいていは、それを演奏したことさえ覚えていなかったに違いない……だけど、彼は気付いていたんだ」と、ピーター・フックは語っています。
そんなジョイ・ディヴィジョンにとって、ハネットとの出会いは、テクノロジーとの出会いでもありました。ハネットが「天国からの贈り物」だと語ったのが、「Digital」なのか「digital」なのかは、よくわかりませんが、「Digital」がジョイ・ディヴィジョンを代表する曲の一つであることは明らかです。イアンの最後のライブとなった1980年5月2日のバーミンガム大学でのステージではアンコールに応えて演奏されています。イアンがこの世で歌った最後の曲ということになります。このライブはアルバム『Still』に収録されています。最後の力をふりしぼるように歌う「Day in, day out」の一節が印象的です。
この 『A Factory Sample』は、トニー・ウィルソン(1950-2007)に母親の遺産が入り、それを原資にして作られました。ファクトリー・レコードの記念すべき第一枚目のレコードで、レコード会社としてのファクトリーのスタートとなりました。
ジョイ・ディヴィジョンとトニー・ウィルソンの出会いは、1978年の4月に行われた、地元マンチェスターのバンドが集まるイベントでした。このイベントには、英国音楽業界の関係者たちが集まり、名前を売る絶好のチャンスでした。グラナダTVの名物司会者だったトニーは、自らがホストを務める音楽番組で、周囲の反対を押し切り、新鋭のパンク・バンドを紹介していました。この番組にはセックス・ピストルズやイアンの憧れるイギー・ポップ、バズコックスなどシーンを代表するバンド、ミュージシャンが出演していました。何としても出演を果たしたいと望んでいたイアンは、この日初対面のトニーに向かって、「トニー・ウィルソンはクソだ」「俺たちをテレビに出さないじゃないか」などと悪態をつきます。トニーは「ワルシャワ」時代に、既に彼らのギグを見てはいましたが、この日のステージをきっかけにジョイ・ディヴィジョンに強い興味を持ちます。ステージを見て、「ただ有名になりたいだけの他のバンドとは違う何かを感じた」というトニーの番組に出演を果たしたのは1978年9月で、「Shadowplay」を演奏しました。
このイベントでは、トニー・ウィルソンの他に、ジョイ・ディヴィジョンにとってもう一つ重要な出会いがありました。トニーの友人で、イベントが行われた店のDJをしていたロブ・グレットン(1953-1999)との出会いです。ロブは、ジョイ・ディヴィジョンのステージに惚れ込み、マネージャーに名乗り出ます。
周囲の人々に「ジョイ・ディヴィジョンは凄い。今まで見たバンドの中で最高だ。マネージャーになって世界中に連れて行く」と話していたロブ・グレットンの熱心な仕事ぶりは、ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』で公開されていた、びっしりと書き込まれたメモからも窺い知ることができます。それまでは自分たちでギグのブッキングにつとめていましたが、彼らより3歳年上で、既に音楽ビジネスの世界でもまれ、熱意にあふれるやり手のロブ・グレットンがマネージャーになったことは、ジョイ・ディヴィジョンがプロのバンドとなるための大きな転機となりました。
『A Factory Sample』のプロデュースは、バズコックスの1stアルバムをプロデュースし、その才能が注目されていたマーティン・ハネット(1948-1991)が担当しました。ハネットはこれを機にファクトリーのお抱えプロデューサーとなりました。
ファクトリー・レコードの興亡を描いた映画『24アワー・パーティー・ピープル』に登場する、キレまくった登場人物たちの中でも際立って印象的なのが、奇才マーティン・ハネットの変人ぶりです。ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』で語られるエピソードからも、かなり独特な人物像が窺えます。荒削りでパンキッシュなジョイ・ディヴィジョンのサウンドは、ハネットのプロデュースにより、劇的に変わります。音は大胆に加工され、背景に加えられた様々な効果音により、曲に、サイケデリックで独特な浮遊感が与えられました。
ドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」では、1988年の5月に行われた、マーティン・ハネットのインタビューの一部を聞くことができます。聞き手は音楽評論家のジョン・サヴェージです。
ハネット「彼らは神からの贈り物だった」
サヴェージ「なぜです」
ハネット「無知だったから」
サヴェージ「なるほど」
ハネット「僕は細かい工夫をいろいろ施したが、彼らは議論も質問もしてこなかった」
サヴェージ「最初に作ったのは? 『ファクトリー・サンプル』?」
ハネット「そうだ“デジタル”という曲さ。天国からの贈り物だ」
インタビューの最後の部分に関しては問題があります。映画で紹介された流れだと、マーティン・ハネットは「Digital」について、「天国からの賜り物だ(Heavens Sent!)」と語っているようにとれます。画面に表示される文字には、ハネットの最後のセリフが「It was Digital, it was Heavens Sent!」となっており、大文字で示された「Digital」は、明らかに曲のタイトルを指しています。しかし、他の資料を見ると、「Heavens Sent!」と呼ばれた「Digital」とは、どうも曲名のことではないらしいのです。
『アンノウン・プレジャーズ』コレクターズエディションに収録されているジョン・サヴェージによるライナー・ノートには、こうあります。
“彼らは素晴らしかったよ”と1989年に彼(ハネット)は私にそう言っている。“サウンドにはたくさんの隙間があった。それはとても大きなものだった。それに彼らはまともな機材を持っていなかった。だけど、それでも彼らは工夫をし、なんとかまともなものにしようとしていたんだ”。ハネットは彼らをこう見ていた。“プロデューサーにとって好都合なものだったよ。なぜなら彼らは何も知らなかったからね、そして言い争うこともなかった。『A Factory Sample』が彼らとの初めての仕事だった。確かその2週間ほど前にアドヴァンス・ミュージック・システムズの新しいディレイラインを手に入れたんだと思う。デジタルと呼ばれていたやつさ。それはまさに優れものだった”。
これは、年は1年ずれていますが、ドキュメンタリー映画にあるインタビューと同じ内容を指していると考えられます。そして、“Torn Apart―The Life of Ian Curtis ”97頁には、同じインタビューについてこう記しています。「ハネットは『A Factory Sample』の録音作業の二週間ほど前にAMS(Advanced Music Systems)社製の新しいDigital Delayを手に入れた。マーティンは、ライターのジョン・サヴェージにその新しい機械について聞かれ、「It was digital, it was heaven sent」と語っている。」AMS社は、「1976年に、Mark Crabtree と Stuart Nevison によってイングランド西北部のランカシャーにて発足されたレコーディング・スタジオ向けの音響用デジタル・プロセッシング・オーディオ・システムの設計開発と生産を行っていた企業」(ウィキペディア日本版)です。これらの記述から見ると、ハネットは、「デジタル」と呼ばれていた最新式の機械を「天国からの贈り物」だと言っていたようです。この最新式のテクノロジーを試す格好の対象がジョイ・ディヴィジョンだったのです。“Torn Apart―The Life of Ian Curtis ”は、曲のタイトル「Digital」は、この機械にちなんでつけられたと記しています。
それまでの彼らの曲作りはテクノロジーとは無縁でした。カセット・レコーダーさえ持っていなかった彼らの曲作りでは、イアンの耳が重要な役割を果たしていました。ピーター・フックは「イアンが全てのリフ(注:フレーズ)を見付け出したんだ」と語っています(『アンノウン・プレジャーズ』コレクターズエディションに収録されているジョン・サヴェージによるライナー・ノートより)。バンドが即興演奏をやる、するとイアンが演奏を止めて「今のは良かった。もう一度やってくれ」と言う、そんな練習の中から「シーズ・ロスト・コントロール」などの数々の印象的なフレーズが生まれていったのです。「とても不思議だったよ。彼がいなければ、彼の耳なくしては、僕らはそれを一度演奏したきりで二度とやらなかっただろう。たいていは、それを演奏したことさえ覚えていなかったに違いない……だけど、彼は気付いていたんだ」と、ピーター・フックは語っています。
そんなジョイ・ディヴィジョンにとって、ハネットとの出会いは、テクノロジーとの出会いでもありました。ハネットが「天国からの贈り物」だと語ったのが、「Digital」なのか「digital」なのかは、よくわかりませんが、「Digital」がジョイ・ディヴィジョンを代表する曲の一つであることは明らかです。イアンの最後のライブとなった1980年5月2日のバーミンガム大学でのステージではアンコールに応えて演奏されています。イアンがこの世で歌った最後の曲ということになります。このライブはアルバム『Still』に収録されています。最後の力をふりしぼるように歌う「Day in, day out」の一節が印象的です。